第16話 忠誠は壇上で処刑される
【明日の王都瓦版】
王太子ギルベルト、父王へ公開忠誠宣誓。
建国祭騒擾を受け、王家は結束を示す――
人は裏切りを恐れるくせに、忠誠の見世物は好きだった。
建国祭の翌朝、王宮前の大広場は昨日より静かで、昨日より残酷だった。
露店は消え、旗だけが残っている。祝祭の飾りがまだ片づいていないせいで、これから始まるものまで祝典の続きに見えてしまうのが最悪だった。
「趣味が悪いですわね」
馬車の窓からひな壇を見上げ、アリアドネは言った。
中央には父王の玉座。
その一段下に、王太子が立つための白線。
さらに左右には大司教と重臣たち。誰が見ても意味の分かる配置だ。
王は高く、息子は低く。
国は見ている。
そして“見られている者”が、何を言っても遅い構図。
「これ、ほんとうに行かせるんですか……」
クララが顔を引きつらせる。
「行かないほうが記事になるわ」
アリアドネは短く答えた。
昨夜の号外――《王太子、父王を殺害》――は、未遂の事実によって消えなかった。むしろ「本当にそうするつもりだったのではないか」という疑念の足場を得て、王宮内外へ根を伸ばし始めている。
だから国王は、公開の忠誠宣誓を用意した。
息子に跪かせ、頭を垂れさせ、群衆の前で「私は父に従う」と言わせるために。
だがそれは、疑いを晴らす儀式ではない。
疑われた事実を永久保存する儀式だ。
馬車を降りると、ギルベルトが待っていた。
今日は儀礼服だが、剣はない。王命で外されている。
「顔色が悪いですわよ、殿下」
「君に言われると、慰めなのか侮辱なのか分からんな」
「両方です」
彼は鼻で笑い、それからひな壇を見た。
「父上は私に、民の前で忠誠を誓えと言った。否めば記事を認めたことになる。誓えば、記事に屈したことになる」
「ええ。よくできた二択ですこと」
「君ならどうする」
アリアドネは一拍考え、彼の胸元へ視線を落とした。
「誓ってください」
ギルベルトが目を見開く。
「ただし、殿下の言葉ではなく、殿下の条件で」
「……条件?」
「忠誠とは、片方だけが証明するものではありませんもの」
彼女はそこで声を低くした。
「跪く前に、父王陛下にも一つだけ約していただくのです。昨夜の襲撃に関する原記録、近衛の配置転換記録、そして早刷り号外の印刷命令書を、王太子府へ開示すること」
「そんなもの、父上が人前で受けると?」
「受けなければ、誓わせる資格が揺らぎます」
ギルベルトは黙った。
彼はもう知っている。アリアドネの策はたいがい不親切だが、的外れではない。
「……また綱渡りだな」
「落ちる時は、派手に落ちましょう」
その言い方に、彼はほんの少しだけ口元を緩めた。
やがてラッパが鳴る。
広場中の視線が壇上へ吸われた。
国王が現れる。大司教が立つ。典礼官が長々と前口上を読み上げる。
王家の安寧。建国の理念。昨夜の不逞の徒。忠誠。秩序。信義。
意味より先に重さで人を屈服させる言葉ばかりだ。
ギルベルトが白線の上へ進む。
「我が子ギルベルト」
父王の声は、よく通った。
「昨夜、そなたは危地にあって王を守った。だが同時に、王都には不吉な記事がばら撒かれ、民心は乱れた。ゆえに今ここで、そなたの忠誠を民へ示せ」
広場が息を潜める。
見たいのだ。王太子がどれほど深く頭を垂れるかを。
ギルベルトは片膝をついた。
石の冷たさが布越しに伝わる。
それでも彼は、今朝までの自分よりずっとましな顔をしていた。従わされる屈辱を知ったうえで、それを別の刃へ変える覚悟の顔だ。
「父王陛下」
王太子の声が、静かに響いた。
「私は王家の一員として、この国の秩序へ忠誠を誓います」
