全リソース解放。俺の魂を、この世界最後の「一行(コード)」に変えて。
夏が、終わろうとしていた。
ガレージの引き戸から差し込む光の角度が、確実に変わっている。あの灼けつくような正午の白さではなく、夕暮れに向かって少しずつ黄色みを帯びていく、秋の入り口の光。
セミの声は、まだかろうじて残っている。だが一週間前と比べると、その密度は明らかに薄い。
世界は、何事もなかったかのように、夏の終わりを計算通りに処理していた。
「……計算通り、か」
俺は口の中で繰り返し、苦く笑った。
デスクの上に広げたノートには、国際会議場以来書き続けてきた計算式が並んでいる。
ストップウォッチの残留データを増幅させるための、未完成の設計図。
あの夜、アンテナがショートして失敗したあの試みを、もう一度、今度こそ完成させるための。
「倫、ちょっといいか」
石田が入ってきたのは、俺がノートの端をペン先でぐりぐりと塗りつぶし始めた頃だった。
眼鏡を押し上げながら、彼は俺の向かいのパイプ椅子を引いて座る。いつもの軽薄な調子ではなく、妙に静かな顔をしていた。
「……なんだよ」
「計算式、見たぞ。机の上に広げたまま飯食いに行くなよ、あんな物騒なもん」
俺は黙った。
「国際会議場での失敗、お前一人で抱えて何とかしようとしてるだろ。出力が足りなかったんなら、次は俺も入れて設計し直せばいいだけだ。なんで黙ってる」
「……お前を巻き込みたくない。これは俺の問題だ」
「うるさい」
石田が、珍しく声を荒げた。
「お前が救おうとしてるのが誰かも、それがどれだけ無茶な話かも、全部わかった上で言ってる。理屈で言えば不可能に近い。成功確率は俺の計算じゃ1%を切る。……だがな」
彼はノートを引き寄せ、ペンを走らせ始めた。
「1%を0%にするのが、お前の得意技じゃなかったか」
俺は、石田の横顔をしばらく見ていた。
ファンの音。油の匂い。何度世界が書き換わっても変わらない、このガレージの空気。
「……卒業式だ」
俺はようやく口を開いた。
「あの日、あの場所が、世界の『特異点』として最後にもう一度だけ開く。そこで凛のデータをARネットワーク全体に乗せて再定義する。失敗すれば、俺ごと消えるかもしれない」
石田は手を止めず、ただ静かに言った。
「わかった。出力の設計は俺がやる。お前は当日、迷わずボタンを押すことだけ考えろ」
「……お前、本当に馬鹿だな」
「お互い様だろ」
石田が顔も上げずにそう言って、俺たちはしばらく黙って同じノートを眺めた。
ガレージの外では、秋の始まりを告げるように、夜の虫が一匹だけ鳴き始めていた。
凛。
お前が消えたあの坂道で、俺はお前の名前を覚えているのは自分だけだと思っていた。
だが、この馬鹿が隣にいる。
それだけで、最後の賭けに向かう理由が一つ増えた気がした。
俺はノートの余白に、新しい一行を書き加えた。
卒業式まで、あと数日。




