亡霊のログ
モニターの砂嵐が収まった後、ガレージの静寂の中に、一つの音声ファイルが浮かび上がっていた。
僕は、震える指でマウスをクリックする。
スピーカーから漏れてきたのは、ノイズ混じりの、聞き慣れた声だった。
『――聞こえるか、俺。あるいは、これを読んでいる「次の」俺か』
それは、僕自身の声だった。
けれど、今の僕よりもずっと擦り切れ、疲弊し、それでいて執念に燃えている、別の時間軸の僕の声。
『これを聴いているということは、お前も凛を消されたんだな。そして、陽を救った代償として、世界が凛を「不要なエラー」として処理したことも理解しているはずだ』
僕は息を呑んだ。録音の中の「僕」は、まるで僕の思考を見透かしているようだった。
『この世界……この「横浜2026」のシステムは、因果律の整合性を保とうとする。陽が生き残る未来を確定させるために、矛盾の原因となった凛の存在を、過去に遡って消去した。だが、システムには弱点がある』
声が途切れ、モニターに複雑な数式と、あの国際会議場の構造図が展開される。
『ストップウォッチだ。あれはただの計測器じゃない。凛が消える瞬間に刻んだ「0.000秒」の狭間に、彼女の存在データが僅かに残留している。世界が彼女を消しきれなかった、唯一の物理的なバグだ』
僕は、デスクの上に置いたストップウォッチを見つめた。
止まったままの液晶。あの日、彼女の指が触れていたボタン。
『チャンスは一度だけだ。卒業式の日、世界の再構築が完了する直前、システムが最も不安定になる瞬間がある。そこでこの「バグ」を増幅させ、世界に凛を「再認識」させるんだ。ただし――』
「僕」の声が、一瞬だけ湿り気を帯びた。
『それを行えば、お前自身も世界の修正対象になるかもしれない。倫。お前は、日常を捨ててでも、幽霊になった彼女を連れ戻す覚悟があるか?』
音声は、そこでプツリと途切れた。
後には、冷却ファンの虚しい回転音だけが残された。
「……ハッ、決まってるだろ」
僕は、乾いた笑いを漏らした。
「やれやれ」と溜息をつく暇さえない。
もし世界が、彼女のいない未来を「正解」だというのなら。
僕は、僕の全ログを懸けて、この世界を「間違い」にしてやる。
僕は、ガレージの奥に眠っていた古いARプロジェクターを引きずり出した。
未来の僕から託された、狂ったような計算式。それを実行するための、新たなデバイスの設計図。
「凛、待ってろ。宿題の答え、今から書き換えてやるから」
外では、何も知らない横浜の街が、夕闇に溶け始めていた。
僕はキーボードを叩き始める。
それは、運命という名の巨大なプログラムに対する、宣戦布告だった。




