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第12話 その計算、やめてください

第12話 その計算、やめてください


 発端は日曜日の朝だった。


 朝食はホットサンドだった。


 ハムとチーズを挟み、こんがり焼かれたパンからバターの香りが漂っている。


 トマトサラダ。


 ヨーグルト。


 コーヒー。


 そして相変わらず六人分。


 食卓は満席だった。


 窓の外では蝉が鳴いている。


 夏本番だった。


 美咲はのんびりコーヒーを飲んでいた。


 珍しく平和な朝だった。


 少なくとも、その時までは。


「そういえば」


 修一が新聞を畳んだ。


「例のマンション」


 嫌な予感がした。


 美咲はそっとカップを置く。


「まだ続いてたの」


「続いてる」


 修一は堂々と言った。


 和子も頷く。


 由美子も頷く。


 重雄まで頷いた。


 徹もなぜか頷いた。


 なんで全員頷くのよ。


「家賃いくらだっけ?」


 和子が聞く。


「二十二万円」


 修一が答える。


「高いわねえ」


 由美子が言う。


 そう。


 普通はここで終わる。


 二十二万円。


 高い。


 終了。


 それが普通だ。


 しかし。


 修一は違った。


 修一は電卓を取り出した。


 嫌な予感しかしない。


「二十二万円」


 ピッ。


「三世帯で割る」


 ピッ。


「七万三千三百三十三円」


 静かになった。


 全員が電卓を見る。


「安い」


 和子が言った。


「安いわね」


 由美子も言った。


「安いな」


 重雄まで言った。


 美咲は目を閉じた。


 聞かなかったことにしたい。


 だが無理だった。


「今より広い」


 修一が続ける。


「トイレ二つ」


「洗面所二つ」


「エレベーター付き」


「バリアフリー」


 まるで通販番組だった。


 徹まで腕を組んでいる。


「確かに」


「確かにじゃない」


 美咲は即座に否定した。


 しかし。


 修一の暴走は止まらない。


「さらにだ」


「さらに?」


「今ある家は貸せばいい」


 全員が固まった。


 美咲も固まった。


 由美子が言う。


「なるほど」


 なるほどじゃない。


 和子も言う。


「確かに」


 確かにじゃない。


 重雄まで言った。


「理屈は通ってる」


 通ってない。


 絶対通ってない。


「待って」


 美咲は立ち上がった。


「待って」


 全員を見る。


「今の話おかしいでしょう」


「どこが?」


 修一が本気で聞いてくる。


「全部」


「全部?」


「全部」


 徹が苦笑した。


「まあ落ち着いて」


「あなたも参加してたでしょう!」


「ちょっとだけ」


「ちょっとじゃない!」


 和子がスマホを見せる。


「ほら」


「見せないで」


「この広いキッチン」


「見せないで」


「収納も多い」


「見せないで」


 なのに見てしまう。


 広い。


 とても広い。


 今の倍くらいある。


 六人いても余裕だ。


 それが悔しい。


 その日の昼。


 なぜか六人で近所の喫茶店へ行った。


 ナポリタン。


 クリームソーダ。


 アイスコーヒー。


 プリンアラモード。


 昔ながらの店だった。


 窓際の席で。


 また始まった。


「家具は持っていけるな」


 修一が言う。


「このソファも」


 和子が言う。


「ベッドも入るわ」


 由美子が言う。


「将棋部屋いるな」


 重雄が言う。


「いらない」


 美咲が言う。


「いる」


 修一が言う。


「いらない」


「いる」


 小学生だった。


 完全に小学生だった。


 周囲の客が笑っている。


 恥ずかしい。


 ものすごく恥ずかしい。


 だが。


 なぜか少し楽しい。


 喫茶店を出た帰り道。


 夕暮れだった。


 商店街の風鈴が鳴っている。


 焼き鳥の匂い。


 子どもたちの笑い声。


 夏祭りのポスター。


 そんな風景の中を六人で歩く。


 ふと。


 美咲は思った。


 不思議だな、と。


 少し前まで。


 この人たちは別々の家で暮らしていた。


 別々の人生を歩いていた。


 それなのに今は。


 一緒に歩いている。


 一緒に笑っている。


 一緒に未来の話をしている。


 その時だった。


 由美子がぽつりと言った。


「でもね」


「なに?」


 美咲が聞く。


 由美子は少し照れたように笑った。


「本当に引っ越すかどうかは別として」


「うん」


「こうやってみんなで考えてるだけでも楽しいわね」


 静かになった。


 修一も笑う。


 和子も。


 重雄も。


 徹も。


 美咲は何も言えなかった。


 その代わり。


 少しだけ笑った。


 確かにそうだった。


 引っ越すかどうかは分からない。


 たぶん引っ越さない。


 でも。


 六人で同じ夢を見ている時間は悪くなかった。


 その夜。


 リビングで再び間取り図が広げられる。


 そして美咲は気づく。


 自分もいつの間にか。


「この部屋なら本棚置けるかも」


 と考えていたことに。


「美咲」


 徹がニヤニヤしている。


「なに」


「揺らいでる」


「揺らいでない」


「揺らいでる」


「揺らいでない」


 そのやり取りを聞きながら。


 四人は大笑いした。


 なんでこうなるのよ。


 そう思いながら。


 美咲も一緒に笑っていた。


続く。



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