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冷酷非情な反逆王太子に溺愛されています〜残念ですが、私の涙にはもう何の価値もありません〜  作者: 榛乃


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 ――散歩をされてはいかがでしょうか。


 専属の宮廷医師からそう助言を受け、シェリルの朝日課に“散歩”が加わって数日が経つ。身体を動かして衰えていた体力を取り戻すのはもちろんのこと、朝陽を浴びると精神の健康にも繋がるのだと、老齢のベテラン医師は朗らかに語っていた。


 とはいえ、まだ長い距離を歩いて回るのは難しく、散歩コースは専ら部屋から小さな中庭を一部見て回る程度でしかない。それでも、清らかな朝陽を浴び、冴えた清潔な風に包まれるのは、とても気持ちの良いものだった。


 散歩へ出る時は、アニエスの他に、必ず護衛がひとりつくことになっている。殆どはアレンの部下である女騎士で、彼女たちは侍女の服装を身につけ、如何にも“高位侍女”然とした佇まいをしているので、シェリルは初め彼女たちの本職に全く気が付かなかった。


 しかし、モノクロのドレスの内側には幾つもの武器が忍ばされていることを、今は知っている。彼女たちに与えられた任務は、あくまで“護衛”でしかない。


 ――あの庭は、イヴリスの監視下にありますから、ご安心下さい。


 庭の中程にある小ぶりなガゼボに辿り着き、大理石で出来た椅子にそっと腰掛けながら、シェリルは初めて散歩に出た日の朝にアレンから告げられた言葉を思い出す。あの日も彼の背後には、侍女に扮した部下がひっそりと、気配を隠して立っていた。


 ――緊張なさらなくとも大丈夫です。護衛は念の為に過ぎません。


 そう言って、いつもの人懐こい笑顔を浮かべた彼のエメラルドのような瞳は、しかしとても真剣で、任務を全うする“近衛騎士団副団長”のそれだったと思う。もちろん、彼に指示を与えたのはセラフだということには、疾うに察しがついている。果たして他に、誰がそんな任を下したりするだろうか。


 けれど――。アニエスが持参したバスケットから軽食――スコーンと苺のジャム――を取り出し、手際よくテーブルの上を飾ってゆくのをぼんやりと眺めつつ、シェリルは胸の裡で小さく溜息をつく。


 正直なところ、シェリルには分からなかった。分からない、というより、理解出来ない、と言った方が正しいのだろうか。何故セラフが、こんなにも気を遣ってくれているのかが。幾ら考えても堂々巡りをするばかりで、答えがひとつも見つからない。


 もしそれが、彼の“やさしさ”故のものならば――。差し出されたスコーンを受け取り、甘い香りを漂わすジャムと共に頬張りながら、シェリルはそっと、花々の咲き乱れる庭園へと目を向ける。


 降り注ぐ陽光、頬を撫でるあたたかな春風、香ばしく焼き上げられたスコーン、気配り上手で常に朗らかな侍女、そんな彼女に押し切られ苦笑をこぼしながらスコーンを受け取る護衛の女騎士。


 そのどれもが、どうしても自分には過ぎたものに思えてしまうのは、酷いことなのだろうか。


 やさしくされればされるほど、どうしようもなく胸が締め付けられてゆく。やさしくされることが嬉しくないわけでは、決してない。けれどそれ以上に、何故こんなにも尽くしてもらえるのか分からないという戸惑いが勝るのだ。自分には彼のやさしさを受け取る資格があるのだろうか、という問いが、じわじわと心を侵蝕してくるせいで。


 きっとこれを“罪悪感”というのだろう、と、口内に広がる甘酸っぱい薫りとともにスコーンの欠片をこくりと嚥下しながら、シェリルは思う。


 理由はどうであれ――十年もの間、何の罪もない多くの人々を傷付け、苦しめ続けてきたことに変わりはない。だから、セラフやアニエスたちのやさしさに触れる度、その事実が重く伸し掛かってくる。今まで以上に、ずっしりと。あたたかさが深まるほどに。自分がここにいて良いのかどうかすら、分からなくなってゆく。


(私は、“許されて良い人間”ではない……)


 最後の一口を頬張り、ゆっくりと咀嚼しながら、シェリルは春風にのって心地よさそうにそよぐ色とりどりのチューリップを眺め遣る。


 たとえば、花を美しいと思うこと。食べ物が美味しいと思うこと。アニエス達との談笑を楽しいと思うこと。セラフと会えるのが嬉しいと思うこと――。


 考えれば考えるほど、どんどんと底なしの沼に嵌まってゆく気がする。自らの手で自分の首を締めるような、そんな感覚に囚われながら。


 美しい、美味しい、楽しい、嬉しい――そうした感情を抱く度に、どこかから声が聞こえてくる気がするのだ。お前にそれを感じる資格があるのか、と。その問いは答えを待たず、静かに、しかし確実に、胸の奥へと刺さってゆく。鋭利な刃物を、容赦なく突き立てるみたいに。


