310話 聖女会議(前編)*
聖都ヨーセフ。
聖教国の中心に位置するその都市は、これまでアベルたちが訪れてきた王都や帝都とは、明らかに異なる雰囲気を持っていた。
教皇ファティマが手配してくれた馬車の窓から外の景色を見ると、まず目に入るのは白だった。大理石を思わせる白い石材で造られた建物が整然と並び、広い街路もまた淡い色合いで統一されている。遠目に見れば、ゲームの設定資料で見た聖教国の首都と大きな違いはない。
けれど、実際にその場所を訪れてみると、印象はまるで違った。
街のあちこちに巨大な樹木が立ち、建物の壁面には蔦が這い、石造りの回廊から伸びた枝が屋根の上まで広がっている。広場の中央にある噴水の周囲にも草花が植えられ、白い石畳の隙間からさえ小さな緑が顔を覗かせていた。
人間が自然を切り開いて都市を作ったというよりも、自然がそこに存在することを前提として、人間がその隙間に街を築いたような景観だった。
「……綺麗」
リシアが窓へ顔を近づけながら、思わずそう呟いた。
「帝都とは全然違うね。あっちは建物がぎゅっと集まってる感じだけど、ここは森の中に街があるみたい」
「聖教国は、自然との共存を重視しているそうです」
フェリが感想を述べて、過去に何度か訪問したことのあるアンジェリカが知っていることを説明する。
クラリスも窓の外を眺めていたが、フェリとは少し違った視点で街を見ていた。
「ただ、土地の利用効率はあまり良くなさそうね。街路も広いし、建物の間隔もかなり空いているわ。もっと効率的に区画整理すれば、商店や宿泊施設を増やせると思うけど……」
「その非効率なところが良いのよ。特に、観光資源と考えたら…ね。」
セレスティアが別の専用馬車に乗っている教皇ファティマが同乗していなくて良かったと思い苦笑すると、クラリスは肩をすくめた。
「確かに、そういう考え方もありますね。でも、商機を逃している気がして私は落ち着きません…。」
「……相変わらずだな。あくまで自然との共生がメインなんだから、この国の人々が気にしてるのは効率でも観光資源でもないと思うぞ?」
アベルが平常運転のクラリスとセレスティアに少し呆れ気味な感想を零すと、そのやり取りに、ルナやミリアも小さく笑う。ほんのわずかな時間だったが、旅の疲れを忘れさせるような穏やかな空気が生まれていた。
しかし、その輪の中で、ただ一人だけ、窓の外を眺めながらほとんど言葉を発していない少女がいた。そのエリスの視線の先には、聖都の中心にそびえ立つ巨大な白い聖堂がある。その頂上には太陽を象った黄金の紋章が掲げられ、遠く離れた飛行艇からでも、その存在をはっきりと確認することができた。
それは聖教国の象徴、大聖堂。
そして、かつてエリスが一度は訪れたいと目指していた場所でもあった。
(……来てしまった)
胸の奥が、重く沈む。
聖女だった頃のエリスにとって、聖教国は憧れそのもので、ここに来る事は目標の一つだった。
世界中の聖女候補たちに人々を救う術だけでなく聖女の歴史や必要な教義を学ぶ機会と教材を無償で提供している聖教国の大聖堂。そこは聖女にとって最高の聖地であり、いつか自分もこの場所を訪れるのだと、幼い頃から漠然と考え癒しの奇跡を磨いてきた。
そして実際に、エリスは聖女になった。
病に苦しむ人を癒し、戦場で傷ついた兵士を治療し、魔物によって負傷した冒険者たちにも手を差し伸べてきた。その力こそが自分の使命であり、神から与えられた役割なのだと信じていた。
だからこそ、絆の指輪の影響下にあったとはいえ、魔王軍に与して魔族や魔獣を癒したことは、エリス自身にとって大きな影を落とした。ヒト族を傷つける存在に自分の聖なる力を使った。
そして、聖女の称号と力を失った。アベルの協力により力は再び使えるようになったものの、称号の方は消えたままだった。だから、エリスは今も聖女の力を使い続けてよいのか心配していた。使えるからといって、使って良いとは限らない。あるいは、使ったことに対する天罰が降る可能性だってある。天罰も自分だけが被るなら良いが、周囲まで巻き込む可能性もある。だから、聖属性魔法の利用の是非、その答えを知るために、今ここへ来ていた。
本当は、その答えを聞くことが怖かった。
もし聖教国から、
もし教皇から、
あるいは、かつて憧れていた聖女たちから、
自分はもう聖女ではないのだから、その力を使ってはいけないと命じられたら、自分に何が残るのだろうか?
