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ガレージの共犯者

凛が去った後、俺は独りガレージに残り、手の中のストップウォッチを凝視していた。

さっき彼女が口にした「演算リソース」という言葉が、重い澱のように胃の底に溜まっている。


俺は手帳を取り出し、このデバイスの状態と、凛の言葉から推測した「ルール」を書き留めた。


デバイスの変色と状態定義


 銀(正常) 

 初期状態。意識そのものを過去へ転送する「タイムリープ」が可能。


 青(負荷) 

 現在。演算負荷が増大。意識の転送が不安定になり、過去の自分へ情報を送るだけの「ログ・リープ」へ劣化し始めている。


 紫(崩壊)

 危険域。世界の解像度が著しく低下し、物理法則に致命的なバグが発生する。


 黒(消失?)

 ……その先は、想像もしたくない。


「……もう、半分近くが青いな」

筐体のエッジから浸食するように広がる青は、冷たい電気的な熱を帯びている。

ボタンを押そうとする指が、本能的な恐怖で微かに震えた。


かつてネットで「鳳」という名前を使っていた頃の俺なら、こういう状況でも斜に構えて笑い飛ばせた。だが今は、笑うための余裕が、どこを探しても見つからない。


「まだ、そんなところで悩んでいるの?」

背後から聞こえた声に、俺は心臓が止まるかと思った。

振り返ると、そこには凛がいた。いつの間に戻ってきたのか。彼女はガレージの入り口の影に立ち、感情の読めない瞳で俺を見つめている。


「……凛。お前、なんでそんなに詳しいんだ? リソースだの、ログリープだの。普通の女子高生が知ってるような言葉じゃないだろ」


凛は自嘲気味に口角を上げた。その表情は、17歳の少女には似つかわしくない、使い古された絶望のような色を帯びていた。


「言ったはずよ。私はあの日、死ぬはずだったって。……正確に言えば、私は『何度も』あの日、死ぬはずだったのよ」


俺の呼吸が止まる。

「何度も……? まさか、お前もこのストップウォッチを……」


「いいえ、デバイスを持っているのはあなただけ。でも、観測しているのはあなただけじゃない。……わたしは、以前から知っていた。この世界がいつか限界を迎え、誰かがそれを無理やりこじ開けようとして、すべてを壊してしまうことを」


凛は一歩、俺に近づいた。彼女の足音が、コンクリートの床に反響せず、奇妙に吸い込まれるような音がした。


「あなたは、自分が初めてこの世界をやり直したと思っているかもしれない。でも、この『青い変色』の速さは異常よ。まるで、誰かが以前に何度も、このデバイスを限界まで使い潰した痕跡をなぞっているみたいに」


俺は反射的に聞き返していた。

「誰かって……誰だ」


凛は少しだけ口を閉じ、それからゆっくりと続けた。


「AETHER社よ。このデバイスを設計した人間たち。彼らはかつて、同じことをしようとした。世界の因果を書き換え、望む未来を手に入れようとした。……でも、手に入れられなかった。デバイスは限界を超え、彼らは手放すことを選んだ。正確には、手放すしかなくなった」


「……それで、このデバイスがジャンク屋に流れ着いたのか」


「おそらくね。彼らが諦めたのか、逃げたのか、それとも別の理由があったのかは、私にもわからない。ただ確かなのは、あなたが今なぞっているのは、誰かがすでに一度辿って、それでも届かなかった道だということよ」


凛の言葉に、俺は自分の手元を見た。

俺が救った二人の命。その矛盾を埋めるために、世界は今も猛スピードで何かを削り続けている。


「……いい、倫。次にボタンを押すときは覚悟して。その時、あなたの知っている『昨日』は、もう二度とそのままの形では再現されないから」


彼女の警告を裏付けるように、ガレージの隅で動いていた古いラジオから、人の声ではない、デジタルな叫びのようなノイズが鳴り響いた。


俺のスマホに、見知らぬ番号からメッセージが届いたのは、その直後だった。

差出人の名前には「桐谷萌」とある。同じ学校の子だ。内容は短い。

「浅野くん、さっきみなとみらいで見かけた。あのドローンの事故、大丈夫だったの?」


俺は画面を閉じ、返信しなかった。

今は、それどころじゃない。


銀色の奇跡は、いまや世界を蝕む青い毒へと姿を変えていた。

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