最終幕 「平凡は、時に逃げ切れない」
毎晩19時40分に更新いたします。
翌朝――
雲一つない、嫌になるほどの快晴だった。
私はいつものように、治療院にいた。
「次の方どうぞー」
背中の引っ掻き傷。
十秒――
誰につけられた?色男……
「次」
左足首の捻挫。
十五秒――
無茶するんじゃない。足首が桜島大根になってるよ。
「次」
首の寝違え。
……これは少し時間がかかった。
前世でも、お高い貼り薬買ってペタペタ貼っても中々痛みは引かなかった――
いい。
実にいいわ――
なんか、とっても絶好調〜〜
こういうのでいいのだ――
いや、こういうの"が"いいのだ………
筆頭聖女だの派閥争いだの、そんな騒がしいものはもう終わった。
全て忘却の彼方に飛び去った――
候補者は全員脱落した。
つまり、私の日常は戻って――
「フローリア・ロシニョール」
――戻っていなかった。
呼びに来たのは、幹部司祭だった。
嫌な予感が背筋を走る――
礼拝堂へ向かう足取りが重い。
ついつい食べ過ぎて、体重計から目を逸らしたときでさえ、こんなに重かったことはない。
中には、幹部たちがずらりと並んでいた。
全員、目が死んでいる。
昨夜、眠れなかったのだろう。
分かる……私もだ。
おかげで今朝からハイの状態が続いていて、仕事が大変捗っていた――
そう――ついさっきまでは………
「さて――」
司祭長が咳払いした。
「候補者は全員辞退、あるいは失格となった」
「………ソウナンデスネ」
「よって、新たな候補を選定する必要がある」
「マア、タイヘンデスネ――」
薄ら空々しい愛想笑いで対応する私――
嫌だ。
言うな…言うんじゃない。
やめろ。それ以上ひと言も喋るんじゃない――
「フローリア」
「いたしません」
食い気味で断った。
「その台詞はエレベルだろ……」
「何も聞きたくありません」
「まだ何も言っておらん」
「言わなくても分かります」
「では話が早い」
「少しも早くありません――むしろ遅くしましょう」
周囲の司祭たちが頷いた。
何を訳知り顔で頷いている――自分が何を口走っているか自分でさえわからなくなっているというのに……
「あなたは中立だった」
「巻き込まれたくなかっただけです」
「誰からも恨まれていない」
「影が薄かっただけです」
「治癒技術も十分」
「普通オブ普通です」
「現場経験も豊富」
「だらだらと長くいるだけです」
「人格も安定している」
「疲れて気力がないだけです」
司祭長は深く頷いた。
「素晴らしい」
「絶対!――勘違いです」
「しかも――」
司祭長が完璧にシカトして追撃する。
「エレベル・グランポルタが推薦している」
「……は?」
「コリーヌ・ルージュは行方をくらましている。」
「何の関係がある…?」
「サクラ・フォンテーヌも“フローリア様がいいですぅ!”と」
「声色まで使って口真似しないでください……おっさんがやっても気色悪いだけです」
どいつもこいつも余計なことをするんじゃない――
「よって――」
司祭長は立ち上がった。
「次代筆頭聖女に、フローリア・ロシニョールを任命する」
その言葉に、私はこの世に地獄を見た――
ぱちぱち…
誰かが拍手し始めた――
ぱちぱちぱち……
やめろ。
バカ、乗っかって増やすな――
ぱちぱちぱちぱち………
だから、増やすなって――
ぱちぱちぱちぱちぱちぱち…………
増やすな〜〜〜〜
ふと、空を見て気がついた――
あんなに晴れていたのに、お日さまはすっかりひつじ雲に覆われていた……
こうして――
私は……
何の変哲もない平凡な聖女から、
神殿の筆頭聖女へと、
ほとんど強制的に昇格した。
ふざけんじゃない――
私の安穏な日常を返せ〜
不本意である。
極めて、甚だ、非常に、すこぶる……遺憾だ――――
その日の夕方――
一等星が夜空にちらつく頃。
「おめでとう〜!」
食堂でミレーユが笑っていた。
私は机に突っ伏していた。
「……何がよ」
「これよ、これ――」
突っ伏したまま半目を向けて、差し出された紙を見る。
――すっかりやさぐれてしまった。
神殿筆頭聖女選定トトカルチョ
最終結果――
一位。
フローリア・ロシニョール。
倍率――
三百二十七倍。
「……意外と普通ね」
「うん、でも的中者が二人しかいなかったの」
「――二人……ねぇ」
アンタか? アンタなんだろうなあ……
「しかも余剰積立金も全部乗った」
「何の余剰よ」
「さあ? 神殿主催だったから、これまでの何やらじゃないの……」
「ふーん……」
――神殿が賭け事の胴元なんかするなよ……生臭さ坊主どもめ。
「――そういえば、私から巻き上げた銀貨一枚……誰に賭けたの?」
顔を上げると、
ミレーユは満面の笑みだった。
「そりゃもちろん!
