愛なき正解(第1ステージ・第2問)
「5、4、3……」
死の秒読みが公康の鼓膜を叩く。汗が目に入り、視界が滲む。
(旅館……花……。そうだ、あの日、俺は……!)
「……**水月閣**だ!」
公康は絶叫した。
「旅館の名前は水月閣。ロビーに飾ってあったのは……紫の、トルコキキョウだ!」
静寂。
次の瞬間、ピンポン、ピンポン、ピンポン! と、軽快で空々しい電子音がスタジオに鳴り響いた。公康の首のカラーが、死を遠ざける青い光を放つ。
「……正解、よ。なんで……なんで覚えているのよ」
恵子が解答席の縁を指が白くなるほど強く握りしめる。彼女の顔には、安堵など微塵もない。あるのは、10兆円という「救済」が指の間をすり抜けていったことへの、凄まじい絶望と困惑だ。
「……覚えているさ。あの時、君が綺麗だと言ったから……」
公康は咄嗟に嘘をついた。実際は違う。
当時、本命だった別の女との旅行をドタキャンし、キャンセル料が勿体ないからと恵子を代わりに連れて行ったのが「水月閣」だった。トルコキキョウを覚えているのは、本命の女が「縁起が悪い」と嫌っていた花だったからだ。「あいつが嫌いな花を、この女は喜んで見てる」――そんな歪んだ優越感とともに刻まれた記憶。
公康は、自分の「最低な過去」のおかげで命を繋いだのだ。
「嘘よ……。そんな顔で私を見ていなかった。あなたはあの時、私のことも、お腹の子のことも、風景の一部としか思っていなかったはずよ!」
恵子の叫びに、観客席(見えないスマホの群れ)から嘲笑のようなノイズが漏れる。
「さあ、第2問です。恵子様、公康氏を仕留める準備はよろしいですか?」
司会者の無機質な催促。恵子は血走った目で、震える手で次のカードを捲った。
「……いいわ。次こそ、あなたを地獄へ送って、私が10兆円を手にする。……第2問よ。私がお腹の子のことを話した時、あなたは逃げる前に一度だけ、**『男の子だったらこの名前にしよう』**って、適当な名前を言ったわよね」
公康の心臓が、凍りついた。
(名前……? 子供の、名前……?)
公康にとって、その妊娠は「キャリアの邪魔」でしかなかった。早く中絶費用を渡して縁を切りたい――その一心で、泣き喚く恵子をなだめるために、口先だけで言った言葉。
「もし、その子が男の子だったら付けるはずだった名前。……答えなさい、佐藤公康。思い出せないなら、今すぐここで死んで、私に1兆円をよこしなさい!!」
「10、9……」
無慈悲なカウントダウンが再開される。
公康の脳裏を過るのは、泣きじゃくる恵子の顔と、早く帰って仕事に戻りたいと願う自分自身の冷徹な時計の音。
(なんて言った……? 健太か? 拓也か? いや、もっと……もっと適当な、その場しのぎの名前だったはずだ……!)
公康は、かつて自分がゴミ箱に放り込んだ「命の約束」を、必死に泥の中から拾い上げようと、爪を立てて記憶を掻き毟った。




