第13話 王太子、父王弑逆
【明日の王都瓦版】
王太子ギルベルト、父王弑逆。
本日深更、王宮にて血の簒奪始まる――
号外は、祝祭の余韻をいちばん汚く裂いた。
さっきまで建国祭の広場を埋めていたのは、戸惑いと、考えることを強いられた沈黙だった。
けれど《王太子、父王弑逆》の見出しが撒かれた瞬間、その沈黙はもっと単純な熱へ変わる。
ざわめき。悲鳴。怒号。
人は複雑な問いより、分かりやすい不吉に飛びつく。
「殿下をお下がりさせろ!」
近衛が一斉に動いた。
広場のあちこちで「王殺し」「まさか」「違うだろう」という断片的な叫びが飛び交う。否定も疑念も混じってはいるが、どちらにせよもう“記事を読んだあとの空気”だ。誰も無傷ではいられない。
ギルベルトは手の中の号外を見つめたまま、しばらく動かなかった。
あまりにも鮮やかな悪意だった。つい先ほどまで壇上で「見出しだけで人を裁くな」と言った当人を、次の見出しで王殺しに仕立てる。まるで王都じゅうへ向けた見せしめだ。
「殿下」
アリアドネが低く呼ぶ。
「ここで立ち尽くしていると、記事の続きを皆が勝手に書き始めます」
その一言で、ギルベルトはようやく顔を上げた。
「……続きを?」
「ええ。王太子は青ざめた。逃げた。動揺した。図星だった。いくらでも都合のいい本文が増えるでしょう」
彼の喉がかすかに鳴る。怒りではなく、冷水を浴びせられた時のような硬直だった。
「では、どうしろと言う」
「父王陛下のもとへ」
アリアドネは即答した。
「記事が出た以上、今夜は二つに一つです。本当に誰かが陛下を殺しに来るか、あるいは“殺されかけたこと”にして殿下を利用するか」
ギルベルトの青い瞳が細まる。
「……君は、本当にそう思うのか」
「思う、ではありません。そう読むのです」
彼はもう反論しなかった。
広場の混乱を背に、王太子と悪役令嬢は護衛を引き連れて王宮へ引き返す。皮肉な組み合わせだった。今朝までなら、誰もこの並びを正義とは呼ばなかっただろう。
☆
王宮はすでに騒然としていた。
建国祭の場で号外が撒かれた以上、王宮へ戻る頃には話が十分に先回りしている。廊下を走る近衛、ざわつく侍従、重臣たちの早足。誰も彼も、まだ何も起きていない深更の流血を、先に自分の頭の中で再生し始めている。
「父上はどこだ」
ギルベルトの問いに、執務侍従が青い顔で答える。
「西塔の執務室に。ですが、本日の面会はすべて――」
「私が行く」
言い切る声に、王太子としての威が戻る。だがアリアドネはそれを横目で見ながら、胸の奥で別のことを考えていた。
西塔。
今夜の紙面が本当に“起こしたい未来”を指しているなら、刺客はそこへ来る。けれど、単なる暗殺では弱い。ギルベルトが父を殺したように“見える構図”が必要だ。
「殿下」
石段を上がりながら、アリアドネは低く言った。
「剣は抜かないでください」
「は?」
「どれだけ危険でも、先に剣を抜いた時点で記事は半分勝ちます。必要になるまで、絶対に」
彼は舌打ちしそうな顔をしたが、頷いた。
西塔の執務室前は、表向き静かだった。
静かすぎる、というべきかもしれない。普段なら立っているはずの侍従が一人いない。窓の留め金も、ほんのわずかにずれている。
「下がって」
アリアドネが囁いた直後、硝子が割れた。
夜気と同時に、黒い影が二つ、三つ。
刺客だ。
最初の一撃はまっすぐ国王の背へ向かった。だがその前に、ギルベルトが身を投げ出す。剣は抜かない。代わりに執務机を蹴り、進路をずらす。刃が机上の燭台を弾き、火花が散った。
「誰だ!」
国王が怒鳴る。返事はない。
第二の影が王の左から回り込む。その瞬間、アリアドネは窓辺のカーテンを引き倒した。厚布が視界を塞ぎ、刺客の動きがわずかに鈍る。その一拍の隙に近衛が雪崩れ込んだ。
金属音。
誰かのうめき声。
短い乱戦ののち、刺客の一人が取り押さえられ、残りは窓から身を躍らせて夜へ消える。
静寂が戻るまで、ほんの数十秒しかかからなかった。
けれどその数十秒で十分だった。
もしギルベルトが剣を抜き、もし血に染まった刃を持って父の傍に立っていれば、たとえ刺客を退けても《王太子弑逆》の絵は完成していた。
アリアドネはゆっくり息を吐く。
間に合った。
「……君がいなければ、危なかったかもしれんな」
そう言ったのは国王だった。
礼を言っているようにも聞こえる。けれどその目には感謝より先に、計算があった。
王は散らばった書類と倒れた椅子を一瞥し、それから床に落ちた号外を拾い上げる。
《王太子ギルベルト、父王弑逆》。
刷られたままの不吉な見出し。
「父上」
ギルベルトが低く言う。
「ご無事で何よりです」
「無事、か」
国王はその紙面を見つめたまま、ふっと鼻で笑った。
「刷られた以上、その記事には利用価値がある」
ギルベルトが息を止める。
アリアドネは、何も言わなかった。
言わなくても分かる。王は今、命を狙われたことより、その事件がどんな見出しに使えるかを先に測っている。
「父上……いま、何と」
「聞こえただろう」
国王は視線を上げた。その顔には、助けられた者の安堵も、息子への情もない。
「未遂でもよい。王太子が父王弑逆の見出しを浴びた事実は残る。恐れは支配に使える。敵の炙り出しにもな」
ギルベルトの顔色が、号外を見た時とは別の意味で白くなる。
アリアドネはその横顔を見て、静かに理解した。
いま壊れたのは、王宮の窓ではない。
彼の中に最後まで残っていた「父は少なくとも国家の正義を信じているはずだ」という幻想だ。




