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322話 クラリスの悪夢*

 白い世界。


 何もない空間に、クラリスは一人で立っていた。

 足元には何もない。前にも、後ろにも、左右にも、壁すら存在しない。


 ただ白い。

 どこまでも白い。

 その静けさの中で、クラリスは自分の手を見つめていた。


「……私?」


 自分の手。

 自分の指。

 見慣れた手だった。

 商談の書類をめくり、帳簿を確認し、商品の品質を確かめてきた手。


 そして、アベルから教えてもらった知識を、商売へと繋げてきた手。その手に、いつの間にか普段とは違う禍々しい魔導銃が握られていた。


 身体を見れば黒い軽鎧を装備していた。

 クラリスの表情が凍る。


(……嫌。)


 身体が勝手に歩き始めた。


(待って。)


 止めようとする。

 だが足は止まらない。

 その瞬間、白い世界が崩れた。


     ◇


 次にクラリスが立っていたのは。

 アルセリアの街道だった。

 どこか見覚えのある風景。

 王都へ向かう商人たちが行き交い、荷馬車が商品を運ぶ道。その道沿いには小さな村や町が点在している。



 街道の先に魔族の軍勢が押し寄せている。


 黒い旗と武装した兵士。

 そして、クラリスはその先頭に立っていた。


(……どうして。)


 クラリスには分かった。

 これは夢だ。あり得ない光景だ。

 それでも、夢の中の自分は、あまりにも自然にそこへ立っていた。


 魔族兵が声を上げる。


「次の集落まで、どれくらいだ?」


 クラリスの口が動いた。


「徒歩で半刻ほどです。」


 自分の意思ではない。なのに声は、自分のものだった。


「街道をそのまま進めば到着します。ただし、目の前の畑を突っ切った方が早いでしょう。」


 魔族兵が頷く。


「分かった。では、直進する。」


 軍勢が進んでいく。畑を踏み荒らして。

 クラリスは誘導するように先頭を突き進む。

 その間も胸の奥で叫び続けていた。


(やめて。そんな事をしたら畑が使えなくなる。)


 だが、身体は止まらない。後には軍勢により踏み固められ、見るも無惨になった畑だった荒地が広がっていた。


     ◇


 最初に辿り着いたのは、小さな農村だった。

 村人たちはすでに異変に気付いていた。

 戸を閉め、荷物をまとめ逃げようとしている。

 だが、クラリスには分かってしまった。


 村の構造と建物の配置。

 人の流れや農具の置かれている場所。

 倉庫の位置や食料の保管場所。

 商人として培ってきた観察力や商品の流通を読むための知識が、本人の意思とは無関係に働いていく。


(お願い。もう考えないで。)


 だが、目が勝手に動いた。


「食料は、あの納屋です。」


 魔族兵が振り返る。


「確かか?」

「はい。」


 クラリスは淡々と答えた。


「表に積まれている藁の量に対して、穀物の数が少なすぎます。おそらく地下に備蓄があるはずです。」


 魔族兵が納屋へ向かい、扉が開かれる。その奥に村人たちが隠していた穀物や保存食があった。魔族達はそれを我が物顔で運び出し略奪していく。


(……違う。)


 クラリスは小さく呟いた。

 誰にも聞こえない。


 それでも口は止まらない。


「教会の裏にもあります。冬越し用の保存食でしょう。それから、あそこの村長の家の地下には医薬品や他の生活用品も保管されているはずです。」


 クラリスの指示は的確で次々と村人の生活に必要な物品が見つかっていく。隠していた大事なものを言い当てるクラリスを、捉えられた村民が睨みつけていた。この魔族の略奪行為により、この戦いで生き残ったとしても彼らに冬を越す真っ当な手段はもうない。それは死と同義だった。クラリスは村人からの怨嗟の視線と怒号を浴びて、胸の奥が冷たくなっていくのを感じていた。


(どうして、どうして……私の知識がなければ…こんなことには……。)


