第12話 聖女か魔女か
【明日の王都瓦版】
建国祭、王都の秩序回復へ。
教会、揺らぐ民心を鎮めるため特別声明――悪役令嬢アリアドネも壇上出席か。
建国祭の広場は、祈りと見世物の中間みたいな空気をしていた。
王都中央大路の突き当たり。
王宮と大聖堂の正面をつなぐ大広場には、祝祭用の白布が渡され、花輪が飾られ、聖歌隊が整列し、露店まで出ている。
見た目だけなら、まったく穏やかな年中行事だ。
だがその穏やかさの下にあるざわめきは、布一枚で隠せるほど薄くない。
崩落事件。
婚約凍結。
裂けた朝刊。
王都大火の誤配と白紙版。
皆、落ち着きたいのだ。
そして落ち着くためには、「結局どれが正しかったのか」を誰かに宣言してもらわなければ困る。
自分で考えたくない不安ほど、人は荘厳な舞台で片づけたがる。
その中心に、アリアドネは立たされていた。
白い石壇。
左右に聖職者。
少し離れて王族席。
正面には、王都じゅうの視線。
まるで人間一人を、都市の注目で磔にするための配置だった。
「……すごい見られ方ですね」
隣でクララが青ざめたまま囁く。
「ええ。愛されるよりは、まだ慣れているわ」
「慣れたくない種類の注目ですよこれは……!」
アリアドネは返答の代わりに、袖の内側へそっと指を滑らせた。
そこには今朝の瓦版がある。
《建国祭、秩序回復へ》。
なんとも都合のいい見出しだ。今日ここで、誰かが“秩序が戻ったように見える”言葉を掲げる気なのだろう。
やがて、鐘が鳴る。
中央壇の上へ、大司教が進み出た。
年老いた男だが、その声はよく通る。長年、人々の不安へ「意味」を与え続けてきた声だった。
「王都の民よ」
静まり返った広場へ、ゆるやかな響きが広がる。
「ここしばらく、我らの街には多くの混乱があった。裂けた見出し、崩れた石壁、乱れた人心。だが神の秩序は常に一つである」
アリアドネは目を伏せ、口元だけで笑いそうになった。
そう。
皆、一つを欲しがる。
たとえ現実がどれほど複雑でも、最後には一つの意味、一つの悪、一つの正義へ畳みたがる。
「ゆえに本日、この建国祭の場において、教会は迷える民へ示す」
大司教の杖が石壇を打つ。
「何が真に王都を乱し、何が王都を守るものであるかを」
ざわめきが膨らむ。
群衆は待っている。
決めてほしいのだ。
アリアドネが魔女なのか、それとも違うのか。
いや、本当はもっと単純で、自分が明日から誰を睨めばいいのかを知りたいだけなのかもしれない。
「まず、王太子ギルベルト・フォン・アルツベルク殿下」
大司教が呼ぶ。
ギルベルトが壇上へ進む。
今日の彼は儀礼服をまとっているが、以前のような“正義の王子”の顔ではない。
重みを知った顔だ、とアリアドネは思った。
「殿下。あなたは崩落の場に居合わせた。王都を乱したものが誰か、お考えを」
広場中の目が、彼へ集まる。
ここで彼が「アリアドネこそ混乱の源だ」と言えば、秩序はあっという間に回復した“ことになる”だろう。
王太子の言葉と教会の権威が重なれば、十分に一つの見出しになる。
ギルベルトは、しかしすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、群衆がざわつく。
王太子は迷わない存在であってほしいのだ。
迷っていると分かるだけで、人々は不安になる。
「私は」
やがて彼が口を開く。
「崩落の場にいた。だが、誰が王都を乱したかという問いに、一つの名だけで答えるつもりはない」
ざわめきが一段大きくなる。
大司教の眉がわずかに動く。
「殿下、それは」
「私は今まで、刷られた見出しを、そのまま正義と信じてきた」
広場の空気が、音もなく張る。
アリアドネは息を止めた。
そこまで言うのか、と。
「だがこの数日で知った。見出しは、時に事実より先に人を動かし、人を裁き、人を怯えさせる。ならば王都を乱したのは、誰か一人の悪意だけではない。読まずに信じた私も、その一部だった」
その瞬間、広場のざわめきは驚きへ変わった。
王太子が、自分を加害の側へ入れた。
それだけで、舞台の脚本が少し狂う。
大司教は杖を強く打った。
「殿下、それは民心をさらに混乱させますぞ」
「混乱を隠すために、また一つの名へ罪を押しつけるほうがよほど危うい」
「では、あなたはアリアドネ・エルディアンを無罪と仰るのですかな」
