第3話 援軍襲来
第3話 援軍襲来
日曜日の昼下がりだった。
窓から差し込む初夏の日差しがリビングの床を明るく照らしている。
本来なら穏やかな休日だったはずだ。
美咲はお気に入りのマグカップにコーヒーを淹れ、映画を一本観る予定だった。
だが現実は違う。
「修一さん、それじゃ切り方が厚いのよ」
「厚い方がうまい」
「うまくても火が通らないでしょう」
「そんなことない」
「あるの!」
キッチンでは義父母が口論していた。
内容はカレーに入れるじゃがいもの切り方だった。
朝から三十分。
まだ続いている。
美咲はソファに座りながら遠い目をした。
隣では徹が新聞を読んでいる。
「ねえ」
「ん?」
「いつ帰るの?」
「リフォーム終わったら」
「それいつ?」
「二か月後くらい」
美咲は頭を抱えた。
限界だった。
昨夜、ついに実母へ電話したのだ。
愚痴を聞いてもらおうと思っただけだった。
本当に、それだけだった。
だが。
「なにそれ!」
受話器の向こうで由美子が叫んだ。
「勝手に住み込んだの!?」
「うん」
「信じられない!」
「まあ悪い人たちじゃないんだけど」
「悪いでしょう!」
「いや、だから」
「美咲は昔から我慢しすぎるの!」
そこから一時間。
由美子の怒りは収まらなかった。
美咲は途中から相づちしか打てなくなった。
そして今朝。
そのことをすっかり忘れかけていた。
昼過ぎだった。
突然インターホンが鳴った。
ピンポーン。
宅配便だろうか。
美咲が玄関へ向かう。
ドアを開けた瞬間。
固まった。
「お母さん?」
そこには由美子がいた。
花柄ブラウスに白いパンツ。
大きな麦わら帽子。
そして。
巨大なスーツケース。
「来たわよ!」
満面の笑みだった。
美咲の顔から血の気が引く。
「なんで?」
「娘が心配だから」
「なんで荷物持ってるの?」
「泊まるから」
美咲はゆっくり後ろを見る。
「徹」
「はい」
「助けて」
「無理そう」
その時だった。
エレベーターの向こうからさらに人影が現れる。
実父の重雄だった。
両手いっぱいに荷物を抱えている。
「重い……」
「お父さんまで!?」
「母さんが行くって言うから」
重雄は疲れ切った顔だった。
どうやら強制連行されたらしい。
由美子は胸を張った。
「美咲が向こうの親御さんにいじめられてないか確認しないと」
「いじめられてないから!」
「遠慮しなくていいのよ」
「遠慮してない!」
その騒ぎを聞きつけて義父母が現れた。
「あら?」
和子が目を丸くする。
由美子も目を丸くした。
数秒の沈黙。
そして。
「初めまして!」
二人は同時に頭を下げた。
なぜか満面の笑みで。
美咲は嫌な予感しかしなかった。
リビングへ移動する。
お茶が出る。
お菓子が並ぶ。
まるで親同士の顔合わせだった。
しかし問題はそこではない。
「で?」
美咲は尋ねた。
「いつ帰るの?」
由美子は不思議そうな顔をする。
「帰る?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって」
「しばらく様子を見るのよ」
美咲は天井を見上げた。
終わった。
完全に終わった。
和子が笑顔で言う。
「賑やかになっていいじゃない」
「そうですよね!」
由美子も頷く。
意気投合している。
なぜだ。
なぜ戦わない。
ドラマならここで嫁姑バトルだろう。
なぜ仲良くなっている。
その日の夕食は鍋になった。
六人で囲める料理という理由だった。
大きな土鍋の中で鶏肉や白菜がぐつぐつ煮えている。
出汁の香りが部屋いっぱいに広がる。
修一がビールを開ける。
重雄もつられて飲み始める。
「お父さん、お酒飲むの?」
美咲が驚く。
重雄は無口な人だ。
だが今日は少し機嫌が良かった。
「たまにはな」
「ほら、飲みなさいよ」
由美子が勧める。
「久しぶりに親戚の集まりみたいで楽しいじゃない」
「親戚じゃない」
美咲が呟く。
だが誰も聞いていない。
「修一さんは定年後なにしてるんです?」
「家庭菜園だな」
「へえ!」
「トマトは難しい」
「分かります!」
なぜか父親同士も盛り上がる。
徹まで笑っている。
孤立しているのは美咲だけだった。
鍋から立ち上る湯気が眼鏡を曇らせる。
美味しい。
悔しいけれど美味しい。
鶏肉は柔らかく、出汁が染みている。
白菜も甘い。
だが問題はそこではない。
食後。
ついに現実が突きつけられた。
「どこで寝るの?」
美咲の問いに全員が黙る。
そう。
そこだった。
ここは二LDKなのだ。
客間などない。
和子が言う。
「私たちは和室で」
「うん」
「お父さんたちはリビング」
「うん」
「あなたたちは寝室」
美咲は計算した。
六人。
二LDK。
どう考えても狭い。
重雄がぽつりと言った。
「帰るか?」
希望の光だった。
しかし。
「何言ってるの!」
由美子が即座に却下した。
「娘が心配でしょう!」
「元気そうだけど」
「それとこれとは別!」
重雄は黙った。
完全敗北だった。
夜。
寝室で美咲はベッドに倒れ込んだ。
隣には徹。
リビングからは父親たちの笑い声。
和室からは母親たちの会話。
静寂はどこにもない。
「徹」
「ん?」
「私たちの家だよね」
「一応」
「なんで一応なの」
徹は笑った。
美咲は枕に顔を埋める。
笑い事ではない。
本当に笑い事ではない。
だが。
リビングから聞こえてくる父親たちの大笑いに、少しだけ口元が緩んだ。
その瞬間。
美咲はまだ知らなかった。
六人暮らしの本当の地獄は、ここから始まるのだということを。
特に朝のトイレ争奪戦が、想像を絶する戦場になることを。
続く。