     ◇


 魔族兵がクラリスに命じる。


「逃げた住民を探せ。」


 クラリスの身体が反応した。

 村を見渡し鑑定する。


 遠くの森の中にヒトの反応があった。

 村の北側の街道から外れた場所に古い炭焼き小屋がある。周囲から見えにくく、村からも近すぎない。避難場所としては、あまりにも都合がいい。


(言わないで。お願いだから。)


 それでも。


「北の森です。」


 声が出た。


「古い炭焼き小屋があります。子供や老人を連れて逃げるなら、そこを選ぶでしょう。」


 魔族兵が動き出す。


「ただし…」


 それ以上言わないでと、クラリスは心の中で叫ぶ。だが、口は止まらない、


「東側からも回った方がいいでしょう。正面だけだと見張られていて逃げられる可能性があります。」


 魔族兵が頷いた。


「案内しろ。」


 クラリスの足が動く。


 一歩。また一歩。

 自分がどこへ向かっているのか分かっている。

 その先に誰がいるのかも分かっている。

 それでも止められない。


     ◇


 森へ入ったところでクラリスの鑑定スキルが反応した。


 茂みの向こうに複数の人影。

 怯えて身を寄せ合っている村人たち。戦える者ではない。ただ逃げてきただけの人々だった。


(やめて。見つけないで。)


 クラリスは目を閉じようとする。

 しかし、身体は彼らのいる場所を正確に指差した。


「あそこです。」


 魔族兵が一斉に走り出す。


(……違う。私は……。)


 言葉が続かない。

 その先で何が起きるのか。

 考えたくない。

 見たくもない。

 それでも悪夢は止まらなかった。


     ◇


 場面が変わる。


 今度は、アルセリアの宿場町だった。


「先遣隊を出して西側の弾薬庫を先に押さえれば、この町の抵抗は最小限に食い止められるでしょう。形勢が悪くなったと判断すれば町人は南門から逃げようとするはずです。そこを狙えばよろしいかと。」


 クラリスの指摘通りに魔族兵が次々と動き、町人たちが逃げようとした道が塞がれる。倉庫が押さえられ、食料や物資が次々と運び出されていく。町が町であるために必要なものが、人々の営みそのものが、クラリスの言葉で全て壊されていく。


(やめて……。)


 クラリスは胸を押さえる。


(そんな事をしたら町が……。)


 クラリスには、どこを失えば町が機能しなくなるのか全部分かってしまう。そして、その知識を魔族軍に伝えてしまっていた。


     ◇


 魔王軍は王都に入り侵攻を続ける。


 やがて、クラリスは商店街の一等地にある一軒の商店の前で足を止めた。


 看板を見ると、そこには「ローゼン商会 アルセリア支店」と書かれていた。クラリスの先祖が築き、父が心血を注いで育てあげた商会の支店。


 魔族兵が閉じられたシャッターをこじ開けると、中には武装した店員が待ち構えていた。


「……クラリスお嬢様!」

「……。」


 魔道銃を構えた店長が驚きの声を上げる。クラリスは彼を知っていた。支店を任せられるほど父が信を置く腹心の1人で、クラリスが幼いころには文字の読み書きや計算について教えてくれた優しいお兄さんだった人。


「どうして、クラリスお嬢様が魔族と!?」

(逃げて!早く!)


 クラリスを見て動けない店長に、クラリスは何も言わずに銃口を向けた。そして発砲。


挿絵(By みてみん)


 胸を撃ち抜かれた彼はその場で倒れた。それを見ていた店員達は戦意を喪失し、悲鳴をあげて逃げていく。その逃げ惑う店員達を魔族兵は次々と切りつける。クラリスも発砲して魔族兵を援護する。


(やめて……。もう、やめて…。)


 気がつけば店内は血の海になっていた。

 魔族兵がクラリスに近付く。


「何かあるのか?」

「いえ、別に……。」


 クラリスは心の中で荒れ狂っていた。だが、どうすることもできない。


「そこに回復薬と保存食があります。」


 自分の口から出た言葉に、クラリス自身が再び絶望する。魔族兵が店員達の亡骸を踏み荒らしながら、店内を漁って使えそうなものを略奪していく。それをさせたのはクラリスだった。


