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巻き戻すたび、世界の解像度が落ちていく ~彼女を救う15,498回目の夏、僕だけが君を覚えている~  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった


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消えゆく前夜、1センチの熱

ガレージのシャッターを潜ると、そこには最新スペックのPCが放つ無機質な冷却ファンの音だけが響いていた。石田も陽もいない。潮風と油の匂い、そして昭和の香りが染み付いた古いソファ。すべては俺が書き換えた因果の果てに、ただの情報の瓦礫ノイズへと変質してしまった。


「……観測者は、俺一人か」


俺はソファに深く沈み込んだ。視界の端で、廃棄された学校用タブレットが数値を弾き出す。陽の生存は確定した。彼女が明日、海へ行き、当たり前のように誕生日を迎える未来。だが、その対価として支払ったものの大きさに、俺の心臓は今さらになって悲鳴を上げていた。


「浅野くん。……いい顔をしているわね。まるで、すべてを失った道化師のようだわ」


静寂を切り裂いて、影の中から高松凛が現れた。

解かれた黒髪が、モニターの青白い光を反射して艶やかに肩へ流れている。少し乱れた制服の襟元、露わになった鎖骨。その白い肌に微かに滲む汗の粒子が、夜の静寂をよりいっそう残酷なものに変えていく。


「凛……お前、まだ消えてなかったのか」


「残念ながら、この世界線の私が消滅するまでには、まだ少しだけ猶予があるみたい」


凛は俺のすぐ隣に腰を下ろした。古いソファが重く軋む。しばらく、二人とも黙っていた。


「……少し前から、思っていたのよ」


凛が、珍しく言葉を探すように、少し間を置いた。


「あなたのデバイスの信号を観測し始めた頃は、ただのデータとして見ていた。でも、あなたが陽を助けるたびに、失うたびに、それでも手を伸ばし続けるのを……見ているうちに、私の演算に余計なノイズが増えていった。うまく説明できないけれど」


俺は何も言わなかった。言葉を挟めば、この繊細なノイズが消えてしまいそうで。


「あなたは、私が今まで観測してきた誰とも違う。未来を変えようとして失敗した人間を、私はたくさん見てきた。彼らはみんな、ある時点で諦めた。でもあなたは……」


凛は小さく首を振った。


「……なんでもない。計算不可能な感情のゆらぎが、私の演算を少しだけ鈍らせたのかしら」


凛の手が、俺の首筋に触れた。ひんやりとした指先。だが、そこから伝わる脈動は驚くほど速く、熱かった。


「浅野くん。……今だけは、私が未来から来た特異点だなんて、忘れてくれない?」


彼女の瞳に宿る、理知的で不器用な情熱。それが今、逃げ場のないほど真っ直ぐに俺を射抜いている。俺は凛の腰を引き寄せた。制服越しに伝わる体温。指先に触れる髪の柔らかな質感。

凛のこの震える唇も、強張った肩の感触も、0と1の羅列なんかじゃない。俺が触れ、俺が愛してしまった、かけがえのない生身の現在だ。


俺は彼女を押し倒すようにして、その存在を全身で受け止めた。

PCのファンの音が遠のき、ドローンの羽音が心臓の音に塗りつぶされる。1センチの距離。縮まることのないはずだった空白が、このガレージの闇の中で、痛みと共に埋められていく。


「私を、刻み込んで。……倫。あなたが、私の唯一の観測者だから」


耳元で囁かれたその熱い息遣いが、俺の魂のログに、一生消えない傷跡のように深く、深く刻み込まれていく。たとえこの先、世界線が収束して、彼女との記憶がこの世界からデリートされたとしても、この肌に刻まれた熱だけは「なかったこと」にはさせない。


ピアノの旋律が、夜の潮騒をかき消すように、重く、切なく、そして力強く立ち上がる。


やがて凛は、俺の胸に額を預けたまま、静かに目を閉じた。

消えてはいない。ここにいる。ただ、この体温がいつまで続くのかを、俺は問えなかった。

問えば、答えが返ってくるから。


「……倫」


凛が、目を閉じたまま低く呼んだ。


「私が本当に消える時、あなたに頼みたいことがある。……でも今夜は、まだ言わない」


俺たちの夏は、まだ終わっていない。

ただ、終わりの輪郭が、確実にそこに在った。

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