327話 セレスティアの悪夢(前編)*
魔王城、魔王軍のアルセリア侵攻の決起集会。
広大な空間の中央で、一人の少女が跪いていた。
黒い石で造られた床。
左右に並ぶ魔族の重臣たち。
そして、最奥に座する魔王。
その前で、セレスティアは静かに頭を下げていた。
「私は、魔王様に忠誠を誓います。」
(……忠誠?)
自分の声だった。それなのに、どこか遠くから聞こえているような気がした。
「アルセリアの王女として持つ全ての知識を、魔王軍のために使います。」
(……魔王軍のため?)
セレスティアは顔を上げた。
魔王が満足そうに笑う。
「期待しているぞ。お前自身の手でアルセリアを滅ぼすのだ。」
セレスティアは静かに頷いた。
「はい。魔王様のお心のままに。」
(魔王様?……私は一体何を……。)
その瞬間、目の前の光景が切り替わった。
◇
アルセリア王国に接する国境付近。
魔王軍の先見部隊が森の中を進んでいる。
その先頭に立って部隊を指揮していたのは、セレスティアだった。
魔王軍の紋章のついた黒いバトルドレスに身を包み、細剣を掲げて部隊を前進させる。彼女の後ろには、数十名の魔族兵が従っている。しかし、兵らは望んでセレスティアの指揮下に入ったのではなく、魔王の命により従っているだけだった。
「この先に隠された砦があります。」
(それは……軍事機密なのに……。)
セレスティアは地図を広げ、砦の場所を指し示す。
「ここを潰さずに進軍が王都に連絡されてしまうと警戒されてしまいます。ですから、秘密裏に潰します。通信障害を偽装すれば充分な時間が稼げるでしょう。」
(私は一体、何を言っているの…?)
魔族側の指揮官が頷く。
「わかった。では、その通りに進めよ。」
「はい。」
◇
セレスティアは砦にやってきた。巧妙に隠されていた扉を開けると、中には兵士2人が哨戒任務をしていた。
兵士達は急に開いた扉の方を見て驚き、入ってきた人物を見て更に驚いた。
「何者……セ、セレスティア第一王女殿下っ!」
「まさか!?ど、どうしてこんな所に?」
慌てて敬礼する兵士2人にセレスティアは笑顔で応えた。その後、ちょっとだけ困ったような表情で兵士達に近づいていく。
「任務ご苦労様です。ちょっと、ここに用事がありまして……。」
「よ、用事でありますか!?それは一体?」
「それは……」
兵士達のすぐ近くににまで近づいたセレスティア。
「なんか、ここ少し暑いわね……。」
そう言って胸の間のファスナーを少し下ろす。彼らの視線はセレスティアの谷間と、その表情の変化に集中しており、両手が兵士達の腹部に向けられていることには気がつかない。
「その用事というのは……この《エレキ・ショック》よ。」
「「あ"っ……。」」
(私は一体、何を!?)
両手から放たれた高電圧の電魔法が瞬時に兵士達の意識を刈り取った。その後、魔族兵が入ってきて兵士達を何処かに連れていく。その間にセレスティアは服を直し、ミリアを呼んで通信障害に見えるように機器を細工した。
「終わりました。」
魔族の指揮官が感心したように頷く。
「兵士達も、まさか自国の王女に裏切られるとは思うまいな。はっはっは!」
その言葉を聞いた瞬間、セレスティアの胸の奥に痛みが走った。だが…
「進みましょう。」
そう言って、彼女は森の奥へ歩き出した。
◇
最初の村。辺境にあるにも関わらず、門番のアルセリア兵が常時警戒しており、遠目からでも大軍とわかる魔王軍の動きは既に察知されていた。しかし、前線の砦からの報告がなかったため、碌な準備もできずに魔王軍を迎え撃つことになったのだ。
そして、魔族の軍勢の先頭を行くのはセレスティアだ。
「まさか、セレスティア王女殿下……?」
砦の兵士が目を見開く。
「本物の殿下だ。しかし、何故?」
セレスティアは答えない。
ただ、その兵士の顔を見つめる。
昔、王城で何度かみたことがあった。
王家への忠義が厚く、幼い頃に自分の護衛をしてくれたこともある。
名前も知っている。護衛中に家族のことを話してもらったこともあった。
「殿下!セレスティア殿下なのですか?」
兵士が叫ぶ。その言葉にセレスティアは微笑んだ。
「ええ。私です。」
その瞬間、セレスティアは振り上げた細剣を振り下ろした。それを号令に、魔族兵の魔法と魔導銃の一斉射撃が始まった。
「うわぁぁああああっっっ!」