フローリア、あなたに決まってるじゃない」
「…………は?」
いったい何が、もちろん!で、何が、決まってる、なんだ?
「だって、その方が面白そうだったから……どうせ他人のお金だし――」
はいはい、アンタらしいわ……実にね。
……はぁ、なるほど。もう一人は、私だったのね……
「はい、配当――」
ずしり。
目の前に置かれた袋が、机を揺らした。
なんだこの重さは。
こわごわと開ける。
金貨が見えた……
目の錯覚じゃないよね。
しかも大量に…?
「……これ、いくらあるの?」
「贅沢しなければ、余裕で一生遊んで暮らせるくらい」
「…………」
「筆頭辞めても、生きていけるわよ」
悪魔のような女の、その甘い囁きに――私はこの世に希望を見いだした。
――そうか。
辞めればいいのか。
そうだ、そうだったんだよ。
まあ、すぐに放り出すのもなんだし――立つ鳥跡を濁さず……
そのために、まず働かなくちゃ――
混乱しきった頭で、そう思った時点で――
たぶん私はもう終わっていたんだろう。
後年――人生を振り返った時に気付いたのだけれど。
その時、礼拝堂の鐘が鳴った。
――ゴォン。
――ゴォン。
「フローリア様!」
新人聖女が駆け込んでくる。
「筆頭聖女様!急患です!」
もうその呼び方になっている。
早い――
なんでこういう時だけ、早すぎるのよ………
日頃は、上意下達なんて言葉は、
なに? それ? 美味しいの?
そんな程度のくせして………
――それに、正式就任はまだだよ。
私は深く息を吐いた。
だが、悪あがきも虚しく―― 急遽翌日に執り行われた筆頭聖女就任の儀は、 残念ながら、つつがなく終了した。
礼拝堂を出て、執務室に向かおうとした時――
「フローリア」
呼び止められて振り返る。
マルグリット様だった。
引退を表明したあの日と同じように、穏やかに微笑んでいる。
「……なにか、御用でしょうか」
「前に、言ったでしょう?」
前に――?
首を傾げる私に、マルグリット様は静かに続けた。
「誰かが、こういうものを切らさず補充してくれているから、神殿は絶え間なく機能する――って」
「……言ってましたね」
包帯棚の前での話だ。
正直、雑務係扱いとしての評価なのかと思っていた。
「神殿はね、奇跡だけでは回らないの」
マルグリット様は、忙しなく動き始めた礼拝堂を見渡した。
「治療をする人。
掃除をする人。
薬を揃える人。
夜勤を代わる人。
失敗した新人を支える人――」
そして、最後に私を見る。
「そういう“当たり前”を、当たり前に積み重ねられる人が、一番欠けてはいけないのよ」
「……買いかぶりです」
「いいえ、正当な評価よ」
――困る。
そういうことを言われると、逃げづらくなるじゃないか。
「……ところで、なぜ今そのお話を――?」
マルグリット様は、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「だって貴女、式の間中ぶーたれてたじゃない……
私が、安心して引退後の余生を送れるように、やる気を出してもらわなくちゃ……ね」
……前言撤回――
なんとしても、この無限地獄から抜け出してやる〜
「……次のお方、どうぞお入りください」
平凡な日常は終わった。
押し寄せる仕事。
肩にのしかかる重圧。
あーやらこーやら好き勝手を言う、神官たちや聖女たちの調整――
やることだらけで、嫌になってくることもある。
けれど――
そんな慌ただしい毎日も、まあ、悪くはないんだろう。
……たぶん。
そんな毎日の先にある未来も―― 案外、悪くはないのかもしれない。
同時期の短編です。こちらもお楽しみいただければ幸いです。
子爵家令嬢は見た!!
〜恋文の差出人は多股令嬢でした〜
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