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さよなら、私を搾取した伯爵家。価値のなくなった私を救ったのは、反逆の王太子様でした。  作者: 榛乃


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07

 ――必ず迎えに来る。


 あの日、彼が言ったあの言葉は、今も鮮明に頭に、心に残っている。幼くも、それでもとても力強い、意志のこもった声だった。


 期待していたわけではない。信じていたわけでもない。

 しかしあの言葉に、幾度も救われた。彼の言葉を、その時の眼差しを思い出しながら、冷たい石床の上で何度眠りについたことか。


 その言葉が、その決意が、まさか――。彼の言葉を頭の中で反芻すればするほど、心臓が、とくり、とくり、と大きく脈打つ。


 どう反応すれば良いのか、分からなかった。何かを言わなければと思うのに、形にならない言葉たちが、行場を失って、喉の奥にぎゅっと詰まっている。胸の奥で何かがするりと解け、じんわりとぬくもってゆくのに、その熱をどこへ向ければ良いのかも、それを受け取って良いのかさえも、分からない。


 戸惑いを少しでも落ち着けようと、再びティーカップを持ち上げたシェリルに、何故かセラフは、ふふっ、と声を漏らしてやさしく笑った。


「すまない。困らせるつもりはなかった」

「い、いえ……」


 曖昧に返しながら、シェリルは持ち上げたばかりのティーカップをソーサーの上に戻す。白く滑らかな陶器の内側で、澄んだ若草色の水面が微かに揺れた。


「あれから……八年、か」


 まるで独り言のように呟きながら、セラフは庭の一角に群生する忘れな草へ視線を遣り、僅かに睫毛を伏せる。


 けれど彼が、そこに咲き乱れる青い花を見ていないことは、なんとなく分かった。彼は今、記憶の中を彷徨っている――。そんな気がして、何か言葉をかけようとしたけれど、しかしシェリルは結局、どの言葉も呑み込んだ。若草色の涼やかな薫りと共に。


 八年――。言葉にするのは簡単だけれど、ふたりの間に流れたその時間は、言葉以上にずっしりと重たい。“鉛”などという言葉では到底表せない、積み上げられた“時の重み”とでも呼ぶべきそれを、きっと彼はひとつずつなぞっているのだろう。


「本当はもっと早く、君を助け出したかった。一日でも、一秒でも早く」


 暫くの間を置いて、彼は落ち着いた声でそう言った。笑みとも溜息ともつかない、静かな吐息を、ふっ、と微かにこぼして。


「君が幽閉されていた離宮を目にする度、胸を灼かれるような焦燥に駆られた。今この瞬間も、君は辛く苦しい思いをしているというのに、俺には何も出来ない……。そのもどかしさに、気が狂いそうになることもあった」


 声の端々に、押し留めきれない何かが滲んでいた。後悔か、怒りか、或いはもっと別の——。けれど詮索することはせず、その滲みをただ静かに感じ取りながら、シェリルはそっと、彼と同じように忘れな草へと目を向ける。


 何も出来ない、と、彼は言ったけれど。しかしそれは致し方のないことだ、とシェリルは思う。今でこそセラフはもう立派な大人であるけれど、出会った頃のふたりはまだ、成年の儀も済ませていない子どもだったのだから。


 その上彼には、“王太子”という尊い身分があり、何より父である国王セオドアは健在。あまりにも多すぎる縛りに雁字搦めにされた彼を責め立てることなど、出来るはずもない。


「己の無力さに、幾度腹が立ったか分からない」


 忘れられても仕方がない、と思っていた。そんな遠い昔のことなど、大人になるにつれ、彼は思い出すことはなくなるだろう、と。時間とともにあの僅かな“安らぎの日々”は色褪せ、少しずつ溶けるようにして消えてゆくだろうから、と。


 けれども彼は、憶えていてくれた。あの日々のことも、あの約束のことも。


 ただそれだけで、ふっと顔が綻んでしまいそうになる。セラフの気配こそ感じ取ることは出来なかったけれど、それでも離宮の傍に来てくれていたという事実にも、甘い切なさが胸を過ぎる。


