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「な、なんだぁ?」

 先に入ったワタルがリビングの扉付近に立ち、あぜんとつぶやいた。その肩越しに、哲哉はおそるおそる中を覗いた。

 そんなふたりを迎えたのは、部屋の中央でじっと天井をにらんでいる弘樹の姿だった。

「おぉ、やっと着いたか」

 哲哉たちに気づいた弘樹は、おおかたの予想を裏切り、ケロッとした顔であいさつした。

「ひ、弘樹。なんだよ、その格好?」

 哲哉は、まだ事態がのみこめないでいた。

 トレードマークのタンクトップにバンダナはいつもと同じだ。だがその右手には丸められた新聞紙、左手には殺虫剤のスプレー缶を持っている、そして足元にはスーパーの袋と、なぜか割り箸。くわえタバコで顔だけ動かして、じっと何かを捜している。

 いったい何をしようとしているのか。哲哉はなぜかいやな予感がしてきた。

「そこだ!」

 突然弘樹がさけんだかと思うと、哲哉とワタルに殺虫剤のノズルをむけた。

「わっ!」

 びっくりして手を挙げるワタルと、それにしがみつく哲哉。

 ふたりのすぐそばの壁にむかって、弘樹は殺虫剤をかけた。そしてバシッ! すかさず右手の新聞紙で壁をたたく。

「ほら、完璧だ。だからもう怖がらずに出ておいでよ」

 弘樹は寝室のドアを開け、隠れている人物にニッコリと呼びかけた。中から沙樹が、やや青ざめてはいるものの、安心した顔つきで出てきた。

「沙樹、大丈夫か?」

 ワタルは姿を見るなり、そばに走りよった。そして心配そうに声をかけた。

「あ、ワタルさん。帰ってくれたのね。でもやだな。なんか話が大きくなっちゃって……」

 頭をかき、天井を見上げながら、ばつの悪そうに沙樹が言った。

「何があったんだ? いったい」

 ワタルの質問に、沙樹はうつむいたまま何も答えない。

 哲哉は弘樹がたたいた壁を何気なく見た。そのちょうど真下に黒い物が落ちている。よく見るとそれは――

「えーっ? ゴキブリぃ?」

「そうなんだ」

 弘樹は涼しい顔で答えながら、壁の前にしゃがみこんだ。そして割り箸で死骸をつまみ、スーパーの袋に放りこんだ。

「さっきから何匹退治したかな。えーと……いち、に……」

「数えなくていいって!」

 指折り数えはじめる弘樹に、哲哉は思わず声を張り上げた。

 興奮がおさまるのと同時に、哲哉とワタルにも少しずつ事態が飲み込めてきた。

「西田さん。あの悲鳴は、ひょっとして……」

 哲哉が横目でにらみながら言う。沙樹はおずおずと答えはじめた。

「ごめんなさい。Gがたくさん出てきたんで、つい取り乱しちゃって」

(『G』? 名前を口にするのもイヤか)

 哲哉は心の中でため息をついた。

「じゃあ、途中で電話が切れたのは?」

 今度はワタルが問いかけた。

「あれね……目の前の壁をGが横切って。パニッくってスマホを落したら、その拍子で切れてしまったの」

「すぐにかけなおせばいいじゃないか」

「だって、スマホのすぐ近くに二匹いたら、拾うことできないでしょ」

 沙樹はすまなそうに頬をかいた。

「あ、そう……」

 肩をガックリ落とし、ワタルがためいきをついた。そのときだった。

 バシッと背後で音がした。弘樹が壁をたたいたようだ。そしてあっというまに昇天したゴキブリを、箸でつまんでゴミ袋に投げ込む。

「弘樹さんてね、すごいのよ。殺虫剤で敵を弱らせてね、すかさず新聞紙でとどめをさすの。百発百中なんだから。一匹も逃してないんだよ」

 感動半分、尊敬半分の表情で沙樹が語る。哲哉とワタルは一気に力がぬけて、その場に座り込んでしまった。

「さすがはドラマーね。あれだけリズミカルにスティックをたたいてるだけあるわ」

「絶妙のタイミングってとこかな」

 といいながら、また弘樹は一匹しとめた。

 そのようすを見ながら、哲哉とワタルは互いに情けない表情を浮かべて見つめあった。

「ワタルぅ、いったいおれたち……」

「何しに戻って来たんだ?」



「つまりだ、ワタルがベランダにおいてあった荷物に、ゴキブリが潜んでいたというわけなんだ」

 ゴキブリ退治がおちついたところで、弘樹の説明がはじまった。ぐったりとソファーに座り込んだ哲哉とワタルを目の前にして、弘樹が語る。

「部屋の中だけ害虫駆除しても、通気孔や下水をつたってあいつらは逃げていく。そしてベランダの荷物の中に隠れてた。ところが『台風で荷物が飛ばされちゃたまらない』てことで何も知らないワタルが部屋の中に引き込んだ。追いだした害虫も一緒にな」

 ひと通り説明が終わったところに、沙樹がアイスコーヒーを入れてきた。

「おつかれさま、弘樹さん。本当に助かっちゃった」

 ちゃっかり弘樹のとなりに座って、沙樹が礼を言った。

「あまり知られてない話だけど、観葉植物の鉢の下は、ゴキブリが潜むのに最適らしいんだ。だから冬場に殺虫剤をまめにかけると、かなりの高い確率で駆除できるって読んだことがあるんだ」

 と言って弘樹はタバコをとりだし、ジッポで火をつけた。

「ふーん、弘樹さんて物知りなんだ」

 沙樹は尊敬のまなざしで弘樹を見つめた。ゴキブリ退治ができるだけでここまで尊敬されるとは、だれが予想したことか。

(ゴキブリ・ハンター弘樹ってか? まさかドラマーの腕がこんなとこで役立つとはな)