「ぐはっ!ぐはっ!殿下……どうして。」
あっという間に門番の兵士達は蜂の巣になっていく。それから村の中は瞬く間に地獄絵図と変わった。魔族兵と魔族兵が使役する魔獣とが兵士と住民を蹂躙し、女子供を含む全ての住民が血の池に沈むまで5分と掛からなかった。
魔王軍は、さらにアルセリアの中心、王都に向かって突き進んでいく。
◇
そこには巨大な防壁が聳え立っていた。
王都に蓄えられた膨大な魔力の供給を受けて構築されている防御結界と迎撃用の魔弾砲台。それらは過去に何度も魔王軍の侵攻を拒んできた鉄壁の守り。
「どうするつもりだ?」
魔族の指揮官が尋ねる。
セレスティアは防壁を見上げた。
「外から防御結界を解除します。」
「そんな事ができるのか?」
「……私なら可能です。」
セレスティアは右手を地面について、魔力の流れを探る。何回かの試行錯誤の末、防壁と王都を繋ぐ魔力の流れを特定した。そこを通してセレスティアの魔力が、防壁の術式へ流れ込む。
『王族認証。第一級権限を使用します。』
防壁の魔導システムがセレスティアの魔力を識別して、セキュリティが解除された。今やセレスティアはシステムの全てを操作出来る。
「停止。」
そのセレスティアの命令により、防護結界と魔導砲台が機能を停止した。防壁を包む巨大な結界が消える。防壁にいた兵士達からは悲鳴にも似た怒号が飛び交う。
「えっ!?防壁魔法が……消えただと!」
「くっ、なんで弾が発射されないんだ!」
「もう白兵戦しかない!なんで、こんなときに。」
一方、魔王軍の魔族兵から歓声が上がる。
「道が開いた!」
「忌まわしき防壁が消えたぞ!」
「進め!殺せ!」
魔王軍が門を破壊して一斉に雪崩れ込んでいく。
セレスティアは、その後ろを歩いていた。
防壁を解除した。自分が守るべき国の防御を。
自分自身の手で。
門をくぐった先にあったのはアルセリアの兵士と市民の亡骸で出来た道だった。
(ひどい……なんて事を……。)
心の中でセレスティアは必死に抵抗する。しかし、セレスティアは、魔王軍と共に、その道を踏み締めて進む。
◇
侵攻は止まらなかった。
魔王軍は次々とアルセリアの防衛線を突破していく。そのたびにセレスティアは、王女として知っていた情報を提供した。
(もうやめて……。私のせいでアルセリアの民が……。)
一つ、また一つ、アルセリアの防衛が崩れていく。
魔族の指揮官はセレスティアを絶賛した。最初こそ懐疑的だった魔族兵達も、その快進撃にセレスティアの指示に従うことへの抵抗感は次第に減り、逆にとことんまで利用してやろうという空気になっていた。
「素晴らしい。王女がいるだけで、これほど容易く進めるとは。アルセリアは、もはや抵抗できまい。」
セレスティアは何も答えなかった。
ただ、王都を見つめていた。
そこには、自分が生まれ育った場所がある。
父がいる。
義母がいる。
そして、妹がいる。
心の中のセレスティアは必死で身体のコントロールを取り戻そうとしていた。しかし、身体は言うことを聞いてはくれない。
魔族の指揮官がセレスティアに問う。
「あと少しで王都だ。何か思うところはあるか?」
「アルセリアを魔王様に捧げることが、今の私の使命です。」
(なんで……なんでよ……。)
「そうか……。くくくっ。悔しがる貴様を見れないのは若干残念だが、まあ、それはそれで良かろう。」
◇
アルセリア王都
最後の防衛線にアルセリア軍が集結していた。皆、疲弊しているが、まだ戦う意思を失ってはいない。
しかし、今その5倍以上の兵数からなる魔王軍が王都を取り囲んでいる。そしてその先頭に立っているのはセレスティアだった。
「セレスティア姫様……。」
兵士たちがざわめく。
「本当に魔王軍に……。」
セレスティアは訴える。
「私は、アルセリアのために戻ってきました。」
(やめて!もう、これ以上は!)
兵士たちの表情に、僅かな希望が浮かぶ。
「殿下……!」
しかし次の言葉で、その希望は消えた。
「今すぐ武器を捨てて降伏なさい。これ以上の抵抗は無意味です。大人しく魔王様に国と命を差し出すのです。」
(………誰か、私を……止めてください……殺して。)
兵士たちが絶句する。
「何を……殿下、本気なのですか?」
セレスティアは答えなかった。
ただ、背後の魔王軍へ手を向ける。
「進軍を開始してください。」
(やめてぇーーーーーーーっ!)
