↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
382/442

315話 魔弓術

 翌日の朝。


 聖都ヨーセフには、まだ柔らかな朝靄が残っていた。


 大聖堂の鐘が遠くで鳴り、巨大な樹木の枝葉から落ちる雫が、白い石畳の上で小さな音を立てている。


 フェリは約束の時間より少し早く、ファムの家の前に立っていた。昨日から楽しみにしていたせいか、ほとんど眠れなかった。


「……早すぎたかな」


 扉を見つめながら呟く。

 すると、


「いいえ。私も今、準備が終わったところです」


 背後から声がした。

 振り返ると、ファムが立っていた。


「ファムひいお婆ちゃん!」

「おはようございます、フェリ」

「おはよう!」


 フェリは嬉しそうに笑う。

 ファムはその表情を見て、ほんの少し目を細めた。


「昨日の今日ですから、来てくれるか少し心配していました」

「来るに決まってるよ」

「そうですか」

「それに、エルフ流の弓術を教えてくれるんでしょ?」


 フェリが期待に満ちた目を向ける。

 ファムは小さく笑った。


「ええ。ただし、今日はその練習だけではありません」

「え?」

「あなたのお母さんの話も、少ししましょう」


 フェリの表情が柔らかくなる。


「うん」


 その返事を聞くと、ファムは静かに歩き始めた。

 フェリも、その隣へ並ぶ。


◇


 二人が向かったのは、聖都の外れにある広い森だった。聖教国の管理する森ではあるが、街から離れているため人の姿はほとんどない。木々の間から差し込む朝の光が地面をまだらに照らし、遠くでは小鳥の声が聞こえている。


