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さよなら、私を搾取した伯爵家。価値のなくなった私を救ったのは、反逆の王太子様でした。  作者: 榛乃


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 ――お前が殺したんだ。


 またあの声が聞こえる。暗闇の中から、どこからともなく。侮蔑を滲ませた、低い嗤い声。


 耳を塞いでも、走って逃げても無駄だと、分かっている。あの声は“耳から聞こえてくる”のではなく、“頭の中に直接流れ込んでくる”のだから。ただじっと待ち続けるしかない。声がいつか、この暗闇の中に溶けて消えるのを。ひたすら。


 それでも怖いものは、怖い。恐怖に竦んだ足が小刻みに震え、シェリルは半ば崩折れるようにその場に屈み込んだ。


 そんな彼女を嘲笑うかのように、くつくつくつ、と喉を鳴らすような昏い声が、ねっとりと身体に絡みついてくる。振り払いたいのに、身体は意に反して微動だにしない。ただ、怯えとともにこみ上げてくる腹立たしさを堪えるように、シェリルは奥歯をきつく噛み締める。


 知っている、と叫びたかった。そんなの分かっている、と、言い返したくてたまらない。貴方に言われなくたって、と。そんなことは私が一番よく理解している、と――。


 ふと、ころころと何かが転がってくる微かな音が聞こえた。それはやがてシェリルの足元で止まり、ことん、とつま先に何かがぶつかる。いつの間にかきつく目を閉ざしていたシェリルは、まるで壊れたブリキの玩具のように、ぎこちない動きで恐る恐る瞼を持ち上げた。


 少しずつ開かれてゆく視界。最初に見えたのは、陶器のように滑らかな白と、そこにべっとりと付着した赤。――その瞬間、心臓がどくりと大きく跳ね上がる。駄目だ、と頭は警鐘を鳴らしている。必死に引き留めようとしている。それでも瞼はゆっくりと開かれていき、やがて完全に見開かれたシェリルの瞳に映り込んだのは――闇を呑んだような、目玉のない昏い窪みだった。



 弾かれたように目を開き、シェリルはひどく乱れた呼吸を喘ぐように繰り返す。空気をきちんと吸えているのかどうか、それすらも分からない。喉元で、ひゅうひゅうと風を切るような掠れた音が小さく鳴っている。


 身体中のそこかしこに、まだあの悪夢の残滓がべっとりとへばりついているのが嫌でも感じ取れる。シェリルは震える両手で寝間着の端をぎゅっと握り締めた。瞬きをする、そのほんの一瞬の暗闇でさえ、あの昏い空洞がありありと蘇りそうで、恐ろしくてたまらない。


 のっそりと身体を起こし、ベッドを抜け出せるようになるまで、どれくらいの時間が経ったのだろう。長くも短くも感じられた、曖昧な空白。シェリルは深く吸い込んだ息をゆっくりと吐き出し、寝る前に予めベッドサイドテーブルへ移しておいた水差しを手に取った。


 硝子製のそれの中には、澄んだ水とともに、薄くスライスされたレモンと幾つかのミントが浮かんでいる。一昨日までは、ただの水だけだったはずなのだけれど。そう思いながらグラスに水を注ぎ、硝子の中で微かに揺れる鮮やかな緑色をぼんやりと見つめる。


 恐らくはアニエスの心遣いだろう。あまり眠れていないことに気付かれているのかもしれない、と申し訳なく思いながら、グラスの中の水を一息に飲み干す。たちまち口の中が、レモンとミントの爽やかな香りに満たされた。ひんやりとした水が喉を滑り落ち、汗ばんだ身体の隅々にまで流れてゆくような感覚が、現実へ戻ってきたのだ、と確かめさせてくれるようで、とても心地良い。


 空っぽのグラスをテーブルへ戻し、シェリルは小さく溜息をつきながらベッドの端にそっと腰掛ける。時計へ目を遣ると、まだ日付を超えてすらいない夜半前だった。眠りについてそう経たないうちに、目が覚めてしまったのだろう。道理で、いつも以上に身体が気怠く感じられるわけだ。


