19
――その責を継ぐのは、俺だ。
彼の紡いだ言葉が、耳の奥に反響し、何度も何度も繰り返される。
どうして、と思った。何故貴方が責任を負わなければならないの、と。しかも、たったひとりで。重たい十字架を、背負い続けなければならないのか、と。
そんなことさせてはいけない。する必要はない。彼は何も悪くないのだから。いくら王太子といえど、この国の未来を担う存在だとしても。魔法石を搾取し、他国を侵略し続けていたのは、彼ではない。
だから貴方が咎を受ける謂れはない、と言いたかった。言葉にしなければという焦燥感が、どんどんと募ってゆく。けれど喉は動かず、唇はただ震えるだけで、伝えたい言葉も、届けたい想いも、なにひとつ出てこない。
彼に許されたかったわけではない。彼に背負ってほしかったわけでもない。ただ、自分の犯した罪を償いたかった――それだけのはずなのに。自分の選んだ道が、セラフの抱く自責を更に重くしてしまったような気がして、シェリルは縋るように、引き止めるように、彼の胸板へ顔を押し付けた。
何もかもがぐちゃぐちゃで。声にも言葉にも出来ない想いが、涙となって一気に溢れ出す。彼の胸に顔を埋めたまま、シェリルは嗚咽を漏らしながら、ただ泣くことしか出来なかった。他にどうすれば良いのか、何が正しくて何が間違っているのか。考えるだけの余裕は、今の彼女には欠片も残っていなかった。
涙をこぼせばこぼすほど、足元で華の弾ける音がする。エドワードやベアトリスたちが、どんな手を使ってでも欲していた魔法石の生まれる、澄んだ音。たった一粒で莫大な魔力を手に入れられる、特別な石。国王までも虜にした、魅惑の存在。
けれどもセラフはそれらを拾い上げることなく、片手でシェリルの背を抱きながら、もう一方の手で彼女の頭をやさしく撫でる。泣きじゃくる子どもをあやすように。時折抱き締める腕にぎゅっと力を込めながら。ただただシェリルだけを、その腕に包み込んでいた。
ひんやりとした、それでもやわらかな夜風がふわりと吹き抜け、濡れそぼったシェリルの肌をそっと慰めるように過ぎてゆく。遠くの方で、かさかさと、草花の揺れる微かな音が聞こえた。鼓膜に触れたその音は、シェリルの脳裏に、鮮やかな青色をしたアネモネを思い浮かばせる。鉄格子越しに受け取った、初めての贈り物。ばらばらになっても、今も尚、透明な石の中で静かに眠り続ける美しい色。
――必ず君を迎えに来る。
彼は約束通り、迎えに来てくれた。暗い部屋に射し込む一筋の光そのものだった約束を、果たしてくれた。それなのに――。
現実から逃れるようにひときわ強く瞑った目の端から、ぽろぽろと涙がつたい落ちてゆく。絶え間なく、次から次へと。呼吸がうまく出来なくて、喉が引き攣り、風を切るような掠れた音が漏れた。その微かな音が聞こえたのか、セラフの大きな手が、シェリルの背中をやさしくさする。薄い寝間着越しに感じる、あたたかな人肌のぬくもり。それが却って、涙をとめどないものにさせる。
――必ず君を迎えに来る。
八年越しに再会できた、大切な人。けれど、この再会が彼を苦しめる原因になったのではないだろうか、と思う。そもそも自分たちの出会い自体が、彼に咎を背負わせる遠因になったのではないだろうか、とも。
或いは――私自身の存在が、彼を苦しめるそのものなのではないだろうか、と。そう思うと、胸が引き裂かれるような痛みが稲光のように走った。会いたかった。ずっと、会いたかったのに。それでも本当は、再会することも、出会うことさえも、してはならなかったのかもしれない。その疑念が、シェリルの心の奥へ暗い影を落としてゆく。じわりじわりと、闇の中へ引き摺り、嘲りながら蝕んでゆくように。
***
ぐったりとした身体を抱き上げ、片方だけ開いた硝子扉を潜って、ベッドへと歩み寄る。最近は少し食欲が出てきたとアレンから伝え聞いてはいたものの、両腕にかかる重みは驚くほど軽い。
それでも、牢獄から連れ出した時よりはましになった方なのかもしれない、と思いながら、セラフはシェリルのか細い身体をベッドの上にゆっくりと横たえる。乱雑に放られた毛布を引き寄せ、小さな寝息を立てて眠るシェリルにそうっと掛けてやっていると、不意に背後から、慣れ親しんだ気配がすっと姿を現した。
「こんなに魔法石作っちまって、どうすんだよ」
呆れを含んだ声音に、セラフは苦笑をこぼしながら、シェリルの長い睫毛に貼り付いた小さな光の粒を、触れるか触れないかほどの力で、静かに拭う。
「全て消すに決まってるだろ」
「クソジジイどもの目の前でやったら、発狂もんだろうなあ」
けたけたと愉快そうに、意地悪く笑う友人の声を背中で聞きながら、それも悪くない、と思う。お前達が、長年に亘って搾取し続けてきたものは、今ではもう何の価値のないものだと知らしめるには、良い手段かもしれない、と。
「アレンが困惑してたぜ。お前が急にいなくなったせいで。まあ、あいつだけ魔力がねえからなあ。仕方ねえと言えばそうなんだが」