ここまでは予定通り。
だが次の一文で、空気が変わった。
「ゆえに陛下にもお願い申し上げます。昨夜の襲撃に関する原記録、近衛の配置転換記録、ならびに早刷り号外の印刷命令書を、王太子府へ開示ください」
広場がざわつく。
重臣の列が揺れた。大司教が露骨に眉をひそめる。
国王の沈黙は短かった。だが、その短さで十分だった。
人は雄弁な拒絶より、一瞬の間に本音を見る。
「……いまは民心安定が先である」
父王は言った。
「記録の精査は、後ほど王宮内で行う」
「後ほど、では遅いのです」
ギルベルトは顔を上げた。
昨日までの彼なら、群衆の前で父へ逆らうこと自体ができなかっただろう。
「見出しは、待ってくれません。早く読まれたものから、先に正義になる」
その言葉に、広場のあちこちでざわめきが走る。
昨日アリアドネが突きつけた問いが、今度は王太子の口から繰り返されたからだ。
「昨夜、私は父を守りました」
彼は続ける。
「だが守った事実より先に、《父殺し》の見出しが王都を走った。ならば問うべきは、私の忠誠よりまず、その紙がどうやって王より早く動いたのかです」
ざわめきがさらに大きくなる。
正義の王子が、正義の手順そのものを疑っている。昨日までの王都なら、ありえない光景だった。
父王の眼差しが冷える。
「王太子」
「陛下。忠誠とは、疑いを飲み込むことではない。真実を確かめる権利ごと差し出すことでもないはずです」
誰もが感じた。これは忠誠宣誓ではない。公開の査問だ、と。
典礼官が割って入り、声を張る。
「王太子殿下は混乱のさなかにお心を乱しておられる! 本日の儀はこれにて――」
「お待ちなさい」
アリアドネが壇下から声を上げた。
群衆の視線が一斉に彼女へ向く。王に許されぬまま女が口を挟む、それだけで十分な不敬だった。
「昨夜の早刷り号外が、誰の命で何部刷られたのか。それが明らかになれば、殿下の忠誠など見世物にせずとも済みましょうに」
「黙れ、エルディアン令嬢!」
「なぜですの?」
アリアドネは首を傾げる。
「忠誠は確かめよと仰るのに、印刷命令だけは確かめてはならないのですか」
群衆の一部から、押し殺したような笑いが漏れた。
権威は滑稽さに弱い。
その瞬間、ひな壇脇に控えていた書記官が一人、青い顔で紙束を抱え直した。早刷りだ、とアリアドネは気づく。演説の途中で配るつもりだった、新しい筋書き。
父王が玉座の肘掛けを叩いた。
「十分だ」
その一声で近衛が動く。
だが捕らえられたのはアリアドネではなく、ギルベルトの両脇だった。
「王太子ギルベルト」
王は言い渡す。
「そなたはしばし謹慎し、心を鎮めよ。王都がこれ以上の混乱を要する時ではない」
広場がどよめく。
謹慎。柔らかい言葉だ。だが実質は幽閉に近い。
ギルベルトは立ち上がりかけ、しかし踏みとどまった。
ここで抗えば、それこそ記事の続きになる。
代わりに彼は、壇下のアリアドネを見た。
その青い瞳には、怒りより先に理解があった。
そうか。
これが次の見出しか、と。
群衆へ向けて配られ始めた昼刷りを、クララがひったくるように一枚取ってくる。
「お嬢さま……!」
アリアドネは紙を開いた。
【瓦版更新】
王太子ギルベルト、深慮のため宮内謹慎。
昨夜の不吉な記事、なお消えず――
活字はやけに整っていた。
人を閉じ込める記事ほど、印字は美しい。
アリアドネはその紙面を折りたたみ、静かに笑った。
「殿下」
近衛に囲まれたギルベルトへ、届くか届かないかの声で言う。
「おめでとうございます」
彼が眉をひそめる。
「いま正式に、“使われる側”へ落ちられましたわ」