「ここなら、人目を気にせず練習できます」


 ファムが足を止める。


「まず、弓を見せてください」


「うん」


 フェリは背負っていた弓を取り出した。

 長年使い込んだ愛用の弓。それを手にした瞬間、フェリの表情が変わる。普段の明るさが少しだけ消え、狩人としての集中が目に宿った。

 ファムは黙ってその様子を見ていた。


「……なるほど」

「どう?」

「確かに、フォルナの面影があります」


 ファムは弓そのものではなく、フェリの立ち方を見ていた。


「右足を少し後ろへ引く癖も、弦を引く時に肩へ力を入れないところも似ています」

「本当?」

「ええ。ただし、あなたにはあなたの癖があります」

「悪い癖?」

「そうとも言えますし、才能とも言えます」


 ファムは少し考える。


「フォルナの弓は非常に正確でした。狙った場所へ、最短の軌道で矢を飛ばすことを好んでいました」

「私は?」

「あなたは、普段、動きながら撃っているのではなくて?」


 フェリが目を丸くする。


「分かるの?」

「見れば分かりますよ」


 ファムは穏やかに笑った。


「森で生きてきた者の身体は、弓を引くためだけに存在しているわけではありません。走り、跳び、避け、その途中で矢を放つ。それもまた、一つの弓術です」


 フェリは少し誇らしげに胸を張る。


「じゃあ、私のやり方も間違いじゃないんだ」

「ええ。むしろ、あなたには合っています」


 その言葉を聞いて、フェリは嬉しそうに笑った。


◇


「では、エルフ流の弓術、いわゆる魔弓術について話しましょう」


 ファムは一本の古びた矢を取り出した。

 矢羽根は使い込まれ、軸にも細かな傷がある。


「魔弓術とは、単純に魔力を矢へ流し込む技術ではありません」

「え?」

「よくヒト族が使う魔法は、術者が魔力を外へ放ち、その魔力で矢の形を作り弓で放つものです。ですが魔弓術は違います」


 ファムは矢を一本、指先で軽く回した。


「矢そのものを、魔力の通り道にするのです」

「通り道?」

「ええ」


 ファムはフェリの弓を指差す。


「弓を引くことで生まれる力。矢が飛ぶ方向。そこへ魔力の流れを重ねる。魔力を矢に込めるのではなく、矢を魔力が通過するようにする」


 フェリは少し考えた。


「……魔力で矢を押すんじゃなくて、矢そのものを魔法の一部にする?」

「その理解で構いません」


 ファムは満足そうに頷いた。


「だから、魔力を込めすぎてはいけません」

「込めすぎると?」

「矢が壊れます」

「……なるほど。」

「最初は普通の矢を使いましょう。その方が安全ですから」


 フェリはほっとしたように頷いた。


◇


 最初の一射。


 フェリは弓を構え、魔力を矢へ流し込む。


「……こう?」

「少し多いです」

「え?」

「もっと細く。水を一気に流すのではなく、糸を一本ずつ通すような感覚で」


 フェリは集中する。

 魔力を弱め、さらに細くする。

 矢の周囲に、淡い光がまとわりついた。


「そうです」


 ファムの声が少しだけ明るくなる。


「そのまま放ってください」

「うん!」


 フェリが弦を離す。

 矢は一直線に飛び、木の幹へ突き刺さった。


 しかし、


「……あれ?」


 光はすぐに消えてしまった。


「失敗?」

「いいえ」


 ファムは首を横に振る。


「初めてなら十分です」

「本当に?」

「ええ」


 ファムは少しだけ嬉しそうに笑った。


「フォルナは、最初の一射で弓を燃やしました」

「えっ」

「二射目ではつがえた矢を撃つ前に灰にしました」

「……お母さん、結構危ない人だったんだね」

「……否定はしませんよ」


 フェリが吹き出した。

 ファムも静かに笑う。


 昨日よりも二人の間に流れる空気は、少しだけ自然になっていた。


◇


 その後も練習は続いた。

 魔力を細くする。

 矢へ流す。

 弓を引く。

 狙いを定める。

 そして放つ。


 最初は数秒しか維持できなかった魔力が、少しずつ矢の周囲へ留まるようになっていく。


 やがて。


「……できた」


 フェリの放った矢が、淡い光をまとったまま木の幹へ突き刺さった。


 その瞬間。


 矢の周囲から小さな衝撃が広がり、木の表面に亀裂が走る。


「……!」


 フェリ自身が驚いている。


「今の……私がやったの?」

「ええ」


 ファムは静かに頷いた。


「魔力が矢の先端へ集中していました」

「威力も悪くありません」

「すごい……!」


 フェリは自分の手を見つめる。


「これなら、もっと強くなれる?」

「ええ」


 ファムは答えた。


「ですが、威力だけを追い求めてはいけません」

「魔弓術の本当の強さは、そこではありません」

「じゃあ、何?」


 ファムは森の奥を指差した。

 遠くの枝に、一枚の葉が揺れている。


「動くものを撃つことです。止まっている的、あるいは動きを予測できる的なら、誰でも狙えます。ですが、魔弓は魔力の流れを維持したまま、動く標的を追い続けることができます。それができれば、あなたの戦い方は大きく変わるでしょう」


 フェリはその言葉を聞いて、目を輝かせた。


「やってみたい!」

「では、次です」


 ファムは小さく笑った。


「今度は、走りながら撃ってください」

「分かった!」


 フェリは弓を握り直した。そして森の中へ駆け出していく。ファムはその背中を見つめながら、静かに目を細めた。その姿は、かつてのフォルナとよく似ていた。


 けれど、同じではない。フォルナが歩んだ道を、そのまま娘が辿る必要はない。自分が今できるのは、過去を悔やみ続けることではなく。目の前にいるこの少女が、自分自身の道を歩めるよう支えることだ。


 ファムは弓を手に取り、フェリの後を追った。


「フェリ!」

「次はもう少し姿勢を低くしてください!」

「分かった!」


 森の中に、二人の声が響く。


 それは、長い間途切れていた家族の時間が、ようやく再び動き始めた瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。