「シェリル様、そろそろお部屋へお戻りの時間でございます」


 アニエスに声をかけられ、はっと我に返る。テーブルの上に広げられていたジャム瓶や小皿は、いつの間にかすっかり片付けられていた。


 考え込んでしまっていたことを悟られていなければ良いのだけれど、と思いながら、シェリルは彼女の言葉に笑みを返し、ゆっくりと立ち上がる。


 先にガゼボを出て、何気ない風を装いながら周囲の様子をうかがっていた護衛の侍女が、一瞬の目配せで問題がないことを報せてくれた。それを合図に、バスケットを片腕に持ったアニエスと二人で、朝の穏やかな陽の下へと再び歩みだす。


 来た時と同じ道を辿り、宮殿の中へ戻って、すっかり見慣れてしまった廊下を進む。なるべく人の通りが少ない道を選ぶようにとアレンに言いつけられた道順は、いつも人の気配がなく、しんとしている。思えば、誰かと擦れ違ったこともない。


 三人分の足音と、時折交わされるささやかな会話だけが響く廊下。壁に飾られた肖像画も、今も賢王として語り継がれる幾人かの国王の胸像も、大きな花瓶に活けて飾られた花々や細々としたオブジェも。いつもとなにひとつ変わらない。


 それらを見るともなく見ながら、今日また真綿で包まれたような一日が始まるのか、と思っていると、不意に、耳慣れないふたつの声が、どこからともなく聞こえてきた。


「まさかこんなことになるなんて、思わなかったなあ」

「あら、そう? 私は随分前から予感がしてたけど」


 どうやら使用人たちの世間話のようだ。相手は三人の存在に全く気が付いていないのか、はたきを振る音を微かにさせながら、彼女たちの会話は更に続く。


「でも、確かにそうかも。市民の熱気も凄かったし」

「何より宮廷内の雰囲気が、ひどく張り詰めてたもん。凄く怖かったわ」


 いったい何のことについて話をしているのか、内容はさっぱり分からない。確かに最近、セラフはかなり多忙だとアレンから聞いている。もしかしたら何かあったのかもしれない、とは思うものの、長らく監禁されていたシェリルに、宮廷や市井のあれこれなど分かるはずもない。


 けれど、前方を歩いていた護衛の女騎士が、ぴたりと歩みを止めた。背中にぶつかってしまわないよう、シェリルは慌てて足をとめる。理由が分からず戸惑いながら隣に立つアニエスを見遣ると――彼女の顔が、今まで見たことがないほど、かたく凍りついていた。


「あの……?」


 恐る恐る声をかけると、我に返ったらしいアニエスが、どうにか繕った笑みを向けてくる。まるで安心させようとするかのように。しかし、いつものおおらかで愛らしい笑みを知っている分、今の彼女の顔に浮かんでいるそれが、明らかに無理をしているのだと容易に見て取れた。


「シェリル様、本日は少し道を変えましょう」


 護衛の彼女が、そう言いながら振り返り、にこりと笑う。身なりこそ侍女の格好をしているけれど、さすがは近衛騎士団で肉体面も精神面も鍛えられただけあって、その爽やかな笑顔は殆ど完璧で、違和感を覚えさせない。


 恐らくはこの数秒の間に、彼女の頭の中には宮殿内の地図が大きく広げられていたことだろう。今の場所からどのような道順で部屋へ戻るのが最適か、その答えを導き出す為に。


 しかしシェリルには、何もかもがさっぱり分からなかった。道を変えなければいけない理由も、何故アニエスが顔を強張らせているのかも。状況を把握出来ていない自分だけが、置いてけぼりにされている気がしてならない。


「さあ、こちらへ」


 先を促す女騎士の声に、僅かばかり焦りが滲んでいるのを感じ取り、シェリルは敢えて口を閉ざしたまま、示された方へ足を向けようとした――その時だった。


 思わず心臓の動きまでもがとまってしまいそうなほどの、衝撃的な言葉が鼓膜に突き刺さったのは。


「でも、本当に起こるとは思わないじゃない? ――まさか殿下が、お父上である国王陛下に反旗を翻すだなんて」


 刹那、シェリルの世界から音が消えた。視界の端の方からじわじわと闇が侵蝕してくるみたいに徐々に景色が狭まり、時さえもとまってしまったかのような感覚に囚われる。


 殿下。お父上。国王陛下。反旗――。


 聞こえてきた言葉のひとつひとつが、意味を持たない単なる“音”として、頭の中をぐるぐると駆け回っている。その只中で、シェリルはただ両目を見開かせ、ただ茫然と立ち尽くす。噛み砕く、呑み込む、理解する――なんて、程遠い。まるでゼンマイの切れた人形のように、頭を働かせることも、唇を開いて問いかけることも、シェリルにはなにひとつ出来そうになかった。


 そんなシェリルの狭い視界の中で、女騎士が僅かに眉根を寄せる。きっと耳にしてはいけなかった言葉なのだろう。もしかしたら彼女が道を変えようとしたのも、ふたりの会話が届かない場所へ逃れる為だったのかもしれない。


 けれどももう、遅かった。彼女たちの会話は、シェリルの耳の奥深くまで突き刺さってしまっている。抜き取ることの出来ない棘のように、しっかりと。


 殿下。お父上。国王陛下。反旗――。


 何か言わなければ。何か問わなければ。そう思うものの、必死に動かそうとした唇は、微かに震えていた。唇だけではない。いつの間にか握り締めていた拳も、髪の毛に包まれた両肩も。身体中が、小刻みに震えている。


 まるで何かに怯えてでもいるみたいに。

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