表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
17/30

第17話 赤版は血の名簿を刷る

【明日の王都瓦版】

宮内謹慎の王太子、側近粛清へ。

反逆の芽を摘むため、近衛および諸家に再編成命令――


 疑いは、いったん制度の言葉を得ると、ずいぶん上品な顔をする。


 王太子の宮内謹慎が布告された朝、王宮の回廊は妙に整然としていた。

 誰も声を荒らげない。誰も露骨に騒がない。だが、兵の持ち場が変わっている。扉の前に立つ顔ぶれが違う。昨夜までギルベルトに従っていた者が、今朝は外され、代わりに国王直轄の近衛が要所を押さえている。


 粛清という言葉を使わずに、粛清はできる。


「殿下付きの第三隊長、今朝のうちに謹慎ですって」


 クララが市場で拾った噂を持ち帰るように囁く。


「第五隊の書記官も。理由は『配置上の不手際』」


「便利な罪状ね」


 アリアドネは、王太子府の仮執務室へ運び込まれた帳面をめくっていた。


 ギルベルトは実質的な軟禁下にある。会える人間も限られ、文書の出入りも検分される。だが完全ではない。父王はまだ、息子を露骨な囚人にはできない。そこに隙がある。


「昨夜の襲撃で、近衛の当番表が差し替わっていました」


 机の向こうでギルベルトが低く言う。


「第三隊が本来つくはずの西塔外縁に、なぜか第五隊がいた」


「そして今朝、第三隊長は不手際で謹慎」


 アリアドネは帳面から目を上げる。


「ずいぶん、よくできたあと片づけですこと」


 彼は疲れた顔をしていたが、瞳だけは昨日より冷えていた。

 父に守られる王子の目ではない。父の演出を読み始めた当事者の目だ。


「近衛の異動記録は半分しか残っていない」


「半分あれば十分ですわ。隠された半分の形は、残った空白で分かる」


 その時、王太子府の古参書記が、血の気の引いた顔で入ってきた。


「殿下……これを」


 差し出されたのは、封蝋のない薄い包みだった。

 中から出てきた紙を見た瞬間、アリアドネは眉を寄せた。


 赤い。


 朱ではない。版木の顔料でもない。

 もっと濁って、乾きかけた色。見間違えようがなかった。


「……血」


 クララが小さく息を呑む。


 紙面の上部に、小さく刷られている。


【赤版】

王都安定化のための要注意名簿。


 その下に並ぶのは事件ではなく、人名だった。

 第三隊長。第五隊書記官。王太子府の侍従。北門の瓦版売り。職人街の証人。そして――エルディアン家の御者の名まである。


「これは……瓦版ではない」


 ギルベルトの声が低く沈む。


「ええ」


 アリアドネは紙を指で弾いた。


「これは未来予告ではなく、処分予定表です」


 誰が危険かを知らせるための紙ではない。

 危険だと“してしまう”ための紙だ。


「どこから出た」


 ギルベルトが書記へ問う。


「分かりません。ただ、近衛の兵舎裏で若い従卒が怯えておりまして……『配られたら終わりだ』と」


 終わりだ。

 その言い方がすべてだった。名簿に載った時点で、もはや本人の弁明や無実は問題にならない。周囲がその人物を避け、監視し、やがて何かあった時に“やはり”と言う。そのための紙。


「王都瓦版の亜種ではありませんわ」


 アリアドネは呟く。


「もっと内輪で、もっと実務的。読者ではなく執行者に向けた版……これが赤版」


 母のノートにあった一節が脳裏をかすめた。

 白版は空白で群衆を飢えさせる。黒版は不明で口を塞ぐ。赤版は血で命令を簡略化する。


 つまり、王家は見出しだけで人を殺すのではない。

 見出しの下に、殺す順番まで持っている。


「殿下」


 アリアドネは顔を上げた。


「この名簿、どこまで回っていると思われます?」


「近衛と教会、それに一部重臣だろう」


「なら、今日中に載った者が消え始めます」


 クララが青ざめる。


「そんな……名簿に載っただけで?」


「名簿に載せたからこそ、です」


 アリアドネは紙面を折る。


「人は理由があるから疑うのではなく、疑ってよい許可があるから疑うのよ」


 沈黙ののち、ギルベルトが言った。


「君に頼みたい」


 彼は自分の指から王太子の印章付きの指輪を外した。

 まだ若い指に馴染んでいたそれが、机上へ置かれる。


「これを持って動いてくれ。王太子府の倉庫、文書庫、伝令路、必要なら私の名で開け」


 クララが息を呑む。

 王太子の印章は、ただの飾りではない。命令の形だ。


「殿下」


 アリアドネはその指輪を見つめた。


「わたくしを、殿下の代筆者にするおつもり?」


「違う」


 ギルベルトは首を振った。


「私の代わりではない。私にはもう、見えていない場所が多すぎる。だが君は見ている。なら、見えている者が動くべきだ」


 彼の言い方は、不器用なくせに正確だった。

 権力を貸すのではない。視界の主導を渡すのだ。


 アリアドネは指輪を取った。


「承りましたわ」


 その冷たい金属の重さが、妙に現実的だった。


 午後、彼女とクララは王太子府の印章を使い、近衛補給庫の裏帳簿を開いた。

 そこには不自然な出庫記録が並んでいる。紙、封蝋、緘封袋。そして赤い顔料――ではなく、医務室から移された保存血。


「顔料じゃなかった」


 クララの声が震える。


「最初から血で刷るつもりだったんですね……」


「ええ。恐怖は、比喩より実物のほうが早いもの」


 さらに奥の棚から、未配布の赤版束が見つかった。

 その最上段の紙をめくった瞬間、アリアドネの瞳が細まる。


 次の名簿には、今朝より多くの名前があった。

 そして末尾に、新しい一行。


 ――エルディアン公爵、今夜、内通の嫌疑により拘束予定。


 クララが声を失う。


「お嬢さま……旦那さまが……」


 アリアドネは一度だけ目を閉じた。

 父を好いているわけではない。あの人は強い人ではないし、母の死についても多くを語らなかった。だがだからといって、紙一枚で消されていい人間でもない。


 さらに束をめくる。

 次頁には捕縛後の移送先、聴取役、証言を作るための参考文句まで並んでいた。

 ここまで来ると新聞ですらない。現実へ印を押すための事務書類だ。


「……殿下」


 アリアドネは低く言った。


「これはもう、未来を先に読む装置ではありません。未来を先に決めて、あとから人を合わせる装置です」


 ギルベルトの頬が硬くなる。


「父上は、ここまで……」


「お一人とは限りませんわ」


 アリアドネは赤版を畳んだ。


「王が一番上にいても、紙を回す手は他にもある。だから厄介なのです」


 王太子府を出る間際、背後で鐘が鳴った。

 夕刻の鐘にしては、不吉なほど急いている。


 門前で瓦版売りが新しい紙を叫んでいた。


【瓦版更新】

反逆の芽、なお王都に潜伏。

公爵家筋にも内通の影――


 記事はもう、エルディアン家へ伸びてきていた。


「帰るわよ、クララ」


「でも、殿下は……」


「だからこそです」


 アリアドネは赤版を束ごと抱えた。


「王家が見出しで人を殺すなら、まずはわたくしが、その順番を奪います」


 獲物のように追われる側ではない。

 狩りの順番表を奪った側の声で、彼女は笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