 もう二度と会うことはないだろう――。八年間、ずっとそう思い続けていたけれど。


 忘れな草を見つめる目に深い慈しみを滲ませながら、シェリルは思う。私たちの間に繋がれた糸は、この八年、一度も切れることはなかったのだ、と。たとえ堅牢な鉄格子や、分厚い石の壁に阻まれていても。目に見えない糸で、ずっと繋がっていた。


 ただそれだけで、思考が、身体が、あたたかな蜜に包まれて蕩けそうになる。


 ふと横顔に視線を感じ振り向くと、鮮やかな真紅の瞳と目が合った。庭園に咲くどんな赤薔薇よりも美しい、透徹とした瞳。


「助け出すのが遅くなって、すまなかった」


 嘘偽りのない真っ直ぐな声音で紡がれた謝罪に、シェリルは僅かに目を瞠らせた。その言葉が、どれほどの重みを持っているのかくらい、十分すぎるほど分かっている。


 それでもシェリルはやわらかな微笑みを湛え、首を左右に振った。あの日――救出された後、初めて目が覚めた夜にしたそれと、同じ様に。


「謝罪など、なさらないでください。殿下は何も悪くないのですから」


 “殿下”という言葉に、セラフの柳眉がぴくりと上がったような気がしたが、シェリルは敢えて気付かなかったことにする。彼の“本当の身分”が分かってしまった以上、昔のように気軽に名を呼ぶことなど、もう出来ないのだから。


「しかし……八年もの間、君をひとり苦しませ続けてしまったことに変わりはない」

「それでも、です。私を苦しめていたのは、殿下ではありません。ですから、どうか気に病まないでください」


 困ったふうに眉を下げながらそう告げると、まだ何か言いたげだったセラフは、やがて渋々といった様子で言葉を呑み下し、溜息にも似た吐息をこぼした。納得したふうでは、決してなかったけれど。


 必ず迎えに来る――。あの子ども同士の約束を、まさかこんな年月が過ぎてもなお、真剣に、大事にしてくれていたとは、思いもしていなかった。


 その事実をゆっくりと噛み締めながら、シェリルはスカートの合わせ目にそっと手を差し入れ、腰に下げた小袋に指先をかける。


 ただそれだけで、すぐさま脳裏に、綺麗な青い花が過った。テーブルに飾られたネモフィラや、庭に群生する忘れな草よりも、もっと濃く鮮やかな、まるで蒼穹のような色をしたあの美しい花――。


「……あの、殿下」


 おずおずと呼びかけながら、シェリルは小袋に滑り込ませた指先で、ひんやりとした硬い感触を確かめる。


 幾度となく両手で握り締め、胸に抱いた、かけがえのない宝物。けれどもそれは同時に、“守りたくても守れなかった”ことを静かに突きつけてくる、“罪の証”でもあった。


「実は私も、殿下に謝罪しなければならないことがあるのです」


 そう言いながら、シェリルは掌でやさしく包み込んだ“宝物”を小袋の中から取り出し、ゆっくりとテーブルの上にのせる。


 それは、透徹として濁りひとつない、小さな石だった。幾層にも花弁が重なった、大輪の花を模した造形の小石。向こう側の景色を歪みなく映し出すほど透明なそれは、燦々と降り注ぐ陽光を浴びて、きらきらと澄んだ光の粒を放っている。


 磨き込まれた宝石のような美しさを纏うその石の中心には、青色をした何かが埋もれていた。乱雑に引き裂かれた布のような、やわらかで薄い何かが。まるで時を止められたかのように、静かに眠っている。


 その“何か”に、セラフはすぐに気付いたようだった。驚きで見開かせた目で、小さな石――魔法石とシェリルの顔を交互に見遣る彼に、彼女は苦々しいものを噛み締めるように弱く微笑んだ。


「あの時、殿下がくださったアネモネです。……折角いただいたというのに、こんな形にしてしまって、申し訳ございません」


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