317話 不思議な笛の音*
聖都ヨーセフ。
四年に一度開かれる聖女会議の日を迎え、聖都の中心に建つ大聖堂には、朝から世界各地の聖女たちと、その随行者や神官、各国の代表者たちが集まっていた。
白い石造りの大聖堂は巨大な樹木と一体化するように建てられており、高い天井には歴代の聖女たちを描いたステンドグラスが並んでいる。朝の光がそこを通り抜けるたび、床には淡い色彩が揺れ、神聖な雰囲気を作り出していた。
しかし、その荘厳な空間にあって、エリスだけは落ち着かなかった。
聖女会議は、聖属性魔法を扱う者にとって、世界でもっとも重要な会合である。かつてなら、自分も胸を張ってこの場所に立っていただろう。しかし、聖女の称号を失ったエリスへの風当たりは未だに強い。
そんなエリスが一人にならないように、アベルはいつもと変わらない距離で側に立っている。
「……ありがとうございます」
エリスが小さく呟く。
「何が?」
「こうして隣にいてくださることです」
アベルは少しだけ笑った。
「別に、特別なことじゃないだろ」
「でも……今の私には…。それだけで安心ですし。」
エリスはそう言って、少しだけ表情を和らげた。
◇
やがて、大聖堂の奥から鐘の音が響いた。
連日の聖女会議もようやく終わりに近づいていた。各国の聖女たちが席へ着き、随行者たちも聴講席など所定の位置へ移動する。
最後に壇上へ姿を現したのは、聖都ヨーセフを治める女教皇ファティマだった。
銀色の髪と特徴的な耳を持つエルフの教皇は、長い年月を生きてきた者だけが持つ静かな威厳を漂わせながら、集まった聖女たちをゆっくりと見渡した。
「これより、本日の聖女会議を開会します」
教皇の声が大聖堂へ響くと、それまであったざわめきが消え、会場が静まり返った。
「今回の会議では、各国における聖女の活動状況、聖属性魔法に関する研究、魔族との戦闘における救護体制について報告を受けました。これらと近年の情勢を踏まえ、本日の議題は、聖女という存在が今後どのような役割を担うべきなのかについてとします。」
そこで教皇は、わずかに視線を動かした。
その先にいるのはエリスだった。
「そして、その聖女の役割を考える上で一つ決定すべき事項があります。」
エリスの肩がわずかに揺れる。
「エリス=セントラ、ご起立を。」
「……はい」
エリスは立ち上がった。
大聖堂中の視線が集まる。その中には好意的なものもあれば、戸惑いや疑念を含んだものもあった。
教皇は静かに宣言する。
「魔王に操られていたとはいえ、魔王軍に組した事実を覆すことは出来ません。しかしながら、大規模蘇生魔法で多くの命を救った行為を含む、その後の行動は聖女のあるべき姿そのものだと思うのです。そして、今もなお聖女の力を行使することを許されていることを考慮し、称号はなくとも聖女として認められるべきだと考えます。これに反対の方は挙手を。」
聖騎士の衣装を身に纏った聖女だけは不服そうな表情をしていたが、教皇の意見を覆すつもりはないようだ。結局、誰からも手は上がらなかった。
教皇は宣言する。
「満場一致ですね。ではここに、エリス=セントラの聖女復帰を正式に認めます。」
「……ありがとうございます。」
聖女達が拍手でエリスを迎え入れた。エリスは涙を流しながら深く礼をし、神に感謝の祈りを捧げるのだった。
◇
その後、各国の聖女たちによる議論が再会された。それぞれの聖女達が連れてきた文官が治療活動、孤児院の運営、疫病対策、戦場での救護、聖属性魔法の研究について説明し、聖女達の間で今後の活動方針や、必要な予算の分配まで細かい内容が決められていく。エリスも経済についてはクラリス、政治についてはセレスティア、魔法についてはルナに助けてもらい、積極的に議論に参加した。その隣にはアベルが静かに立っている。
エリスは小さく息を吐いた。
「……来てよかったです」
「そうか」
「はい」
エリスは微笑んだ。その表情は、ここへ来る前よりほんの少しだけ明るかった。
◇
その頃。
大聖堂の外では、巡礼者や商人が行き交っていた。
その中に、神官姿の男女が混じっている。誰も彼らを怪しむことはなかった。服装も、身分証も、魔力反応さえも完璧に偽装されていたからだ。
彼らは大聖堂を見上げていた。
「予定通りに進める。」
一人の男が小さく呟く。
その手には、小さな黒い金属製の笛が握られていた。
◇
大聖堂内部。
会議が続く中、エリスはふと顔を上げた。
どこからともなく、小さな音が聞こえた。
――ぴぃ。
(……笛?)
アベルも周囲へ視線を向ける。
(……何か聞こえるな)
しかし、その音を聞いた直後だった。円卓に座っていた1番年若い聖女が、ゆっくりと立ち上がった。
「……どうかされましたか?」
側近の神官が声をかけるが、聖女は答えない。ただ、どこか遠くを見るような目で出口を見つめ、そのまま歩き始めた。
「お待ち下さい。」
神官が前を遮るが、聖女は神官を振り払い前に出る。思わず神官は聖女の腕を掴んでしまうが、それをものともせずに出口に向かう。
「……離してください。」
「どこへ行かれるのですか?」
「私は……行かなければなりません。」
「ですから、どちらに?」
「私は……行かなければならないのです。」
その答えに神官が戸惑う。質問に対する回答になっていないばかりでなく、聖女自身も、自分がなぜ歩いているのか理解していないようだった。
それなのに、足だけは止まらない。
その時、もう一度、笛の音が響いた。
――ぴぃ……。
今度は一人ではなかった。別の聖女達も虚な表情のまま立ち上がる。さらに、その隣でも、そして反対側でも、次々と席を離れて出口に向かっていく。
会場がざわめき始める。
「全員、席にお戻り下さい。」
教皇ファティマが聖女達に着席を促すも誰も聞く耳を持たない。
「これは……一体何が起きているの?」
エリスがアベルの方を向く。
「アベル様……」
「どういうことだ?」
教皇が再び声を上げた。
「全員、動かないでください!」
しかし、聖女たちは止まらない。虚な表情はしていても声を掛ければ反応するため、意識はあった。自分が何をしているのかも分かっている。だが。自分の意思で足を止めることだけができないようだった。
「何が起きた!?」
「聖女様たちをお止めしろ!」
それぞれの聖女が連れてきていた神官や騎士たちが動き始める。
エリスの顔から血の気が引いた。
「もしかして……操られている……?」
その瞬間、大聖堂全体へ、三度目の笛の音が響き渡った。
――ぴぃぃぃ……。
聖女達を止めようとじていた神官や文官、護衛の騎士達が全員その場に崩れ落ちる。そのため、聖女達を遮る者は居なくなった。
大聖堂で出口に向かって歩いている聖女を止められるのは今やアベルとその仲間たちだけだった。