 シェリルは暫く締め切られたカーテンをぼんやりと見つめ、それからどさりと音を立てて背中からベッドへ倒れ込んだ。艷やかな飴色の四本の柱、それに支えられた装飾性の高い四角いフレーム、それを覆うように取り付けられた深緑の布。四方には、金糸の刺繍が縁に施されたやわらかなレースが、リボンでひとまとめに束ねられて垂れている。


 そんな豪奢なベッドの天蓋を、深い緑色――寧ろ黒に近いとさえ言えるその色を、見るともなく眺めながら、シェリルは再び深々と溜息をこぼす。


 ――お前が殺したんだ。


 その言葉が頭の中で反芻される度に、胸を掻き毟りたくなるほどの罪悪感が押し寄せてくる。分かっている。何度も言われなくとも。誰より、自分自身が一番よく理解している――。


 フロリス――。花を象ることからそう名付けられたその魔法石は、実母エレノアから受け継いだ、世界に唯一無二の"異能"によって生み出される。異能者の零した涙が地面で弾けた瞬間に結晶へと変質し、まるで氷華のような姿で固まる。


 故にフロリスは、子どもの掌にすっぽり収まるほどしかない、とても小さなものだ。しかしその一粒に凝縮された魔力はあまりにも膨大で、並の魔法師が百人束になっても足元にすら及ばない。


 その上、自然界で稀に発見される“偶然の産物”よりも純度が高く、質も一定して良い。そもそも魔法石としての格が、根底から違うのだ。


 かくも便利で強大なものが、ひとりの人間の苦痛と引き換えに、いとも容易く手に入れられる。莫大な費用も、発掘の為の長い歳月も、熟練した職人の手も要らない。ただひとりの人間を追い詰め、絶望させ、その瞳から涙を零させるだけで良い。そうすれば、国家を揺るがすほどの価値あるものが、簡単に地面へ転がり落ちてくるのだ。泣かせれば泣かせるほど、湯水のように。


 そんなシェリルは、エドワードやベアトリス、そして国王セオドアにとって、正に“金のなる木”そのものだっただろう。


 そのせいで――多くのものを失い、多くのものを傷付けてしまった。


 これまでシェリルの境遇を憐れむ者がいなかったわけでは、決してない。“可哀想な子供”として密かに気にかけてくれる者は、ごく僅かに存在した。義妹の世話を任されていた乳母、ヘイスティングス邸で下働きをしていた妙齢のメイド、王宮に移ったばかりの頃に食事を運んできてくれていた生真面目な軍人。


 けれども彼らは尽く、エドワードとベアトリス、そして国王セオドアの手によって、ひとり残らず排除されていった。ある日突然姿を消した者、荒涼とした僻地へ左遷された者。中には見せしめとして、シェリルの眼前で長い髪を切り落とされ、腕に剣を突き立てられた者までいた。


 そして何より――フロリスの搾取によって生み出された、無数の“魔道具”たち。魔術は元来、魔力を備えた者にしか会得出来ないものだった。それが、フロリスを供給源とした”魔道具”の誕生によって、この国の軍事力は桁外れに伸びたのだ。


 故に、それまでどうにか保たれていた周辺諸国との均衡に、大きな亀裂が生まれた。魔道具を有する兵士を大量に擁するエテルノス王国と、限りある魔術師のみしか存在しない他国とでは、圧倒的な軍事力の差が生じるのは言うまでもない。


 その状況に気を良くしたセオドアは、もう数年も前から戦争を繰り返すようになった。全ては泥酔したエドワードが意気揚々と語っていたことではあるけれど、事実であることに違いはない。英雄の凱旋、戦勝パレード、侵略、奴隷。中には滅亡を辿った小国もあると、エドワードはとても愉快そうに言っていたのを憶えている。


 何故、そんなことに――。聞けば聞くほど、茫然とした。そして、その根源を生み落とす自分自身を、恨まずにはいられなかった。


 凄惨を極めた戦場では、きっと多くの者達が命を落としたことだろう。この国の兵士も、他国の兵士も。そして、何の罪もない一般の民まで、たくさん。


 ――お前が殺したんだ。


 だから、あの声が言っていることは正しい、と思う。実際に戦場に立ったわけではないけれど。魔法石を産み落とさなければ、それによって魔道具の開発が活発にならなければ。もしかしたら今もまだ、周辺諸国との関係に大きな罅が入ることもなければ、侵略戦争が勃発することもなかったかもしれない。


