AETHER社の介入
横浜の街を包む夕闇は、今日に限っては安らぎをもたらさなかった。
空を覆い尽くすAETHER社のロゴを冠した黒いドローン群は、もはや警備用という建前を捨て、獲物を追い詰める猟犬の群れと化していた。
「……浅野くん、逃げて! 彼らはあなたの『履歴』そのものを消しに来ている!」
並走する凛の叫びが、耳元で激しく鳴り響くドローンの羽音にかき消される。
俺はポケットの中で熱を帯びるデバイスを握りしめ、馬車道の入り口にある古びた赤レンガの壁に背を預けた。
その時、俺のスマートフォンが激しく震えた。着信ではない。
画面には、信じられない光景が映し出されていた。
「なんだ、これ……?」
スマートフォンの連絡先アプリが勝手に起動し、上から順番に名前が消えていく。
石田圭、小野瑠花、陽、萌――。
単にデータが消去されているのではない。俺が彼らと交わした通話履歴も、共有した写真も、昨日送ったはずの「ログ」さえも、最初から存在しなかったかのように、空白へと書き換えられていく。
「これがAETHER社のやり方よ。世界の管理権限(管理者権限)を持つ彼らにとって、あなたの存在を『定義外』に書き換えることなんて、一行のコードを消すより容易いことなの」
凛が苦悶の表情で俺の手を引く。
前方から迫りくる武装ドローンが、赤いレーザーサイトを俺の胸元に固定した。
だが、恐怖よりも先に襲ってきたのは、耐えがたい喪失感だった。
ふと見上げた街頭のデジタルサイネージ。そこに映る「指名手配」の画面。俺の顔写真があったはずの場所は、今やノイズに塗れた「Missing Data」という文字に置き換わっていた。
「俺が……消えていくのか」
世界を救うために過去を書き換えてきた報いが、これなのか。
俺が救ったはずの人々の記憶の中で、俺という人間が「未定義の変数」として処理されていく。
ドローンが発射した威嚇用の音響弾がアスファルトを砕き、視界が白く弾ける。
「浅野倫、デバイスを差し出せ。お前の『全ログ』をサーバーに返上すれば、これ以上の崩壊は止めてやる」
合成音声による冷徹な宣告が、四方八方のスピーカーから降り注ぐ。
俺は、震える手でデバイスを掲げた。
内側から滲み出す青い光は、いまや俺の指の隙間から溢れ出し、実体すらも危ういものにしていた。
「……ふざけるな」
俺は歯を食いしばり、残されたわずかな「自分」という存在を繋ぎ止めるように、デバイスのボタンを力一杯押し込んだ。
リソースはもう限界だ。それでも、このまま消えてたまるか。
世界が激しくカクつき、ドローンの軌道が、あり得ない角度で歪んだ。




