表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/30

第22話 亡霊は朝刊を差し替える

【明日の王都瓦版】

死んだはずの悪役令嬢、王都北区に出現。

亡霊か偽装か――市井に新たな不安走る。


 死者には、二種類いる。


 墓へ入った者と、本文の外へ落ちた者だ。


 旧瓦版局の搬入路を抜けた先、誰にも使われなくなった組版室で、アリアドネは奪ってきた初稿束を床へ広げていた。煤けた窓、折れた活字棚、乾いたインクの匂い。どれも終わった場所のはずなのに、ここだけは未来の残骸で息をしている。


 《アリアドネ死亡》

 《王太子沈黙》

 《リーゼロッテ慰撫》

 《王都平穏回復》


 並べれば、ひどく分かりやすい筋だった。

 悪役が死に、王子が黙り、聖女が癒やし、国が安堵する。

 人が安心するための配置としては、ほとんど完璧に近い。


「胸が悪くなりますわね」


 アリアドネは自分の死亡初稿を指先で弾いた。

 紙は軽い。だが軽いものほど、よく人を埋める。


 ヨハンが鼻を鳴らす。


「で、どれを使う」


「全部ですわ」


 即答すると、クララが目を丸くした。


「全部!?」


「ええ。向こうは一つの筋で人を黙らせる。ならこちらは、筋が一つではないことを、読者の目に押し込むしかありませんもの」


 アリアドネは奪った束の中から、さらに薄い一冊を抜き取った。

 表紙には《整合表》とだけある。


 何時に、どの版を、どの区画へ、どの順番で流せば、どんな噂が最も増幅するか。

 王都は出来事によって動いているのではない。配布順によって感情の流れを設計されていたのだ。


「……本当に街そのものを組版してたんですね、あの人たち」


 クララの呟きに、アリアドネは頷いた。


「ええ。だから奪うのは真実だけでは足りません。配る順番まで奪わなければ」


 今夜の狙いは単純だった。

 公式版の《アリアドネ死亡》を、三つの区画でだけ別の文面へ差し替える。

 北区には《悪役令嬢目撃》、東区には《死亡確認できず》、南区には《遺体移送記録に不備》。

 たった三種でいい。矛盾を一つの朝へ滑り込ませれば、人は初めて「同じ朝刊が皆に届いていない」事実に触れる。


「でも、お嬢さま」


 クララが不安そうに言う。


「見つかったら、ほんとに亡霊扱いですよ……?」


「好都合ですわ」


 アリアドネはフードを被り直す。


「死者は顔を見られても、確認されにくいもの」


 王都の配達路は、夜半以降だけ別の顔を持つ。

 石畳の裏道。洗濯屋の裏門。教会脇の荷馬車止め。昼には目立たない小さな通路を、夜の瓦版だけが滑っていく。


 整合表がある以上、道は読めた。

 どこで袋が積み替えられ、どこで検めが甘くなり、どこで見習いが居眠りするかまで、まるで都市の弱点図みたいに記されている。


 北区の集配所で、アリアドネは初めて自分の死亡記事と向き合った。

 袋のいちばん上に、きれいに揃えられた紙束。自分が死んだ朝のために、あまりに整然としている。


「いい趣味ですこと」


 そう呟きながら、彼女は上から三十部だけを抜き取り、代わりに《悪役令嬢北区に出現》の差し替え版を滑り込ませた。

 たったそれだけで、明朝の北区には別の恐怖が走る。死んだ女が歩いている、という恐怖ではない。朝刊が一致していない、という恐怖だ。


 東区では、教会筋の運び手とすれ違った。

 白い外套の青年が、アリアドネの横顔を見て、凍りつく。


「……あなたは」


「お静かに」


 彼女は人差し指を唇に当てた。


「死者を大声で呼ぶものではなくてよ」


 青年は悲鳴も上げられず、壁へ背を押しつけた。その隙に、クララが袋を入れ替える。恐怖は便利だ。問いを挟む時間を消してくれる。


 最後の南区は難所だった。

 旧染料倉庫脇の中継所には、リーゼロッテ側の見張りが増えていたからだ。


「お嬢さま、あれ……」


 クララが息を潜める。

 白い灯りの下、見張りの机にはすでに別版が積まれている。しかも、表紙に赤い校正線。


「向こうも読んでますわね」


 アリアドネは目を細めた。

 こちらが死を利用して動くことまで、リーゼロッテは半ば織り込み済みなのだろう。

 だが織り込んでいるなら、逆にそこへ癖が出る。


 机上の整合表を一瞥し、彼女はすぐ理解した。

 南区には最初から“矛盾を吸収する版”が配られる予定だった。死亡確認は曖昧に、だが遺体管理は厳重に――つまり、死体の有無が話題になっても、最終的に《王宮管理下》へ収束するよう組まれている。


「だったら、そこを外します」


 アリアドネは袋を丸ごと差し替えなかった。

 代わりに、いちばん後ろの欄外記事だけを抜いた。市井は一面だけを読むが、役人と商人は欄外を読む。遺体移送に必要な通行印と時刻の欄を消せば、実務の側から記事が崩れる。


 夜明け前、三人が旧組版室へ戻る頃には、東の空がわずかに白み始めていた。


「これで……本当に変わるんでしょうか」


 クララが掠れた声で言う。


「ええ」


 アリアドネは、インクで汚れた指を見つめた。


「人は一つの嘘には従えます。でも、同じ朝に三つの嘘を渡されると、初めて自分で照らし合わせ始める」


 その時、ヨハンが窓辺で低く唸った。


「来たぞ」


 通りの向こう。まだ朝靄の残る石畳で、瓦版売りたちが一斉に声を張り上げ始めている。だが、その文句が揃わない。


「悪役令嬢、目撃!」

「いや、死亡確認できずだ!」

「遺体記録に不備ありだとよ!」


 声が割れ、足が止まり、人が互いの紙面を見比べる。

 それだけで十分だった。

 一つの見出しに流れていた群衆が、初めて横を向く。


 アリアドネは息を吐いた。

 勝ったわけではない。まだ、ほんの入口だ。

 だが入口さえ開けば、人は出られる。


 直後、集配路を駆けてきた見習いが、転ぶようにして新しい号外を掲げた。


【瓦版更新】

死んだはずの悪役令嬢、王都各地で同時目撃。

王宮、偽装と断定――ただし遺体確認記録は非開示。


 アリアドネはその最後の一行を見て、静かに笑った。


「ほら」


 非開示。

 ついに王宮の側が、“説明しないこと”を本文に書かされた。


「死者はもう、好きに要約されるだけでは済みませんわ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