第10話 夢の間取りと六人の暴走
第10話 夢の間取りと六人の暴走
その夜だった。
マンション見学から帰ってきた六人は、なぜか全員まだ興奮していた。
夕食は近所のスーパーで買ったお寿司だった。
まぐろ。
サーモン。
えび。
いなり寿司。
テーブルには冷やした枝豆と胡瓜の浅漬けも並んでいる。
窓の外では夏の夜風がカーテンを揺らしていた。
本来なら。
見学が終わった時点で夢は終わるはずだった。
普通はそうだ。
しかし。
この家には普通が存在しない。
修一がスマホを開いている。
和子も覗き込んでいる。
重雄まで眼鏡をかけて真剣だ。
由美子はなぜかメモ帳を持っていた。
嫌な予感しかしない。
「なにしてるの?」
美咲が聞いた。
由美子が顔を上げる。
「間取り見てるの」
「まだ?」
「楽しいじゃない」
修一も頷く。
「楽しい」
徹まで参加している。
完全に終わった。
美咲はお茶を飲んだ。
麦茶がやけに美味しい。
そして。
問題の発言は突然飛び出した。
由美子だった。
「ねえ」
「なに?」
美咲は嫌な予感しかしなかった。
「さっきのところ」
「うん」
「バリアフリーだったわよね」
「そうね」
「六階だけどエレベーターもあるし」
「そうね」
由美子は真顔で言った。
「借りたらみんな引っ越してくる?」
一瞬。
沈黙が落ちた。
美咲は笑う準備をした。
もちろん冗談だと思ったからだ。
だが。
次の瞬間だった。
修一。
和子。
重雄。
徹。
四人が同時に頷いた。
「うん」
「うん」
「うん」
「うん」
しかも全員。
本気だった。
「なんでこうなるのよーーーっ!」
美咲の悲鳴がマンション中に響いた。
修一が不思議そうな顔をする。
「だって広いぞ?」
「そういう問題じゃない」
「トイレ二つあるし」
「そこじゃない」
「洗面所も二つ」
「そこでもない」
「エレベーター付き」
「だから!」
和子まで目を輝かせている。
「私たち年取っても安心よ」
「老後計画始めないでください」
重雄が腕を組む。
「将棋部屋も作れる」
「作りません」
「作れる」
「作りません」
由美子が嬉しそうに言う。
「私たち九畳で十分よ」
「部屋割りまで決めないで!」
徹が笑っている。
こいつが一番悪い気がしてきた。
美咲はクッションを抱きしめた。
頭が痛い。
本当に頭が痛い。
しかし。
その話は止まらなかった。
「リビング二十二畳よ?」
和子が言う。
「みんなで鍋できる」
「今でもできてる」
「餃子百個焼ける」
「今でも焼いてる」
「お正月も集まれる」
「今でも集まってる」
言い返しながら美咲は気づいた。
全部事実だった。
反論になっていない。
修一がスマホを見せる。
「ほら」
「見たくない」
「収納も広い」
「見たくない」
「ウォークインクローゼット」
「見たくないって言ってるでしょう!」
なのに。
少しだけ見てしまった。
確かに広い。
確かに綺麗。
しかも家賃は思ったより安い。
危険だった。
この物件には人を惑わせる魔力がある。
翌朝。
美咲が起きると、リビングで四人が何やら盛り上がっていた。
朝食のトーストをかじりながら話している。
焼きたてのパンの香り。
コーヒーの香り。
スクランブルエッグ。
ベーコン。
そして。
間取り図。
「まだやってる!」
修一が振り返る。
「おはよう」
「おはようじゃない」
由美子は真剣だった。
「もし引っ越したら」
「しない」
「家庭菜園もできるかも」
「しない」
「ベランダ広いもの」
「しない」
和子も参加する。
「洗面所二つよ」
「それは魅力的」
思わず本音が出た。
全員が振り返る。
しまった。
修一が勝ち誇った顔をした。
「ほらな」
「違う」
「揺らいだ」
「揺らいでない」
「揺らいだ」
完全に面白がっている。
徹まで笑っていた。
朝日が差し込むリビング。
六人の笑い声。
パンを焼く香り。
コーヒーの湯気。
誰かの新聞。
誰かの眼鏡。
誰かのエプロン。
美咲はふと考えた。
少し前まで。
この家には二人しかいなかった。
静かだった。
広かった。
今は違う。
狭い。
うるさい。
トイレは混む。
洗面所も混む。
冷蔵庫は常に戦場。
なのに。
なぜだろう。
この騒がしさが嫌いではなくなっていた。
その時だった。
由美子がぽつりと言う。
「でもね」
全員が顔を上げる。
「こうして暮らせる時間って、意外と長くないのかもしれないわよ」
静かになった。
誰も喋らない。
窓の外で蝉が鳴いている。
夏の朝だった。
和子が小さく笑った。
「そうね」
修一も頷く。
重雄も。
徹も。
美咲は言葉が出なかった。
騒がしい毎日。
面倒な毎日。
だけど。
永遠ではない。
そのことだけは確かだった。
だからだろうか。
今この瞬間が少しだけ愛おしく思えた。
「まあ」
修一が立ち上がる。
「引っ越しはしないとして」
「そうしてください」
「今夜は焼肉にするか」
一瞬で空気が戻った。
「賛成!」
「私も!」
「カルビ!」
「私はハラミ!」
大騒ぎが再開する。
美咲は笑った。
本当に。
なんでこうなるのよ。
そう思いながらも。
笑顔だけは消えなかった。
続く。




