第7話 魔女への告解
【明日の王都瓦版】
魔女アリアドネ、王宮審問会にてその罪を自白へ。
虚言と妖術で王都を惑わせた悪女、ついに神前で頭を垂れる――
王宮大審問室は、劇場によく似ていた。
段状の傍聴席。
高く設えられた壇。
人ひとりの罪を、できるだけ遠くまで見えやすく陳列するための構造。
違うのは、役者の意思で幕が上がるわけではないことくらいだ。
アリアドネは審問台の中央に立っていた。
頭上には巨大な円形天蓋。周囲には聖印を刻んだ白布。左右には法務官、記録官、聖職者。いずれも彼女を「聞く」ためではなく、「定義する」ために並べられた顔だった。
そして正面。
最上段の位置に、ギルベルト・フォン・アルツベルク。
王太子の外套は今日も隙なく整えられている。だがその顔色は、この場の誰より悪かった。
今朝の紙面に刷られていたのは、《魔女アリアドネ、自白へ》。
つまり彼は今日、彼女を断罪する側の中心に立たされている。
そのくせ、おそらく彼はもう知っている。
新聞に書かれた「正義」の側に立つことが、必ずしも正しいとは限らないことを。
「アリアドネ・エルディアン」
中央聖職者の声が室内へ冷たく響く。
「汝に問う。汝は王立瓦版局へ無断侵入し、王都の秩序を乱し、王族を惑わし、さらには未来を騙ることで群衆を扇動したとされる。これに異議はあるか」
異議はいくらでもある。
だが、それを順番に述べて理解してもらえるような会ではない。
ここは審問ではなく、見出しの確認作業だ。
「侵入したことについては認めますわ」
ざわめきが走る。
アリアドネはそれを聞き流した。
「ただし、騙ってはおりません。扇動もしておりません。わたくしがしたのは、書かれた筋に従わなかったことだけです」
「ほう」
聖職者が唇を歪める。
「書かれた筋、とは?」
喉がひりつく。
言えない。
未来記事の具体を語ろうとするだけで、焼けるような痛みが喉奥へ走る。
アリアドネは表情を動かさず、代わりに正面のギルベルトを見た。
彼は微動だにしない。だが青い瞳の奥に、昨夜より深い疲労が沈んでいた。
見たくないものを見始めた人間の目だ。
そしてそのとき、アリアドネは気づいた。
天井だ。
円形天蓋の継ぎ目のひとつに、わずかな黒ずみがある。
煤ではない。火薬か、あるいは魔導式の焼け跡。
今日の紙面には自白しか書かれていなかった。けれど、紙面に書かれない破滅が消えたわけではない。
――来る。
アリアドネはまっすぐギルベルトを見つめ、声を出さずに唇だけを動かした。
このあと、天井が崩れます。
王太子の顔色が、音もなく変わった。
彼は昨日、彼女の無音の予告と、その後の白紙化を見ている。信じたくはない。だが、信じないで済ませられる段階でもない。
「……っ」
ギルベルトの手が椅子の肘掛けを掴む。
傍目には不自然な動きだろう。だが、彼は今、初めて自分の判断で“見出しの外の危険”へ身体を向けた。
「アリアドネ・エルディアン!」
聖職者が声を強めた。
「問いに答えよ!」
「ええ、答えていますわ」
アリアドネは壇上から目を逸らさなかった。
「わたくしはただ、皆さまより少しだけ、この国の舞台装置に興味があっただけです」
「不遜な……!」
聖職者が叩いた杖の音と、爆ぜる音はほとんど同時だった。
ばきん、と。
天蓋の継ぎ目が裂ける。
白布が裂け、石材がひび割れ、頭上から粉塵が降る。
一拍遅れて、悲鳴。
「伏せろ!!」
叫んだのはギルベルトだった。
彼は壇を蹴って飛び降りた。
審問席の誰より早く、まっすぐ中央へ。
自分が王太子らしく見えるかどうかではなく、アリアドネのいる場所へ向けて。
轟音。
天井の一部が崩落し、審問台が半ばから砕ける。
聖職者たちが後ずさり、傍聴席が雪崩のようにざわめく。白い粉塵が視界を埋め、誰かの悲鳴と祈りの声が混ざった。
アリアドネは腕を引かれ、半ば乱暴に抱え込まれる形で床へ伏せた。
落ちてきた石片が、すぐ脇を掠める。
「……っ、殿下」
「黙れ」
耳元で、低く震える声。
「今は、黙っていろ」
粉塵の向こうで、さらに二度、小さな破裂音がした。
事故ではない。
誰かが崩落を仕込んでいたのだ。アリアドネへ罪を着せるつもりで。あるいは、ここで彼女ごと何かを葬るつもりで。
やがて大きな揺れが収まり、粉塵の幕が少しずつ薄くなる。
咳き込む声。
負傷者を呼ぶ声。
そして、その混乱の中心で。
ギルベルトが、アリアドネの胸ぐらを掴んだ。
その目は、怒りではなかった。
まして恋でもない。
完全な、畏怖だった。
「君は……」
彼の声はかすれている。
「君は一体、何者なんだ。なぜすべてを知っている」
アリアドネはその問いに、すぐには答えなかった。
答えられない、とも違う。
ここで言葉を選び損ねれば、彼は二度とこちら側へ来られないと分かっていたからだ。
「わたくしは」
喉の焼ける痛みを避けるように、ゆっくりと言う。
「殿下より少しだけ、見出しの読み方を知っているだけです」
そのときだった。
袖の中の瓦版が、熱を持った。
アリアドネはそっと紙を開く。
さっきまで《魔女アリアドネ、自白へ》と刷られていたはずの一面が、粉塵の中でぐにゃりと歪み、新しい見出しへ変わっていく。
【瓦版更新】
王太子、魔女の軍門に降る。
崩落の中で交わされた密約、王都の秩序はいよいよ混迷へ――
アリアドネは紙面から顔を上げた。
正面の破れた白布の向こう。
粉塵の揺れる光の中で、リーゼロッテが立っていた。
誰にも気づかれない距離から、こちらを見ていた。
その唇に浮かぶのは笑みではない。
自分の書いた場面が思ったより面白い転び方をした時の、あの子どもじみた興奮だ。
そして彼女は、小さく拍手をした。
まるで、第一幕がようやく終わったことを祝うみたいに。




