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第9話 夢の六人用マンション

第9話 夢の六人用マンション


 その夜のことだった。


 夕食は冷やし中華だった。


 大皿いっぱいの錦糸卵。


 艶やかなハム。


 細切りきゅうり。


 真っ赤なトマト。


 氷水で締めた麺から立ち上る冷気が、蒸し暑い夏の夜を少しだけ涼しくしてくれる。


 食後にはスイカ。


 六人で種飛ばし競争をして、由美子が優勝した。


「なんでそんな特技があるの」


 美咲が呆れる。


「人生経験よ」


 意味が分からなかった。


 笑い声が広がる。


 その時だった。


 修一がスマホを見ながら言った。


「おっ」


「どうしたんですか」


「これ安いぞ」


 全員が反応した。


 安い。


 その言葉は不思議な力を持つ。


 和子が覗き込む。


「どれどれ」


 由美子も立ち上がる。


 重雄まで眼鏡をかけ直した。


 五分後。


 なぜか全員でマンションの間取りを見ていた。


「なにしてるの私たち」


 美咲が呟く。


 しかし誰も聞いていない。


 完全に夢中だった。


 修一が画面を指差す。


「見ろ」


 そこには大きな間取り図が表示されていた。


「おお」


 徹が声を上げる。


「LDK二十二畳!」


「広っ!」


 由美子も興奮する。


「洋室が三つ!」


「七・五畳」


 和子が読み上げる。


「九畳」


 重雄が続く。


「十・五畳」


 修一が言った。


 全員がしばらく黙った。


 夢が広がる。


「トイレ二つ」


 美咲が呟く。


「洗面所も二つ!」


 和子が叫ぶ。


「角質洗面付き!」


 由美子まで興奮している。


「角質洗面?」


 徹が首を傾げた。


「広い洗面台のことじゃない?」


 美咲が笑う。


 その瞬間だった。


 全員が顔を見合わせた。


「ここがいい!」


 見事なハモりだった。


 美咲は吹き出した。


「なんでみんな同じ反応なの」


「だって」


 和子が真剣な顔で言う。


「洗面所二つよ?」


「魅力的ですね」


「トイレも二つ!」


「魅力的ですね」


「しかも二十二畳!」


「魅力的ですね」


 認めざるを得ない。


 魅力的だった。


 翌日。


 なぜか内見へ行くことになった。


 本来ならあり得ない。


 だが今の六人には勢いがあった。


 夏空が広がる午後。


 不動産会社の担当者が笑顔で案内する。


「こちらになります」


 エレベーターを降りる。


 ドアが開く。


 その瞬間だった。


「広いー!」


 和子が叫んだ。


 声が反響する。


 リビングは本当に広かった。


 窓も大きい。


 明るい。


 風も通る。


 二十二畳のLDKは今のマンションの倍近くある。


 由美子はすでに歩き回っていた。


「ここにソファ置いて」


「テレビはあそこ」


「観葉植物も置ける」


 完全に住む気である。


 修一は窓際へ向かった。


「ここでビール飲んだら最高だな」


「まだ住んでません」


 美咲が突っ込む。


 重雄は別の部屋を見ていた。


「十・五畳か」


「広いですね」


「将棋部屋にできる」


「しません」


 徹まで笑い出した。


 その時。


 和子が洗面所で歓声を上げた。


「見て見て!」


 全員が集まる。


 本当に広かった。


 鏡も大きい。


 収納も多い。


 そして。


「洗面所二つ!」


 和子と由美子が抱き合った。


「朝の戦争が終わる!」


「革命だわ!」


 美咲は腹を抱えて笑った。


 確かに革命だった。


 今の家で最も深刻な問題は洗面所だったのだから。


 さらにトイレも二つ。


 修一が感動している。


「待たなくていいのか」


「待たなくていいんです」


 重雄まで感動していた。


「素晴らしいな」


 なぜトイレで感動しているのか。


 だが全員同じ気持ちだった。


 見学が終わる頃には夕方になっていた。


 帰り道。


 六人は近くのファミリーレストランへ入った。


 窓際の席。


 オレンジ色の夕焼け。


 冷たい麦茶。


 ハンバーグの香り。


 フライドポテト。


 海老フライ。


 オムライス。


 パフェ。


 誰もが楽しそうだった。


 修一が言う。


「本当に引っ越したら面白いな」


「面白そう」


 和子も頷く。


 由美子はメニューを閉じながら笑った。


「六人で暮らすのも悪くないわね」


 重雄まで珍しく笑う。


「慣れたしな」


 美咲は窓の外を見た。


 夕焼けが街を赤く染めている。


 少し前なら考えられなかった。


 静かな二人暮らしが好きだった。


 今でも好きだ。


 だけど。


 こうして六人で笑っている時間も嫌いではない。


 徹が小さな声で言った。


「本当に引っ越す?」


「まさか」


 美咲は即答した。


「まさかね」


 二人は笑う。


 しかし。


 テーブルの向こうでは。


「私たちは九畳でいいわよ」


「じゃあ俺たちは十・五畳」


「リビングに大きいテーブル置こう」


「冷蔵庫二台いるな」


 すでに具体的な話が進んでいた。


 美咲と徹は顔を見合わせる。


 もしかして。


 この人たち。


 冗談じゃないのでは。


 そんな不安がよぎった。


 だがその時はまだ。


 誰も本気にはしていなかったのである。


続く。



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