魔王軍が動き、アルセリア軍も抵抗する。
しかし、既に勝敗は決まっていた。
防衛計画を知るセレスティアが、全ての弱点を知っている。
どこへ兵を動かせばいいのか。
どこを突破すればいいのか。
どこを守ればいいのか。
どこを捨てればいいのか。
全て分かっている。
だから、王都の防衛線は、次々と崩れていった。
◇
王城跡地。
最後の戦場となったその地でセレスティアは足を止めた。ルナの協力のもとハッキングに成功した最終魔導兵器の砲撃により王城は壊滅した。
亡き母との色々な思い出の詰まった場所が全て一瞬で無くなった。そして、ここには自分の家族がいたはずだった。幼い妹も。
今、セレスティアの両手には神器である王冠と王笏がある。
(これ以上、民を苦しめるのはやめて!なんで私の身体なのに、動かせないの!)
セレスティアは王冠を被り、王笏を掲げた。
「第25代目アルセリア女王セレスティア=アルセリアの名の元に命じる。アルセリアの全ての魔法力を強制停止せよ。」
その宣言が王冠と王笏を通じて、王城の地下深くに記された魔法陣に届く。そして、アルセリア建国以来初めてとなる魔法力の封印の儀が成立した。
アルセリアの兵士達は直ぐに気がついて動揺を見せる。
「なっ、急に身体が重く!」
「身体強化魔法が突然切れた?」
それに対して勢いつく魔王軍。
「なんか動きがわるくなったぜ!」
「ヒャッハー!汚物は皆殺しだーーー!」
その様子をセレスティアは、ただ眺めていた。
(これで本当に終わり………お父さま、お母さま、お義母さま、申し訳ありません。)
その時、瓦礫の向こうから声が聞こえた。
「お姉さま!」
傷だらけになりながらも瓦礫をかき分けて出てきたのは妹のリリアだった。
(リリア!よく無事で!)
セレスティアは目を閉じる。
「リリア。私は、もう決めたのです。」
(リリア、逃げて!逃げなさい!)
「お姉さま……?」
リリアが不安そうに見上げる。
(やめて。お願い。せめて、この子だけは。)
「どうして……?」
セレスティアは妹を見つめる。その瞬間、ほんの一瞬だけ昔の記憶が蘇った。
一緒に笑った日。
手を繋いで歩いた日。
膝の上で眠った妹。
けれど、悪夢は、それらを許さなかった。
セレスティアの身体が動く。次の瞬間にはリリアの胸に細剣が突き立てられていた。
「……。」
リリアが血を吐く。
「お姉さま……どうして……。」
その声を聞いて、一瞬セレスティアの身体が止まった。
心の中で声にならない声を叫ぶ。
リリアの目には涙が浮んでいた。
「お姉さま……。」
心の中のセレスティアの目からも涙が落ちる。
(ごめんなさい。)
細剣が抜かれる。ぞの刃は血に塗れていた。
(ごめんなさい、リリア。)
視界が白く染まり音が消える。
何も聞こえなくなる。
何も考えられなくなる。
ただ、目の前から妹の姿が消えていく。
(……あ。)
心の中のセレスティアは立ち尽くした。
そして、ゆっくりと自分の手を見る。
その手は血に塗れていた。
(違う……。私は……何のために……。)
言葉が続かない。
◇
その時、背後から……
「ティア。」
声がした。振り返ると、そこに立っていたのはアベルだった。短聖剣を手にしているが、その顔には怒りよりも、深い悲しみがあった。
「どうして……。」
アベルが静かに問う。
「どうして、こんなことをした。」
セレスティアは細剣を握り締める。
(違う。私じゃない!私だけど、私じゃないの!)
「私は……アルセリアを守ろうと……。」
「これが?」
アベルが王城を見渡す。
倒れた兵士。
崩れた防壁。
荒らされた王都。
瓦礫と化した王城。
「これが、お前の守りたかったものなのか?」
心の中でセレスティアは首を振る。
(違う……。違うの……。)
アベルが一歩近づく。
「…こんな事、今直ぐやめるんだ。」
セレスティアは剣を見て、捨てようとする。
だが、手は動かなかった。
(……動かない。)
アベルの表情が苦しそうに歪む。
「ティア。戻ってこい。」
心の中のセレスティアの目から涙が溢れる。
(アベル様……。)
その瞬間、魔王の声が聞こえた気がした。
『セレスティア。最後まで、我のために働け。』
セレスティアは振り返る。そこには、制圧されたアルセリア王都があり、今も魔王軍が掃討戦を続けていた。
そして、自分の前には……剣を構えたアベルがいる。
悪夢の中でセレスティアは再び。
自分の大切なものと向き合わなければならなかった。




