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ねこま荘怪異帖  作者: クティラ
第一章 もうすもうす
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第3話 汐見の戦災

 柳町の電話局は、六十八年前に焼けていた。


 市史の索引から辿り着いたのは、見開きにも満たない記述だった。


 鷹雪は閲覧机へ本を広げ、綴じ目へ沈む活字を覗き込んだ。


 長身を折っているうちに膝が机の裏へ当たったが、今は椅子を引き直す気にもなれなかった。


 昭和二十年七月二十日、未明。


 汐見(しおみ)市への空襲により、柳町一帯は広く焼失した。


 汐見郵便局電話分室も延焼を免れず、当直者八名のうち六名が死亡。


 内訳は女性交換手五名、男性の保守係一名。


 鷹雪は日付を手帳へ写した。


 昨夜は眠りに就く前に何度もカーテンを捲った。


 隣室に預けたスマホから着信はなく、窓の外には最後まで駐車場があった。


 それでも明け方に夢を見た。


 音ばかりの夢だった。


 講義が終わった足で市立図書館へ来たのは、部屋へ戻りたくなかったせいもある。


 柳町交換台、という名称では見つからなかった。


 郷土資料のカウンターで尋ねると、司書は古い市街図を開き、川沿いの一角を指した。


「電話分室でしたら、柳橋の所にありました。交換台は、その中に置かれていた設備ですね」


 教えられた名前で索引を引き直した結果が、今、目の前にある。


 建物は大正十三年に建てられた木造二階建てだった。


 昭和に入って設備が更新されても、電話を繋ぐのは人の仕事だったらしい。


 掲載された室内写真には、壁のような交換台に向かう女性たちの背中が並んでいた。


 手元から何本もの紐が垂れ、頭には受話器が留められている。


 電話口で聞いた、硬いものが触れ合う音。


 鷹雪は写真の端へ顔を寄せた。ぼやけた指先が握っているものまでは分からなかった。


 ページを捲ると、亡くなった六人の氏名が載っていた。


 川瀬文(かわせふみ)。


 二十四歳。


 女性の中では最年長だった。


 後に続く年齢を読むうち、鷹雪は手帳へ置いていたペンを持ち直した。


 自分より年下の名前が三つある。


 名簿を写し、出典とページ数を添えた。


 通話で聞こえたのは若い女の声だった。


 しかし二十四と十九の声を聞き分けられるほど、年齢に詳しいわけではない。


 五人のうちの誰かとも、まだ決められなかった。


 助かった二人は裏口から避難したという。


 直前まで交換台に係員の姿があったことは記されていたが、誰がどの番号へ繋いでいたかまでは残されていない。


 ――鷹雪はメモの末尾へ小さく疑問符を付け、本を閉じる。


 西村という名前と二十七という数字を、司書に伝えた。




◆ ◆ ◆


「西村という方を、お探しなんですね」


 カウンターへ戻ると、司書が大判の冊子を運んできてくれた。


 戦時中のものは残っていないので、一番近いのがこれだそうだ。


「個人のお宅とは限りませんよ。お店に電話があって、近所の方が使わせてもらうこともありましたから」


「名前と、二十七という数字だけなんです。聞き違いかもしれないんですが」


「汐見の欄から見てみましょうか」


 冊子の間に指を挟み、閲覧席へ戻った。


 並んでいたのは医院や商店、工場の名だった。


 今も駅前で見掛ける菓子屋を見つけ、その隣に知らない旅館を見つける。


 鷹雪は定規を借り、一行ずつ下へずらした。


 西村米穀店。


 柳町。


 その行の番号は、二七だった。


 定規を戻して読み直す。上の行でも、下の行でもない。


 二十七番。


 西村さん。


 電話から拾った二つの言葉が、同じ行に収まっていた。


「……あった」


 声に出すと、隣の席で雑誌を読んでいた男性が顔を上げた。


 鷹雪は頭を下げ、番号簿と市史から、必要な箇所の複写を申し込んだ。


 米屋の住所を古い市街図と照らし合わせる。


 電話分室は柳橋の北詰にあり、西村米穀店は橋を渡った先にあった。


 歩いても十分とは掛からない。


 同じ辺りへ、空襲による焼失範囲が網掛けされていた。


 鷹雪は市街図と番号簿を机に並べ、手帳へ簡単な図を描いた。


 電話局と米屋を線で結び、橋を描き足す。


 通話の向こうで、女は西村を呼んでいた。


 あの時、米屋には誰かいたのだろうか。


 返却を済ませる前に、司書へもう一度尋ねた。


「当時のことを書いた方の手記とか、読めるものはありますか。電話局で働いていた人か、ご家族の話があれば」


「戦災の聞き書きでしたら、何冊かございます。電話局については……少しお調べする時間を頂いても良いですか」


「お願いします。あと、千代という名前が関係しているかもしれません」


 司書は手元の紙へ書き留めた。


 鷹雪は連絡先を残し、今度は館外へ出てから自分の携帯を開いた。


 古い折り畳み式の端末は、何の支障もなく大家へ繋がった。


「電話局、ありました。空襲で焼けてます。二十七番も、西村っていう米屋の番号でした」


『随分早かったね』


「跡地へ行ってみます。柳橋の北側です」


『じゃあ、ボクも行こうか』


「スマホは」