問われて、ギルベルトは一瞬だけアリアドネを見た。
その視線は助けを求めていない。
自分で選ぶ前の確認に近かった。
「私は」
彼は言う。
「少なくとも、見出しだけで彼女を断じることはしない」
大司教の顔から、儀礼的な穏やかさが一枚剥がれた。
好都合だった。
アリアドネは、そこで一歩前へ出る。
「でしたら、わたくしからも一つ、皆さまにお見せしてよろしいでしょうか」
広場がざわめく。
大司教が制止の言葉を発するより先に、アリアドネは袖から三種類の瓦版を取り出した。
「これが、同じ朝に王都へ配られた三つの朝刊です」
右手に通常版。
左手に差し替え版。
そして白版。
「一つは、わたくしの家を火元と断じました。一つは誤配を匂わせ、一つは何も書かなかった」
群衆の前列がどよめく。
実物を並べられると、さすがに誰の目にも異様だ。
「では、どれが真実だったのでしょう」
アリアドネは高く掲げた三枚を、順に見せる。
「最初に届いた見出しですか。王宮へ届いた差し替えですか。何も書かれなかった白紙ですか。あるいは――」
彼女は紙を下ろし、まっすぐ群衆を見た。
「皆さまが、最初に信じてしまったものですか」
広場が静まる。
誰もすぐには答えられない。
答えられないのは当然だ。
今まではそんな問いを自分で考える必要がなかったのだから。
「人は、読んだものを現実だと信じます」
アリアドネの声は、広場全体へ静かに伸びる。
「でも本当は、読んだものは現実そのものではない。誰かが皆さまにとって読みやすい順序へ並べた“物語”です」
喉がわずかに熱い。
だが、まだ言える。
未来の具体ではない。
これは彼女がこの数日で掴んだ、今ここにある構造の話だ。
「わたくしを悪女と呼ぶのは簡単でしょう。きっとそのほうが安心もできます。けれど、わたくし一人を悪役にして済ませたところで、明日また別の見出しが皆さまの不安を決めるだけです」
大司教が一歩踏み出した。
「詭弁ですな。群衆の前で秩序を疑わせることこそ――」
「秩序?」
アリアドネは彼を遮った。
「ではお伺いします。昨日まで三種類の朝刊が配られ、崩落事件の真相も定まらず、それでもなお“秩序は一つ”と仰るのですか」
その言葉に、広場のあちこちで人々が顔を見合わせる。
大司教は怒りを抑えるように杖を握った。
「神意は一つです」
「ならば、なぜ見出しは三つあったのでしょう」
返答は一拍遅れた。
その遅れだけで十分だった。
王都の人間は、雄弁な否定より、答えられなかった一秒のほうをよく覚えている。
アリアドネはそこで、最後の一枚を掲げた。
白版。
何も書かれていない朝刊。
「たぶん、皆さまはこういう紙がいちばん怖いのでしょうね」
広場は静かだった。
「何も決めてくれないから。誰を憎めばいいかも、誰を信じればいいかも、誰に従えば安心できるかも、書いてないから」
彼女は白紙を胸の高さへ下ろす。
「でも、だからこそ、その一瞬だけは皆さま自身の目です」
風が吹いた。
白い紙が、かすかに鳴る。
「誰かが先に書いた正義ではなく、ご自分で見て、ご自分で聞いて、ご自分で疑うための一瞬です」
言い終えた時、広場にあったのは拍手ではなかった。
もっと曖昧で、もっと危うい沈黙だった。
つまり、人々はまだ完全には飲み込めていない。
だが少なくとも、最初に用意されていた「聖女か魔女か」という二択は、今この場で少し崩れた。
その瞬間、鐘楼の上から号外の紙片がばら撒かれた。
誰かが悲鳴を上げる。
群衆が一斉に手を伸ばす。
アリアドネの心臓がひとつ冷える。
紙片が舞い落ちる。
誰より早く一枚を掴んだのはギルベルトだった。
彼の顔色が、一瞬で変わる。
「……何が」
アリアドネが近づく。
彼の手の中の号外には、刷りたての黒でこうあった。
【号外】
王太子ギルベルト、父王弑逆。
本日深更、王宮にて血の簒奪始まる――
広場のあちこちで、人々の息が止まる音がした。
今しがたまで「見出しを疑え」と言っていた王太子自身が、次の見出しで王殺しにされている。
あまりにも出来すぎた悪意だった。
アリアドネは号外を見つめ、それからゆっくり顔を上げる。
王宮の高窓。
大聖堂の尖塔。
そのどこかで、誰かが次の幕をもう刷り始めている。
そして今回は、舞台の中央に立たされたのは彼女ではない。
ギルベルトだった。




