318話 悪魔ハルメル*
聖女会議の会場で、最初に異変が起きたのは、ほんの小さな音だった。
大聖堂の外から聞こえてきた笛の音。
最初は誰も、それを襲撃の合図だとは思わなかった。聖都ヨーセフには日頃から多くの巡礼者や商人が訪れており、祭事の期間ともなれば、通りで楽器を鳴らす者がいても不思議ではない。しかも、聖女会議には各国から大量の人間が集まっている。その中に神官の服を着た魔族が紛れ込んでいたとしても、すぐに見抜くことは難しかった。
襲撃者たちは、何日も前から聖都へ入り込んでいた。
神官に成りすました者。
巡礼者として滞在していた者。
商人を装って大聖堂周辺の地形を調べていた者。
それぞれが別々の身分を演じながら、大聖堂内部の警備体制と聖女たちの配置を把握していた。
そして、聖女会議の最終日、長期間の会議で疲労を蓄積させた聖女達が一つの場所に集まる最後の機会を狙って襲撃は始まった。
◇
聖女たちを力ずくで止めようとすれば、彼女たち自身を傷つけることになる。しかも聖女は、一般人とは比べものにならないほどの魔力を持っている。不用意に拘束すれば、反撃によって周囲の神官や騎士が負傷する可能性もあった。そのせいで警備側の判断が遅れる。その数秒こそが、襲撃者たちの狙いだった。
◇
大聖堂の入口付近。
襲撃開始の少し前。神官に扮していた魔族の一人が、静かに手を上げた。
「ミッション、スタート」
小さな声だった。その直後、大聖堂の別の場所にいた仲間たちが、一斉に動き始める。
扉が閉じられ、外部との連絡を担当していた神官が襲われる。結界を維持していた魔導具へ、密かに仕掛けられていた術式が発動する。それにより大聖堂を守っていた結界が、一部だけ不安定になった。
「結界に異常!」
神官が叫ぶ。
「原因を調べろ!」
しかし、その命令が届くより早く笛の音が響いた。
――ぴぃぃぃ……。
その笛の音を聴いた神官や聖騎士達は、ぼおっと空を見上げて動きを止めた。
◇
その音を聞いた瞬間。聖女たちが一斉に出口の一つへ向かい歩き始めた。
その瞳には、確かに意識がある。
自分がどこにいるのかも分かっている。
目の前にいる人間が誰なのかも分かっている。
それなのに、身体だけが、自分の意思とは無関係に動き始めた。
すると、聖女達が向かっている出口に強い魔力が渦巻いた。
「あれは…まさか、転移ゲート!?」
アベル達が元イヤマ王国の土地に移動するために使用したのと同じようなのが、突然大聖堂の中に現れたのだ。
「マズい。聖女達が転移ゲートに向かっている。転移先に何があるかはわかないが、飛ばされたら救出は難しいぞ。」
アベルは飛行魔法で聖女達の頭上を飛び超えて転移ゲートを聖短剣で切りつけた。しかし、ゲートは剣を素通りして何のダメージも受けることなく、その場に佇んでいる。
であればと、アベルは転移ゲートを背に向けて両手を広げ、聖女達を通さないように立ちはだかる。それに反応したのが、先頭を歩いていた聖騎士の鎧を身に纏った聖女だった。彼女は流れるように大剣の鞘を外して、そのままアベルに襲いかかる。
ガキン!