 あまりの情けなさに、哲哉はますます力がぬけていった。そして、

(こんな姿、ファンが見たら悲しむよな。それこそカミソリものだぜ)

 と、頭を抱え込んだ。

「それより、沙樹。みんなをこんなに心配させて、少しは反省してるのか?」

 あきれ顔のワタルが、腕組みをして沙樹を戒めた。

「はい、充分反省してます……」

 沙樹は肩をすぼめ、うつむいたまま、すまなそうに答えた。

「こんなことでいちいち騒いでいたら、本当に危険なとき、だれも来てくれなくなるぞ。狼少年の寓話を知ってるだろ」

「いいじゃないか、ワタル。なんでもなかったんだ。西田さんも悪気があってのことじゃないんだし、もう責めんなよ」

 あわてて哲哉がフォローした。

 ワタルを必要以上に心配させたのは、哲哉の勝手な推理だ。

(なんせ、『ファンが逆上して……』だもんな)

 それだけに沙樹一人を責めることはできなかった。

「けどさ、ワタルときたら、本当に真っ青な顔してあわてふためくんだぜ。いつものリーダーさんとは思えないんだ、これが」

「それだけ沙樹ちゃんが好きなんだ」

「お、おまえらなーっ!」

 しれっとした顔で言うふたりをワタルがどなる。沙樹は照れくさそうに両手を頬にあてて、顔を真っ赤に染めた。

「それよりさ、女の子ってゴキブリが苦手だっていうけど、西田さんは特別ひどくないか? 何か理由でも?」

「理由? まあ、あることにはあるけと……でもね、暗ーい過去なのよ」

 哲哉の質問に、沙樹は頬をかきながら、しゃべりはじめた。

「あれは高校三年生の夏のことだったの。受験勉強の傍ら、夜食のインスタント・ラーメン作ってたら、ビッグGが二匹も出たの」

 沙樹は急にゾッとした表情になった。

(今度は『ビッグG』かよ。ゴジラじゃあるまいし)

 名前を口にすると、呪われるとでも思っているんだろうか。訊くんじゃなかったと、哲哉の中で若干の後悔が生まれた。

「それまでのあたしは、Gが怖くても、退治くらいはできてたの。だからそのときも、すぐに殺虫剤をかけたのよ。そしたら……」

 沙樹は自分の腕で肩を抱いた。ひきつった表情が、そのときの恐怖を物語っている。

「飛びかかってきたのよ!」

「何が?」

 とワタルの冷たい声。

「Gが、あたしの、顔に!」

(よくある話だ)

 話を聞いて、哲哉はまた力の抜ける思いがしていた。

 殺虫剤をかけられて弱ったゴキブリが、その勢いでこちらにむかってくるというのは、哲哉も体験したことがある。だが、顔に飛びかかられたことはない。

「あたし、『いやーっ』て悲鳴上げてGをふりはらったの。そしたらその拍子に鍋の柄に手が当たって、ひっくり返しちゃって――それがごていねいにも、床に軟着陸したG二匹の上にかかったのよ。あとはもう……話すのもイヤ。ご想像にお任せします」

「本当か? 話がうますぎる。なんか脚色してないか?」

 ワタルが疑わしげな視線で沙樹を見た。

「してないよ。本当に怖かったんだから」

 沙樹は少しすねた顔で答え、話を続けた。

「あたしは指と足にやけどしたの。当然、夜食はダメになったでしょ。作り直そうにも、それが最後の一個だったから、どうしようもなくて。その晩はおなかすかせたまま、指と足の痛みに耐えつつ、徹夜で受験勉強したってわけ。

 それからしばらくは、Gに飛びかかられたときの感触が残ってて、死ぬかと思ったよ」

「それでゴキブリがダメにね……情けない話だ」

 ワタルが大きくため息をついて、うなだれた。

「なんてつまらないオチなんだよー」

 哲哉はあまりのばかばかしさに、ソファーの背もたれにのけぞり、天を仰いだ。



 それから三日間、弘樹はワタルの部屋に通いづめた。そしてドラマーのもつとびきり優れたリズム感覚で、出てくるゴキブリを次々と退治した。あらかたいなくなったところで、ワタルは害虫駆除を行った。それ以来今日までゴキブリに遭遇することはない。

 哲哉と沙樹は、自分の部屋のベランダに置いた鉢植に殺虫剤をかけた。哲哉は出てきたゴキブリを難なく退治したが、沙樹はまたもや顔に飛びつかれた。あまりの恐怖に大声で悲鳴を上げてしまい、事件と早とちりしたマンションの管理人さんに迷惑をかけてしまった。

 沙樹のゴキブリ嫌いはこうしてますます度を増していくのだった。



 台風は思わぬところに爪痕を残し、去っていった。人知を越えたところにまで災害を引き起こす自然の力に、驚異と同時に偉大さを感じずにはいられない哲哉だった。

「んなわけ、ねーだろ。ったく」



 そうですね。おそまつさまでした。



 最後まで読んでいただけて、ありがとうございました。

 まさかこんな展開になるとは……と思われてる方もいらっしゃると思います。サスペンスのふりをしたギャグという位置づけで書いた作品ですので、こんなオチになりました。

 サスペンスを期待されて読まれた方、ごめんなさい。

 この話は自分の体験が元になっています。またラスト近くの弘樹の解説は、実際にノウハウ本に出ていた内容です。


 次回はこんな変化球でなく、直球の作品を投稿します。これにこりず、また読んでいただければ幸いです。

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