演算エラーの暴走
「浅野、伏せろ!」
石田の叫びと同時に、ガレージの壁が「剥がれた」。
物理的な破壊ではない。壁を構成していたコンクリートのテクスチャが、まるで古いポスターのように丸まり、その裏側にある黒い虚無が露出したのだ。
襲撃者の一人が、不自然に肥大化した右腕を振り下ろす。
その軌跡に沿って、空間が紙を引き裂いたように歪み、そこから耳を刺すような高周波のノイズが溢れ出した。
「こいつら……人間じゃない。世界のゴミ箱から生成された、ただの殺意のプログラムだ!」
俺は銀色の筐体を強く押し込み、局所的な「巻き戻し」を試みた。
だが、デバイスは真っ青に発光し、俺の指を焼くほどの熱を発するだけで、時間は1秒たりとも動かない。
「リソースが……足りないのか……!?」
「倫くん、危ない!」
陽が俺を突き飛ばす。
直後、彼女の足元の床が消失した。
陽の体が宙に浮く。重力演算が死んでいる。彼女は悲鳴を上げることもできず、水中にいるかのようにゆっくりと、天井に向かって「落ちて」いく。
「陽!」
俺は手を伸ばしたが、指先が彼女に触れる直前、空間に巨大な警告ダイアログのような赤い文字が浮かび上がった。
『Critical Error: Object "Sasaki_Hinata" is not defined.』
「定義されていない……? ふざけるな! 陽はここにいる、俺の目の前にいるんだ!」
俺は叫びながら、無理やりデバイスの基板に指を突っ込んだ。
石田と瑠花が組み上げたこのデバイスは、今や俺の意志という電気信号を媒介に、無理やり世界をレンダリングし直そうとしている。
視界が真っ白に染まる。
俺の脳内に、膨大な量のデバッグログが直接流れ込んできた。
――2026年、横浜。
――総演算量、限界突破。
――未解決の不整合、1,402,839件。
――推奨される処理:全データの初期化。
「……勝手に終わらせてたまるか」
俺は歯を食いしばり、脳を焼かれるような苦痛に耐えながら、陽を包み込んでいる「エラー」のコードを、力技で上書きし始めた。
俺の右手の指先が、デジタルノイズに変わって消失していく。
それでも構わない。
俺という個人のリソースをすべて差し出してでも、この少女の存在を「確定」させてやる。
「倫くん……体が、温かい……」
陽の体がゆっくりと地面に戻ってくる。
だが、その代償として、俺の周囲の風景はさらに崩壊を加速させた。
ガレージの外に広がっていた横浜の街並みは、今や遠くの山々も海も消え失せ、地平線の彼方まで続く真っ白なグリッドの世界へと変貌していた。
石田がモニターを叩き壊すようにして立ち上がる。
「倫! もう限界だ! 世界のシステムそのものが、お前を『最大のバグ』としてロックオンしたぞ!」
ガレージの残骸の向こう、真っ白な空から、巨大な「カーソル」のような光の柱が、俺を目がけて振り下ろされた。
「……やれやれ。本当の戦いは、ここからってわけか」
俺は陽の手を握り直し、消失しかけた右腕を振り上げた。
もはや、隠れてデバッグする段階は終わった。
世界そのものを相手取った、真っ向勝負のハッキングが始まる。