アベルは短聖剣で聖騎士聖女の大剣を受け止めた。しかし、彼女の剣は鋭く重い。小柄な体躯に細い腕の華奢な美女が振るうとは思えない攻撃に、思わずアベルは怯んでしまう。
「身体強化魔法か!」
そこへ他の聖女達の攻撃魔法がアベルを襲う。
「しまった!」
避けきれない炎や氷の槍がアベルに着弾する直前、アベルを護るように立ちはだかり、その身体に纏った結界が魔法の槍を遮った。
そこには杖を掲げたルナと、両手で印を結んだセレスティアが立っていた。
「間に合った」
「アベル様、ご無事ですか?」
「ああ、助かったよ。」
アベルは聖騎士聖女の剣を押し返しながら、全身でぶつかった。それにより数歩、後ろに下がらされた聖騎士聖女が再び剣を振りかぶって、今度は横凪にアベルとルナ、セレスティアを切ろうと剣を振ろうとした。
だが、次の瞬間、聖騎士聖女の胸の鎧に魔導弾が命中し、そのまま後ろに吹き飛んだ。
アベルの隣に、魔道銃を構えたクラリスが合流する。
その間に、フェリとリシアは他の聖女達を峰打ちで気絶させて回っていた。
「これも……精神操作の類?」
ルナが息を呑む。ミリアが鑑定で魔力の流れを見ながら、即座に分析する。
「身体操作系です。意識はそのままで、身体の制御系だけを奪っています……!」
クラリスが周囲を見る。
「何で私達は平気なの?それとも、これから?」
セレスティアが推理を述べる。
「私たちはレジスト出来ているみたい。ルナの魔法陣のおかげじゃない?」
その時、エリスの顔が青ざめた。
「……あれ!」
エリスが指差した先にいたのは、教皇の喉元に短剣を向けた謎の男だった。ほっかぶりをしていて何者かはわからない。しかし、その瞳には人間とは明らかに異なる冷たい光が宿っていた。そして短剣を持っているのと逆の手には笛のようなものを持っていた。アベル達の表情が険しくなる。
「さっきのは、あの笛によるものか…」
◇
その時、大聖堂の奥にある扉が、ゆっくりと開いた。
重い音が響き、そして暗い廊下の向こうから、誰かが歩いてくる。シスターの衣装を着たその影が誰か明らかになるとアベルの表情が変わる。
「……メア?」
そこに立っていたのは、かつて共に戦った夢魔――メアだった。
「メア!メア!!」
アベルは必死になってメアを呼ぶも、何ら反応しない。その首には、未だ黒いチョーカーが嵌められているからだ。アベルの視線が、そこへ吸い寄せられた。ミリアもまた、それを確認して歯を噛み締める。
「あのチョーカー……」
メアは無表情のまま、ほっかぶりの男の横に並び立った。アベルの拳が強く握られる。
「お前は一体何者だ?メアをどうするつもりだ!」
男が笑った。
「初めまして、勇者アベル。私はハルメル。」
その言葉とともに黒い魔力が、男の周囲からゆっくりと立ち上った。
「我々の目的は聖女の確保、あるいは始末だ。彼女には、その手伝いをしてもらう。」
「そんな事、させるか!」
ハルメルは大聖堂にいる聖女たちを見回す。クラリスの魔導弾により吹き飛ばされた聖騎士聖女やフェリとリシアが気絶させた聖女達が、いつの間にか意識を取り戻して立ち上がっていた。
「聖女の自己回復術式…。」
エリスが口にしたそれは、自分が傷ついたときに自動的に回復魔法が発動する聖女の持つ特殊スキルだった。
再びアベル達に襲いかかる聖女達。聖騎士聖女の剣は今はリシアが受けとめていて、他の聖女達の雨あられのように降り注ぐ魔法は、なんとかルナやセレスティアの張った結界で防いでいた。フェリが隙をみて再び聖女達を気絶させて回るが、気絶させた聖女を他の聖女が即座に回復させるため、今は防戦一方となってしまっている。
アベルは短聖剣を握ってハルメルに対峙する。
「……そう簡単に連れていけると思うな」
ハルメルは楽しそうに笑った。
「もちろん。だからこそ――」
黒い魔力が一気に膨れ上がる。
「君から倒すことにしよう」
次の瞬間、アベルとハルメルの間で、凄まじい魔力が衝突した。
今回の内容に合わせて、閑話66話を若干変更しています。