(違う。違うの。これは私じゃない。)


     ◇


 さらに場面が変わる。


 アルセリアの王城は目と鼻の先に見えた。

 空には黒い旗が翻っている。

 

 心の中でクラリスは震えていた。

 もう嫌だった。

 何も見たくない。

 何も考えたくない。

 何も教えたくない。

 それなのに口が勝手に働く。


 頭の中にある知識を使い魔族に有益な情報を伝えていく。求められれば勿論のこと、何も言われなくとも勝手に伝えてしまう。


「なるほどな。貴様のそのやり方は魔族でも思いつかんぞ……。」

「私、使えるものは何でも使う主義なので。」

(私は……一体、何のために今まで……。)


 自分の知識や商人としての経験が人々を死に至らしめる。その事実が何よりも苦しかった。


     ◇


 そして。


 王城へ到着した。


 大広間に溢れる瓦礫を超えて、荒れた廊下に出る。

 クラリスは魔導銃を握っていた。


(……嫌。)


 次々とアルセリアの兵士に向けて発砲して撃ち倒していく。


(もう嫌……。)


 それでも身体は前へ進む。


 大広間の奥、そこに一人の青年が現れた。

 黒い髪。少しやつれた顔。手には輝く短剣。


「……アベル。」

(アベル様!)


 クラリスの瞳が大きく見開かれる。

 アベルは静かにこちらを見ていた。


「クラリス。」


 その声には彼の優しさが感じられた気がした。


(やめて……。)


 クラリスは必死に叫ぶ。


(逃げて、アベル様!私は……私の身体が……!)


 だが、腕が勝手に上がる。

 魔導銃の銃口がアベルに向く。


(いやあぁぁぁ!)


 クラリスは心の中で叫ぶ。


(撃ちたくない!撃ちたくない!撃ちたくない!!)


 引き金に指がかかる。

 アベルが短聖剣を構える。


「クラリス……。」


(止めて!誰か、止めてぇ!!)


 クラリスの声が心の中で響く。


(お願い……!)


 それでも、指は止まらなかった。

 魔導銃が光を放つ。


 その一瞬、世界が凍りついたように見えた。

 アベルの姿が揺らぐ。胸から煙を噴いている。


 そして、ゆっくりと……倒れた。


(……あ。)


 クラリスの口から、小さな声が漏れたかに思われた。

 倒れたアベルの周囲に真っ赤な鮮血が広がっていく。


(いや……。)


 心の中のクラリスの膝が崩れる。


(違う……。)


 頭を抱える。


(こんなの私じゃない……。)


 そう言い聞かせる。

 けれど、目の前にいるのは、血の海に沈むアベルだった。


(いやああああっ!)


 しかし、クラリスの叫び声は何処にも届かなかった。


     ◇


 次の瞬間。


 白い世界へ戻っていた。

 クラリスは床に座り込んでいる。

 肩で息をしながら、自分の両手を見つめていた。


「……夢じゃない。」


 分かっている。あれは現実だ。自分が魔王軍に操られていた時にやってしまったこと。最後にアベルを撃ち殺したこと以外は現実にあったことだ。


 胸の奥に残った感覚は消えてくれない。

 自分の手で、自分の魔導銃で……アベルを撃った。

 そんな感覚は、何度も何度も蘇ってくる。


 もしかしたら、アベルを撃ち殺した方が現実で、大規模蘇生魔法で皆を救った方が夢なのかもしれないと、クラリスは考え始めていた。


「違う……。」


 クラリスは首を振る。


「違うの……。私は……そんなこと……。」


 けれど、

 否定するほど、アベルが倒れる光景がスローモーションで脳裏に繰り返される。

 クラリスは両手を強く握り締めた。


「……ごめんなさい。」


 誰もいない白い世界で小さく呟く。


「ごめんなさい、アベル……。」


 しかし、まだ悪夢は終わらなかった。


 クラリスの前には、再びアルセリアの街並みが浮かび始めていた。

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