泣き疲れて眠るシェリルのかんばせを、目に焼き付けるように見つめた後、セラフは深く吸い込んだ息をゆっくりと吐き出し、友人の立つバルコニーへと振り向いた。
そこには、星々の鏤められた紺碧を背に、全身黒尽くめの男がひとり立っていた。髪も黒、身に纏うローブも黒と、何もかもが黒で揃えられているせいで、夜闇の中では彼の色白の肌と、宝石のような金色の瞳だけが浮いたように、より映えて見える。
彼は――イヴリスはそんなセラフの視線に気付きながらも、バルコニーに散乱する魔法石をひとつ指先で摘み上げ、まるで宝石の鑑定でもするかのように空に翳して、右に左にと矯めつ眇めつしていた。
「魔法石には興味はない、と言っていたような気がするが」
歩み寄りながらからかいの言葉を投げると、すっと細められた金色の瞳が、不満げにセラフの双眸を射抜く。しかしすぐに、彼はやれやれと大仰な仕草で肩を竦め、指先に摘んでいた魔法石を放り捨てた。
「興味なんかねえよ。こんなもんに頼んなきゃなんねえほど、俺は弱くねえからな」
「それはそれは。実に頼もしい魔術師殿だ」
「……テメェ、クソほども、んなこと思ってなんかねえだろ」
「心外だな。本心で言っているというのに」
硝子扉を潜ってバルコニーへ出ると、花の甘やかな香りを含んだ夜風が吹き抜け、両耳のピアスが微かに揺れる。眼前には、夜の闇に包まれて静かに眠る庭園。中央に群生する青いアネモネもまた、闇に身を潜めるようにして眠っていた。
それらを暫し眺めた後、セラフはゆっくりとひとつ瞬いて、足元へと視線を落とす。白い大理石で造られた、半円を描くように張り出した床。いつもは滑らかな艷やかさを湛えるそこに、今は青白い月明かりに照らされた魔法石が、きらきらと輝きを放ちながら散らばっている。
その中の一粒を摘み上げ、セラフはまるで薔薇のような形をした魔法石を眼前に翳す。今まで見てきた、彼女の作り出す多くの魔法石は、その殆どがとても刺々しい花弁をしていた。美しいものには棘がある――という言葉そのままのような、手にする者を拒むような鋭利な形を。しかし、今指先にあるそれは、僅かな尖りすらまるでない。
「――なあ」
何故、こんなにも形が違うのだろうか。そう疑問に思いながらも、セラフは指先に摘んでいた魔法石を再び淡い光で包み込み、硝子の砂と化して夜風に放った。
魔法石を消すことが出来るのは、石に宿った魔力を使い果たすか、或いは一定の魔力を注ぎ込むことで“内側から破壊する”かの二択しかない。後者をこなすにも、相応の技術と魔力を要する。その為、根本から破壊出来る者はそう多くない。
「何でもかんでも、お前一人で背負い込む必要はねえんじゃねえの?」
敢えて感情を隠しているのか、淡々としたイヴリスの口調に、セラフはふっと息を漏らすようにして笑った。
「盗み聞きとは、悪趣味だな」
そう言いながら、セラフは徐にイヴリスへと目を向ける。いつの間にか欄干に寄りかかった彼は、怒っているのか呆れているのか、そのどちらともとれるような皺を眉間に刻み、胸の前で腕を組んでいた。
「お前が全部一人で背負い込めば込むほど、あの女が傷付くぞ」
「……分かっている」
「んなこと言って、どうせ口先だけだろ。お前の“分かってる”なんて」
深々と溜息を吐き、イヴリスは夜風で乱れた前髪を雑な手つきで掻き上げる。恐らくは心配してくれているのだろう。そんな友人の忠告に、セラフは苦笑をこぼしながら夜空を仰いだ。
シェリルが、やさしく真面目であるが故に責任感の強い女であることは、知っている。魔法石を生み出し続けてきたせいで、それが戦争の道具とされ、多くの者を傷付け、多くの命を奪う要因になってしまったことを、“自分の罪”として抱えているということも。
しかし彼女はあくまで、強引に搾取され続けた“被害者”でしかない。身体にも心にも深い傷を負いながら、それでも痛めつけられ続け、ただ利用されてきただけの存在。抗う術もなく、強制されるがまま、魔法石を生み出さざるを得なかった環境下で、果たして何が出来たというのだろう。そんなシェリルに、責任を問えるはずがない。
彼女が生み出した魔法石は、ただの“道具”だ。魔力も、刃物も、その他あらゆる道具と同じように、物そのものに意思など存在しない。だからこそ、あらゆる“道具”は二面性を持つ。使用者の“善悪”によって、その姿を変えるからだ。
二面性――。彼女は、それを知らない。自身が生み出した魔法石が、決して“悪”だけではない、ということを。
「――イヴリス」
散らばった魔法石を踏まないようにバルコニーを進み、イヴリスの隣に立ち止まって、セラフは眼下に広がる庭園を――その中でもひときわ目を引くアネモネを見つめた。
あの時――まだ全てを知る前だった、幼い頃。彼女へのプレゼントとして、青いアネモネを敢えて選んだことを、その理由を、果たして彼女は気付いているだろうか。ただの聞き齧り程度だったとはいえ、今思えば、青いアネモネはセラフ自身の想いを正直に伝えるのに、正に最適な花だった――とは、きっと彼女は知らないだろう。
「ひとつ、頼みたいことがある」




