324話 リシアの悪夢*
アルセリア王国の王都正門。
巨大な魔王軍の軍勢の先頭に一人の少女が立っていた。黒銀の半身の鎧と腰に携えた一振りの刀を携えている少女の名は――リシアだった。
「進め。」
低い声が響くと魔族の兵士たちが一斉に歩き出す。
リシアもまた、その先頭を進んでいく。
目の前にあるのは昨日まで人々が平和に暮らしていた場所だった。
アルセリアの兵士達が即席に作ったバリケードの向こうに逃げ遅れた人々の姿が見える。
「魔王軍だ!」
「逃げろ!」
叫び声。
泣き声。
扉を閉める音。
窓からこっそりと顔を覗かせる人々。
その全てが、リシアには見えていた。
なのに、身体は止まらない。
「前方に敵兵!」
魔族の兵士が叫ぶ。
リシアは刀を抜いた。
銀色の刃が陽光を反射する。その剣は、彼女が何年もかけて磨いてきた。雨の日も雪の日も、灼熱の太陽の下でさえも1日たりとも欠かさず鍛錬を続けて習得した彼女の誇りそのものだった。
無駄をなくし、
速さを追求し、
正確無比な剣筋で、
全ての邪悪を断ち切ることを目指した剣。
だが今、その刃が向けられている相手は邪悪ではなかった。その相手はアルセリアの王都を守ろうとしている兵士たちだった。
(やめろ!彼らは敵じゃない!)
いくら心の中で叫んでも、リシアの身体は止まらない。
一歩、
二歩、
そして、
一閃。
リシアの抜刀術に対応できた兵士は1人もいなかった。剣を構える暇すらなく、気がつけば切られている。兵士たちが次々と倒れ地は血で溢れる。
(なんで……どうして……。)
自分の剣が何をしているのか。
理解している……
理解しているのに……
止められない。
(違う。やめて。私は……こんなことをするために剣を持ったんじゃない。)
心の中で叫ぶ。
けれど声にはならない。
身体だけが前へ進んでいく。
王都の大通りへ入ると、そこには逃げ遅れた市民がいた。
「お母さん、こっちへ!早く逃げるのよ!」
老婆を支えて逃げる女性。
「あなたも逃げるならこっちよ!」
リシアを逃げ遅れだと勘違いした女性が手招きして避難を促す。
……なのに、リシアは剣を振るった。
後ろから切りつけられた女性達はその場に沈んだ。
(なんで……どうして……とまって。とまってよ!)
その後も、逃げる人々の前へ立ちはだかり、その行く手を断ち、抵抗する者を斬り伏せていく。
(違う……。)
魔族兵が敵わない強い兵士がいれば、真っ先に向かっていき切り捨てる。
(私の剣は皆を守るために……。)
そう思うほど、目の前の光景は残酷になっていく。
剣を振るうたび、自分が守りたかったものが消えていく。
⸻
そして、その先に王城が見えた。
巨大な門には王家の紋章が見える。しかし、それは直ぐにアルセリア兵達の血濡れになっていった。
リシアは無言で歩いていく。
王城の内部に入り長い廊下を進んでいると、衛兵たちが立ちはだかる。
「ここから先へは通さん!」
衛兵達が剣を抜いて構えるよりも早く、リシアの刀が煌めいた。次の瞬間、衛兵達が倒れた。
そうして守りを次々と突破していく。
目的地である王の居室に向かう通路に一人の青年が立っていた。
(アベル殿)
リシアの足が止まる。
「……アベル。」
その声だけは、身体の奥から自然に出てきた。
アベルは何も言わず、ただ短聖剣を構えている。
その瞳には、怒りよりも悲しみがあった。
「どうして……。」
アベルの口から言葉が漏れる。
「どうして、リシアが……。」
戸惑うアベルに問答無用とばかりに身体は斬撃を放つ。
「リシア。もうやめてくれ。」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられる。
(やめたい。)
(今すぐ剣を捨てたい。)
(お願いだから、私を止めて。)
けれど、身体は勝手に刀を構える。
リシアとアベルが向かい合う。
一歩、踏み込む。
リシアの刀と短聖剣がぶつかり、金属音が謁見の間に響く。
「リシア!」
(お願い……私を止めて!)
アベルが叫ぶ。
「目を覚ませ!」
(無理なの!……何度も、何度も、何度も試したけど、どうにもならないの!)
身体は止まらず、何度も剣を交える。
アベルは傷つけることを避けながら、防御を続けている。それでも、リシアの剣は止まらない。
(アベル殿……後生ですから、貴殿の剣で……殺して下さい。)
やがて、アベルの短聖剣が弾き飛ばされる。
床を滑る金属音。
アベルは丸腰になった。
それでも彼は逃げなかった。
「リシア。」
ただ、名前を呼ぶ。
「戻ってこい。」
その言葉にリシアの心が大きく揺れる。
(戻りたい。アベルのところへ。みんなのところへ。)
なのに、身体は刀を振り上げる。
そして、アベルの身体を袈裟懸けに切った。
大量の血を吹き出しながら前のめりに倒れるアベル。
顔と身体にアベルの返り血を浴びたリシア。
その瞬間、世界が静かになった。
リシアの目の前から…アベルが消えた。
(……あ。)
声が漏れる。身体の力が抜けそうになる。
(ア…ベ……ル?)
リシアは呆然と立ち尽くした。
(私は……何をしているの……?)
その手は震えていた。心の中で自分の手を見る。
(私は……守るために剣を持ったはずなのに。)
その手は震えていた。
(どうして、どうして私は……。)
剣士として積み重ねてきた全てが、
自分自身によって踏みにじられていく。
その瞬間、白い世界が崩れ始めた。
王都も、
王城も、
人々も、
そして、アベルの亡骸の姿も、
すべてが白い光へ溶けていく。
最後に残ったのは、床へ突き立った一本の刀だった。
リシアはその刀を見つめる。
刃は大量の血に塗れていた。
(……これが私の剣……。)
違う。こんなものは。自分が目指した剣ではない。
守るための剣でもない。
ただ、命を奪うための剣だ。
リシアは両手で顔を覆った。
(……ごめんなさい。)
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
白い世界にはリシアの嗚咽だけが残っていた。
そして、遠くから、聞き慣れた声が響く。
「次の戦場へ向かえ。」
リシアが顔を上げると、白い世界の向こうに新たな魔王軍の行軍が見えていた。
悪夢は、まだ終わっていなかった。




