表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/30

第8話 王太子は魔女に跪かない

【号外】

王太子、悪役令嬢を保護拘束。

崩落事件の真相究明へ――密室にて“魔女”の尋問始まる。


 保護と拘束は、言葉を置く順番でだいぶ印象が変わる。


 王宮北棟の離れに移されたアリアドネは、窓辺の椅子に腰掛けたまま、運ばれてきた号外を読み終えた。

 なるほど、と思う。


 王太子が審問会の混乱の中で悪役令嬢を抱えて退避した。

 その事実だけなら、どうとでも書ける。

 《王太子、魔女を匿う》では外聞が悪い。

 だから《保護拘束》。

 責任感と警戒心を同時に満たす、実に筋の良い編集だった。


「感心している場合か」


 低い声がして、扉が閉まる。


 ギルベルトだった。

 今日の彼は正装の上着を脱ぎ、シャツの袖口も乱れている。王太子としての見映えより先に、考えなければならないことが多すぎる顔だった。


「少なくとも、殿下はまだ跪いておられませんわね」


「何にだ」


「今朝の見出しに」


 ギルベルトは数歩進み、机を挟んで立ち止まった。


「……あれは、どういうことだ」


「どれを指しておいでです?」


「全部だ」


 吐き捨てるみたいな言い方だった。

 だがその中には、怒りだけでなく、ほとんど懇願に近い切実さが混じっている。


「馬車の件。茶会の件。今日の崩落。君は、なぜ知っていた。どうして私だけに合図した」


「信じたからですか?」


「分からないからだ!」


 珍しく声が荒れた。

 ギルベルトはそのことに自分で驚いたように息を止め、それから低く続けた。


「分からないから、聞いている。あれが偶然でないことくらい、もう私にも分かる」


 沈黙が落ちる。


 アリアドネは窓の外へ一瞬だけ目をやった。

 王宮の庭は静かだ。だがその静けさは、今日の出来事を整理できない人間たちの混乱の上に載っている。


「殿下」


 彼女はゆっくりと言った。


「わたくしは、未来そのものを支配しているわけではありません」


「では何だ」


「先に配られた物語を、少し早く読んでいるだけです」


 ギルベルトの眉間に皺が寄る。

 理解できないのではなく、理解したくない時の顔だ。


「……物語?」


「ええ。誰かが、明日の王都を読みやすい形に整えて配っている。皆さまはそれを“真実”だと信じて動く。だから書かれた通りの現実が出来上がる」


「馬鹿げている」


「そう思われるでしょうね」


「だが」


 彼はそこで言葉を切った。


「今の私は、その馬鹿げた話を笑えない」


 アリアドネはそこで初めて、彼をまともに見た。


 この男は正義に酔いやすい。

 だが同時に、一度自分の誤りを見つけたら、それを見なかったことにもできない。

 そういう厄介で、だからこそ使い道のある性質をしている。


「殿下は、新聞を信じておられた」


「……ああ」


「いえ、もっと正確に言えば、新聞に信じさせてもらっていた」


 ギルベルトが黙る。


「何が善で、何が悪で、誰を裁けば拍手が起こるか。新聞はいつも、殿下の立つべき位置を先に用意してくれていたのでしょう」


「君は容赦がないな」


「事実ですもの」


「その事実に、今の私は反論できない」


 彼は机へ片手をついた。

 視線はアリアドネから外さないまま、しかしどこか自分の足元を確認するような目つきで。


「では聞こう。君は、誰がそれをやっているか知っているのか」


「“誰か”ではなく、“どこ”なら」


「どこだ」


「王立瓦版局」


 ギルベルトは即座には返さなかった。

 昨夜の無断侵入をめぐって彼女を王宮へ呼びつけたのも、その瓦版局側からの正式告発だ。

 彼の中で、王立機関と王都の正義はほとんど同義だったはずだ。

 そこへ疑いの刃を向けろと言われて、簡単に頷けるはずもない。


「……証拠は」


「殿下は崩落の瞬間、わたくしの唇を見ましたわね」


「ああ」


「では、そのことを誰にも言っていないのに、どうして今日の号外には《密室にて尋問》などと載っているのでしょう」


 ギルベルトの目がわずかに鋭くなる。


 たしかにそうだ。

 彼がアリアドネをここへ移したのは、表向き保護拘束だが、実質は秘密裏の対話のためだった。

 なのに新聞は、まるでそれを最初から知っていたみたいに煽っている。


「……見られている、ということか」


「あるいは、最初からこの流れが必要だったか」


 アリアドネは立ち上がった。


「殿下。わたくしに必要なのは、庇護ではありません」


「なら何だ」


「流通です」


「流通?」


「紙、インク、版木、配送路、差し替えの時刻、そして誰の手で号外が走るのか。未来が神託ではなく印刷物なら、必ず途中に人の手がある」


 ギルベルトは黙っていた。

 王太子として聞くには俗すぎる話だろう。

 だが俗であることこそ重要なのだ。神秘を剥ぐには、まずそれが物として動いている場所を掴まなければならない。


「……私の権限を使えと?」


「そうです」


「ずいぶん当然のように命じる」


「殿下ももう、お気づきでしょう」


 アリアドネは真っ直ぐに言った。


「これはわたくし一人の断罪劇ではない。殿下ご自身が、見出しに飼われる側へ落ちるかどうかの問題です」


 その言葉のあと、しばらく誰も口を開かなかった。


 やがてギルベルトは、苦いものを飲み込むみたいに息を吐いた。


「……いいだろう」


 低い、だが明確な声だった。


「ただし条件がある」


「伺いましょう」


「君は私に、必要な時だけは先に知らせろ」


 アリアドネは少しだけ目を見開いた。

 それは信頼ではない。

 依存の入り口だ。


「予言者にでもおなりになるおつもりですか、殿下」


「違う」


 ギルベルトは首を振る。


「少なくとも、誰かが先に書いた正義の上で剣を振るう王太子には、もう戻りたくない」


 その一言で、アリアドネは彼を少し見直した。


 使える。

 まだ危ういが、使える。



 その夜、王太子権限で引き出されたのは、瓦版局の流通記録だった。


 配達時刻。

 印房から出る通常便。

 王宮直送便。

 号外専用便。

 そして、通常記録には載っていない、手書きで追記された配送欄がひとつ。


「これです」


 アリアドネが指先で示す。


「訂正版……?」


 ギルベルトが読み上げる。


「夜明け前、別経路にて配達。配達先一部秘匿」


「ずいぶん露骨ね」


「だが、この欄の責任者印がない」


「裏便だからでしょう」


 そのとき、扉の外から声がした。


「し、失礼いたします!」


 王宮の下働きに使われている配達見習いの少年が、緊張しきった顔で頭を下げる。

 ギルベルトが入室を許すと、少年は怯えながらも言った。


「お、おれ……じゃなくて、私、見たことがあります。その馬車」


「どこで」


「瓦版局の裏路地です。毎朝の配達が出るより前に、黒い幌の小さい荷馬車が先に出るんです。積んでるの、新聞だけじゃなくて……」


「何?」


 少年は唇を舐めた。


「インク樽です」


 アリアドネとギルベルトの視線がぶつかる。


 新聞を運ぶだけの裏便に、なぜインク樽が積まれるのか。

 答えはひとつだ。


 どこか別の場所で、差し替えをしている。


 アリアドネは静かに笑った。


「見つけたわ」


 その笑みに、ギルベルトは何か言いかけて、やめた。

 たぶん今の彼には、それが救いの顔にも、破滅の顔にも見えただろうから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