その時、自分はいったい何を支えにして生きていけばいいのだろう。
そんな不安が、エリスの胸の奥に重く沈んでいた。
聖都の中心部、大聖堂へ続く広場が近づいてくると、その周囲に大勢の人間が集まっていることが見えてきた。
白い法衣をまとった聖職者たち。
聖都を守る騎士たち。
各国から派遣された使節団。
そして大聖堂の前に馬車が止まる。馬車から降りた一行は先を歩く教皇についていくようにアベルとエリスらヒロイン達は大聖堂に足を踏み入れた。
簡単なボディチェックとステータスの確認を終え、中に入ると、そこには大きなフレスコ画が描かれた天井と聖典の様々なシーンが描かれたステンドグラスが溢れる神聖な空間だった。
そして、対面したのは今回の聖女会議に参加するため世界各地から集められた聖女たち。年齢も出身もバラバラの5人の女性は皆、円卓の席についている。その光景を目にした瞬間、エリスの表情がわずかに強張った。
「……あちらが聖女の皆さんですか?」
アベルの問いにアンジェリカが静かに答える。
「そうですね。私と面識のある聖女は教皇様だけですが、何人かのお顔は存じ上げております。他の方も世界の各地域から集まった聖女だと思います」
エリスは小さく頷きアンジェリカの説明を肯定する。その上で集まっている聖女たちを一人ずつ目で追っていく。
白い法衣を身につけている者もいれば、自国の紋章をあしらった礼装を着ている者もいる。中には杖や剣を携え、聖女でありながら騎士に近い装備を整えている者もいた。
まだ少女と呼べる年齢の者もいれば、エリスより遥かに年上に見える女性もいる。けれど、彼女たちには一つだけ共通しているものがあった。
それは聖なる魔力。
その濃さや性質はそれぞれ異なるものの、誰もが自らの身体から淡い金色の魔力を漂わせている。
(……みんな、本物の聖女なんだ)
かつてなら、その光景を誇らしく眺めていただろう。自分もその中の一人なのだと、胸を張ることができただろう。しかし今は違った。エリスには、自分だけがその輪の外側にいるように感じられていた。
議長を務める教皇ファティマがエリスが円卓の一箇所に座るよう勧めるが、エリスは席につく事に躊躇った。聖女達の視線が、一斉にエリスへ集まる。
「本当に来たのか」
聖騎士のような聖女が呟いた。
「彼女が、あの……」
大人しそうな年嵩の美女が無表情のままエリスを品定めするような視線を向ける。
「聖女の称号を失ったって……。」
エリスよりも若く見える少女が発したその言葉に悪気はない。
「皆様、教皇様の御前ですわよ。エリス様ですね。会議が始められませんから、早く着席なさって。」
エリスに近い年齢と思われる優等生っぽい美少女が全員を引き締める。また、事務的に着席を促す声には、少なくとも悪意は含まれていなかった。しかし今のエリスには、その全てが自分を責める声のように聞こえてしまう。だから、知らず知らずのうちに足が止まりかけた。
「エリス」
すぐ隣から、アベルの声がした。
「はい」
返事はできた。けれど、自分でも分かるほど声が震えている。
「行こう」
「……はい」
エリスはアベルに差し出された手を取り、それから小さく息を吸った。そして、一歩ずつ、足を進め円卓の席につく。すぐ隣にはアベルが立って控えたままだ。他の仲間達は少し離れたところにある傍聴席に移動していた。
視線が痛い。
胸が苦しい。
そして背後の巨大な扉がゆっくりと閉じた。
外の喧騒とは対照的に、内部は驚くほど静かだった。
高い天井とそこに描かれた神々の壮大な物語に関するフレスコ画。
無数のステンドグラス。
白い柱。
そして、奥へ進むほど高くなる祭壇。
円卓の最も祭壇に近い席に教皇であるエルフの女性が着席した。彼女は銀色の長い髪を肩へ流し、長い耳を隠すこともなく晒している。白い法衣には複雑な刺繍が施されているものの、装飾は決して派手ではなく、その立ち姿には長い年月を生きてきた者だけが持つ静かな威厳があった。
教皇がゆっくりと視線を巡らせる。
世界中から集められた聖女たち。
そして最後にエリスへ視線を止めた。
「……シスター・エリス=セントラですね。」
自分の名前が呼ばれた瞬間、エリスの肩が僅かに震えた。教皇は穏やかな声で続ける。
「よくいらっしゃいました。」
「……はい」
エリスは深く頭を下げる。
それは、聖女として活動していた頃から身体に染みついている礼だった。
教皇はしばらくエリスを見つめた後、静かに告げる。
「顔を上げなさい」
エリスが顔を上げる。
「あなたが聖女の称号を失った経緯については、すでに報告を受けていますが、改めてこの場で、あなたから説明してください。」
その言葉を聞いた瞬間、エリスの指先に力が入った。
「……はい」
そして、エリスはアルセリア侵攻に至るまでの経緯とアルセリアで自らが行った行為を全て説明した。それには魔族や魔物を癒したり、聖属性魔法を反転した魔法の行使、さらには大規模蘇生魔法の話も含まれた。そして聖女の称号と力を失い、勇者アベルのおかげで力は取り戻せていることまでを丁寧に説明した。
それらの話は、そこにいた聖女全員の想像を超えるものだったのか、全員が言葉を失っていた。