『留守番だよ。連れて歩いて、また呼び込みを始められても困る』


 鷹雪は鞄を肩へ掛け直した。


 昨日まで、旅先へ持っていくつもりだった端末である。しばらくは紙の地図でも良い気がしてきた。




◆ ◆ ◆


 電話局の跡地には、窓の少ない建物が立っていた。


 コンクリートの壁は薄い灰色で、金網の門には通信会社の名前が掲げられている。


 換気設備の低い音が絶えず響いていた。


 隣の駐車場では男が弁当を食べており、車内のラジオから野球の話が流れている。


 慰霊碑は、敷地の隅にあった。


 歩道から入れる細い通路の先で、背の低い石が植込みに囲まれている。


 花立ての菊はまだ新しかった。


 落ち葉も除かれ、白い小石の間に雑草は見当たらない。


 鷹雪は鞄から複写した紙を出した。


 古い写真では、現在の建物の位置に、白壁の木造二階建てが写っていた。


 昨日、窓から見た町と同じなのかは分からなかった。


 屋根の重なりや電柱の傾きばかりが蘇り、比べようとすると記憶の方が曖昧になる。


「草壁氏。邪魔になるよ」


 声に振り返り、鷹雪は歩道の真ん中から退いた。


 自転車の女性が軽く会釈して通り過ぎる。


 大家はいつもの着物に薄い羽織を重ねていた。


 首の後ろで結んだ髪から短い毛が幾筋か落ち、風に揺れている。


 眼鏡越しに門を眺めてから、鷹雪の手元を覗き込んだ。


「借りても?」


「どうぞ。名前は裏にあります」


 大家は複写した紙を裏返した。


 鷹雪が横へ並ぶと、紙を持つ手が少し上がった。鷹雪の方は自然に首を屈める。


「六人か」


「八人いて、二人は裏から逃げられたそうです。最後まで残ってた人がいたのは分かるんですけど、誰に電話してたかは載ってませんでした」


 大家は頷き、紙から慰霊碑へ視線を移した。


 鷹雪も石の側面を見た。


 細く刻まれた文字の溝に薄い影が落ちている。さっき手帳へ写した六人の名前だった。


「何か、分かりますか?」


 尋ねると、大家は碑の裏へ回った。


 建立された年と、寄付者の名前を順に眺め、元の位置へ戻ってくる。


「手入れされてるね」


「そうじゃなくて、」


「他には、今のところ何も」


 大家は紙を返した。


「ここへ来れば話しかけてくれると思ったかい」


「貴方なら、何か見えるんじゃないかと……」


「昼下がりの電話局だよ。君にも見えてるだろう」


 建物の奥で金属の扉が開き、社員らしい男が段ボール箱を抱えて出てきた。


 門の前の二人へ目を向けたが、慰霊碑を見ると軽く頭を下げて通り過ぎていく。


 鷹雪は会釈を返した。


 あの部屋で一人怯えていた時には、こんな場所へ来るとは思わなかった。


 怪しい露店と中古のスマホ。その先に、花を供える人のいる石碑があった。


「米屋は橋の向こうでした。こっちです」


 鷹雪は手帳を開き、描いた図を示した。


「相手の家に電話がなくて、米屋に頼もうとしたのかもしれません。千代という人を、呼んでもらうとか」


 大家の指が手帳の端へ触れた。


「聞こえたのは、どこまでだった?」


「千代を、って。その後に、来させ……」


「続きは?」


「大きな音がして、聞き取れませんでした」


 口にしながら、鷹雪は図の脇に書きかけた言葉を見た。


 千代を呼ぶ。


 線を引いて消した。


 来させてほしいのか、来させないでほしいのか。


 それさえ分かっていなかった。


 大家は何も言わず、鷹雪が書き直すのを待っていた。


 川の方から風が吹いた。


 複写した紙を鞄へしまおうとして、鷹雪は自分の携帯が震えていることに気づいた。


 画面には見覚えのない番号が出ていた。


 親指が止まる。


「君の電話だよ」


 大家の声に促され、鷹雪は応答した。


「……はい、草壁です」


『先ほど図書館でお問い合わせいただいた件ですが』


 胸に溜めていた息が抜けた。


 司書は、戦後六十年に刊行された証言集が見つかったと告げた。


 レファレンスサービスさまさまだ。


『汐見の戦災――家族の記憶』。


 電話分室で姉を亡くした女性の寄稿があり、名前は丸山千代。


 旧姓は川瀬という。


 鷹雪は鞄へ入れかけた紙を引き戻した。


『お探しの方と同じかどうかは分かりませんが、お名前は一致しています』


「お姉さんの名前、載ってますか」


『文さんです。寄稿文の隣にお写真もございます』


 川瀬文。


 二十四歳。


 紙面の文字を指で押さえたまま、鷹雪は携帯を耳へ当て直した。


「千代さんの方は、その、今も……」


『現在のことまでは。ただ、刊行時の紹介には七十一歳とありますね』


 八年前に、七十一歳。


 鷹雪は礼を言い、明日読みに行くと伝えて電話を切った。


 閉じた携帯を握る手に、微かに汗が滲んでいた。


「千代さんが、見つかるかもしれません」


 大家は顔を上げた。


「電話局で亡くなった人の妹でした。八年前に手記を書いてるんです」


 鷹雪は慰霊碑を振り返った。


 川瀬文は二十四歳のまま石に刻まれ、その妹は七十九歳になっているかもしれなかった。


 おそらく、姉の電話は、まだ繋がっていない。


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