終章
白いリコ・フラワーが一面に咲き乱れる丘。
夕日に照らされ一帯の景色がオレンジに染まる頃。
フェンリルと人間の夫婦がその真ん中で寄り添っていた。
イェナは逞しい腕に小さなリコの体を抱き、沈みゆく夕日を共に眺めていた。
リコ・フラワーの淡い香りがリコとの想い出を運ぶ。
リコも何かを想い出しているのか、胸いっぱいにその空気を吸い込むと、ほんのり微笑んだ。
前世では流れ星を探すかのようになかなか見つけられなかったリコの笑顔を、今世ではどれほど見て来ただろうか。
緩やかに弧を描く口元を見て、イェナもふっと笑みをこぼした。
「なに?」
「お前はいつ見ても綺麗だ」
リコは笑みを深めると、か細い手をイェナに伸ばした。
イェナもそっとその手を取り、そのまま唇を寄せた。
「約束を覚えている?」
「約束?」
「私がここに来た時。カイルと前世からの想いを交わしたその日の約束」
「お前を幸せにすることか?」
「それはもうずっと叶っている。もう一つの方」
「勿論忘れていない。この図体で泣くのはあの一度きりだ」
一陣の風がリコ・フラワーを攫い、香りと花弁が宙に舞う。
サラサラと草が揺れる音が耳に届いた。
地平線に夕日が吸い込まれていく。
「今夜は満月だね」
「そうだ。しかも特別な満月だぞ」
「夜空の白真珠」
リコの答えにイェナは頷く。
「食べちゃだめだよ」
「そんな逸話もあったな」
夕日が沈んでからいよいよ輝き出す、ひと際大きくひと際白い、夜に浮かぶ白真珠。
ほどなくして、夕日は地平線に刹那の光を浮かばせると姿を消した。
リコを抱きしめたまま空を見上げる。
薄闇の中、月を見るイェナの顔は再会の時から今も変わらず鋭く、雄々しく、愛おしい。
抱きしめる強い腕の中、彼の体温と心を満たす温もりが心地良かった。
何度抱かれても、この腕の中は彼女に安心感をもたらす。
お前は一人ではないと知らしめてくれる。
「カイル」
何年経っても変わらなかったその名を細く呼ばれ、イェナが下を向く。
以前は銀に青を溶かしたような瞳だった。今は前世の自分と同じ緑青の瞳。
優しい光を湛えたその瞳を見返すと、彼女はイェナの頬を細い指でなぞった。
そのまま豊かな暗灰色の髪に手を差し入れ、その上の方にある犬のような耳の後ろを爪先でくすぐる。
イェナはその感触にくすりと笑うと、耳を揺らした。
「百回生まれ変わっても、百回カイルに出会いたい」
「百回生まれ変わっても、百回リコを探しに行こう」
リコはその答えに満足したのか、想いを胸に閉じ込めるように瞼をおろすと、綺麗な笑みを浮かべた。
日没後の満月はどんどん明るさを増してくる。
イェナは月ではなく、自分の胡坐の中にすっぽり収まったリコを見つめた。
やがて闇が深まり、一部だけ切り取ったような明るさが生まれる。
月が白真珠になった瞬間だった。
希望の花、白い月、愛する女。
全てが美しく、全てが愛しい。
この瞬間の全部を、どこかに閉じ込め何百回でも感じたい。
リコ、見えるか? 初めてお前と出会った日も満月だったな。
イェナは夜空の真珠を眺めた後、前世から愛しい人の顔をもう一度眺めた。
白い光に照らされ、彼女は綺麗に笑っている。彼もそれを見て笑った。
「リコ、俺の愛する希望」
イェナはそう呟くと、笑みの形のままの唇にそっと口づけを落とした。
雫が一滴、彼女の頬に落ちる。
「一滴くらいなら、約束の内に入るだろう?」
そう言うと彼は目を閉じたまま、約束を果たすために頭上の星を仰いだ。
薄れゆく温もりを抱いた彼の耳には、遠くで幾重にも重なる、彼女の遺伝子を継いだフェンリルの遠吠えが聞こえた。
――完――
ダンジョンを中心に据えた物語としては冒険と言うには動きが足りず、そして恋愛と言うにはあまりにも静かな話だったかなと思います。
最後までリコとカイルの長きに渡る旅路を見守り下さりありがとうございました。
感想・評価等頂けますと励みになります。
誰かの心に残る物語であったら嬉しく思います。




