伊都の価値
第15章
義彰が娶っていた正妻は、上様の歳の離れた異母妹で、いわば政略結婚でした。それでも義彰と正妻の仲は睦まじく、正妻が義彰の影響を受けて洗礼を受けたいと兄に訴え、反対されたときには、「私は夫に従います」と兄である上様に反旗をひるがえすほど、義彰に心酔していました。
しかし、輿入れ後数年たっても、子を孕むことができなかったのです。義彰はまだ若い妻が過度に気に病まないように、焦らなくて良いと優しく気遣っていたのですが、やはり一国の領主として後継者は不可欠。イエスの教えとして重婚はできないため、側室を、という家臣団の訴えを聞き入れたのでした。
そこで白羽の矢が立ったのが、伊都でした。さる皇族の御落胤という血筋でありながら、政治に介入してくるような面倒な親族もいない。右筆という立場なので、あくまで主従関係ということですでに義彰に仕え、後盾となってもらっているという多大な恩義を受けていることを充分自覚し、義彰を決して裏切れない立場である。そしてその立場から多くの特秘事項をすでに義彰と共有している。そして無事後継者の産んだ場合でも、子を差し出し、産み母としてだけの、蔭の存在となることも納得するだろう、と。
家臣団からの提案に伊都は選択の余地はありませんでした。伊都にとってそれは自分の身の安全保障でもあったのです。戦乱の世で、どんなに知識があろうと能力があろうと、やはり社会的な力をもつ者と血縁関係のない女性が一人で生きていくことは、やはり無謀なことは自明でした。
義彰本人はもちろん、家臣団のとっても伊都にとっても想定外だったのは、後継者生誕前の夭折でした。
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義彰とともに伊都が京に上がった際、伊都は体調不良を感じ、つわりだと気づいていたのです。すぐに義彰に妊娠の可能性を告げたところ、義彰は京での軍議などで見せる上様の態度に不信感を覚え初めていたこともあり、もしもの時を考え、『伊都が産んだ子が男子である場合は、この子を自分の後継者とするように』という極秘の手紙を自筆でしたため、家臣団あてに急ぎ送ったのでした。
そして義彰はすぐに伊都を自分の領地の城に戻すことにしたのですが、常に自分の側に控えさせていた伊都を急遽返すことに、上様配下のある領主が難癖をつけたのです。軍議の情報を知りうる立場にいた者を中座させるのは敵側への情報漏洩につながる危険性が高い、と。
その難癖をつけた領主は、ネーデルランドとの通商ルートを積極的に開拓していた者で、義彰と同じように通商による経済力を密かに蓄えていたことを義彰も把握していました。義彰に対する対抗心なのか、牽制なのか、それとも警告なのか、わざわざ言いがかりのようなことを申し立てたことに違和感を覚えた義彰でしたが、警護の手勢とともに強行に伊都を帰そうとしたところ、京の街を出たところで、何者かに襲われ、伊都は右手を切り落とされるという大けがをしたのです。
もちろん義彰は襲った者たちとその黒幕を探しだそうとしたのですが、いま内紛を起こすなと上様から咎められ、捜査を断念させられたのでした。
結局、伊都は怪我の治療をしたあと、上様が用意した護衛に守られて国に戻り、自宅の屋敷になかば軟禁状態になった、という経緯があったのです。
こうして伊都の妊娠は、義彰と家臣団の一部だけの極秘事項となり、伊都は右筆の仕事より重要な『無事に元気な義彰様の跡継ぎに男児を産むこと』が最優先事項となったのです。そしてたとえ産まれてくる子がたとえ女児であったとしても、伊都の地位は保証されるということになっていました。
「そなたの暮らしは保証する。何も心配する必要はない。安心して傷を癒やすように。」
そう義彰は伊都に約束し、家臣団にも彼女の身の安全と警護を命じ、金庫番である蔵奉行には特に、伊都を経済的に支えるように、と命じていたのです。
無事、自分の屋敷の戻った伊都は、自分の価値を証明する手段である『右手』を失うという悲劇に遭いましたが、子どもを身ごもったことで、義彰にとっての価値が高まった存在となっていたのです。
しかし、義彰が戦死。
家臣団は伊都が産む後継者までの中継ぎとして、義彰が念のためと残していた遺言に従って家臣団の一人である義彰の妹婿に家督を継がせるとして正式に公にし、上様に種子島産の立派な馬を20頭も贈った上で、認知を申し出たのです。この妹婿は洗礼を受けていなかったため、バテレン追放令を出していた上様は、あっさりと認めたのでした。
「懸念していた上様からの領地の取り上げはなく、無事、領地は安堵された。伊都殿は何のご心配もなく、ただ元気なお子をお産みください。」
わざわざ状況報告しに伊都の屋敷まできてくれた蔵元奉行から改めてそう言葉をかけられ、伊都は静かに気遣い礼を言い
「私も心から安心いたしました。お言葉に甘えさせていただきます。」
と答えました。
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心から安心など、できるのだろうか?
無事に子どもを産んでも、男児であろうと女児であろうと、正妻に引き取られるだろう。
私は、義彰殿に個人的に信頼されていただけだから。
この子を産めば、私の価値はなくなる。用済みになってしまう。
それに今は、右手を失ってしまった。
そして
産まれてきた子が、パオロ殿に似ていたりしたら。
なぜ、彼を受け入れてしまったんだろう。
同じ目をしていたから?
私と同じ目。
色や形は違うけれど、何かを渇望する目。
この世に生まれた自分の価値を欲する目。
ひと目見たとき、この人は私と同じ渇きにあえいでいる、とすぐわかったからだろうか。