 戦争が起きなければ、兵士も、民も、誰も傷つかず、誰も命を落とさずに済んだ――。


 そうなる状況を作ってしまったのは、“魔法石を生み落とす”などという異能を引き継いで産まれてしまった自分のせいだ、とシェリルは思う。そんな異能さえなければ、救われた命が、もっと違う未来があったかもしれない。


 ――お前が殺したんだ。


 胸に詰まった苦いものを吐き出すように深呼吸をひとつこぼして、シェリルはそっと身体を起こして立ち上がる。そのままふらふらと、覚束ない足取りでカーテンの引かれた硝子扉へと歩み寄り、厚手のカーテンに指をかけ、徐に開けた。


 紺碧の夜空にはぽっかりと丸い月が浮かび、寝静まった庭園を、宮殿を、神々しい明かりでやわらかく照らしている。昼間とはまるで違うその姿に、思わず見惚れ、息を呑む。月の光に溶け込むようにして佇む木々や花たちの輪郭は、昼間の鮮やかさをすっかり失い、代わりに夢の中にいるような、青白く幻想的な美しさを纏っていた。


 施錠を解き、シェリルは音を立てないよう注意を払いながら硝子扉を開けて、バルコニーへゆっくりと踏み出す。頬を撫でる夜風は、仄かに冷たい。かさかさと鳴る葉擦れの音以外に鼓膜に触れるものは何もなく、ヒールの靴を履いているわけでもないのに、靴音がやけに大きく聞こえるような気がした。


 欄干に行き当たり手をつくと、汗ばんだ掌に、ひんやりとした感触が広がる。その気持ちよさにふっと顔を綻ばせながら、シェリルはまるで吸い寄せられるように、庭園のちょうど真ん中あたりに咲き乱れる青いアネモネの花へと視線を向けた。


 ――必ず君を迎えに来る。


 子どもの頃の約束を、彼はずっと忘れずにいてくれた。そして八年の歳月を経て、あの黴臭い地獄のような牢獄から救い出してくれた。それだけでなく、今もこうして宮殿の一室を与えられ、身分に相応しくないほどの厚遇を受けている。清潔な部屋、十分な設備、有能な医師、とても気の利くやさしい侍女――場所も、人も、何もかも。


 セラフも、アニエスも、アレンも、そして何だかんだとイヴリスも――みんな、気を遣ってくれる。やさしく接し、傷つかないようにと細心の注意を払い、時には言葉で、またある時は行動で、守ってくれていた。


 けれど――。欄干に触れる手にぎゅっと力を込めながら、シェリルは今にも泣き出しそうに顔を歪める。そうやってやさしくされ、守られるだけの資格が、私にはない、と思いながら。


 ――お前が殺したんだ。

 そう、私のせい。

 ――お前が殺したんだ。

 そう、全ては私のせい。


 夜風にゆるくそよぐアネモネをただ一心に見つめながら、シェリルは踵を精一杯浮かせ、腰ほどの高さのある欄干へと無理矢理よじ登る。ひとつ、ふたつ、みっつ――。欄干のひんやりとした感触を足の裏に感じながら、頬をやさしく撫でてゆく夜風に、シェリルは薄っすらと目を細めた。


 魔法石さえなければ。こんな異能さえなければ。多くのものを失わずに済み、多くのものを傷付けずに済み、多くの命を奪わずに済んだ。夢の中に渦高く積まれていたあの屍の山も、きっとそうだろう。生み出した魔法石によって、未来を奪われた人たち――。


 エドワードが、ベアトリスが、セオドアが罰せられるというのなら。自分だけが真綿に包まれたように守られるのは、間違っている。魔法石を生み出したのは、紛れもない“異能”持ちの自分なのだから。


 ならば、その責任は、罪は――しっかりと、受けなければいけない。

 私が、全ての元凶であるのだから。

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