臨界点
ガレージから少し離れた海沿いのカフェ。
俺は石田と向き合い、冷え切ったコーヒーのカップを見つめていた。
街は一見、いつも通りの横浜だ。観光客が行き交い、ドローンが荷物を運び、ARの広告が空を鮮やかに彩っている。だが、俺のポケットにあるデバイスは、もはや隠しきれないほどの熱を帯び、絶え間なく微振動を繰り返していた。
「……倫、最近のトラフィックの乱れ、ただのサーバー負荷じゃねえぞ」
石田がタブレットを俺に向けた。そこには、AETHER社のメインインフラが吐き出している、理解不能なエラーコードの羅列があった。
「世界をレンダリングするためのリソースが、どこか一箇所に異常に吸い取られてる。まるで、誰かが無理やり過去のデータを現在に上書きし続けて、その整合性を取るためにシステムが悲鳴を上げてるみたいだ」
石田の言葉が、鋭い刃のように俺の胸を抉る。
俺が陽を救うために繰り返した「ログ・リープ」。その代償は、確実にこの世界の屋台骨を蝕んでいた。
「悪い、石田。俺にはよくわからない」
俺がそう言って、誤魔化すようにコーヒーを一口飲もうとした、その時だった。
「……え?」
隣の席の客が、不注意でマドラーをテーブルから落とした。
本来なら、それは重力に従ってアスファルトの地面へと落ち、乾いた音を立てるはずだった。
だが、そのマドラーは地面に触れる直前、空中でピタリと「静止」した。
まるで、動画の再生がバッファリングで止まったかのように。
周囲の喧騒は続いているのに、その一角だけが物理法則から切り離され、不自然な静止画となって固定されている。
俺が息を呑んだ瞬間、マドラーは激しく「カクつき」、次の瞬間には最初から地面に落ちていたかのように、床の上で転がっていた。
「……今の、見たか?」
俺が震える声で尋ねると、石田は眉をひそめ、タブレットのグラフを凝視したまま首を振った。
「何がだ? ……クソ、また処理落ちだ。今、一瞬だけ街全体のフレームレートがガタ落ちしたぞ。倫、これ以上は何かが起きる。それも、取り返しのつかない何かがな」
石田には見えていない。あるいは、エンジニアである彼はそれを数値の変化としてしか捉えられないのかもしれない。
だが、俺にはわかった。
今の現象は、世界が「正しい現在」を描写することを諦め始めている兆候だ。
俺はポケットの中のデバイスを強く握りしめた。
内側から滲み出す青い光が、手のひらの皮膚を透かして見えるほどに強まっている。
臨界点は、もうすぐそこまで迫っていた。




