307話 決着と求婚*
帝宮には、事件の後始末に追われる重苦しい空気が残っていた。
皇女アンジェリカを襲った男が、実はディレク直属の侍従だったこと。そして、彼が魔族から渡された変身ペンダントによってアベルの姿を借り、意図的に暗殺未遂を演出していたことが正式に確認されたからだ。
さらに、アンジェリカを装ってアベルを別の場所へ誘い出した侍女についても、同じ魔導具を使用していたことが判明した。
つまり、あの日アベルがアンジェリカの部屋にいたという事実そのものが、仕組まれたものだった。
真実が明らかになるほど、アベルに向けられていた疑いが、どれほど巧妙に作られたものだったのかが浮かび上がってくる。
「……確認が取れました」
調査を担当した帝国官僚が、皇帝の前で報告した。
「アンジェリカ殿下を襲った人物は、ディレク殿下直属の侍従ロイドです。変身ペンダントによってアベル殿の姿を偽り、暗殺を装ったものと考えられます。これはあくまで勇者殿を貶めるために行われた狂言であり、その前に発生したアンジェリカ殿下暗殺未遂事件との関連は否定されました。」
皇帝は黙って聞いていた。
「また、アンジェリカ殿下の姿を偽ってアベル殿を誘い出した侍女サラサも、同じ魔導具を使用していたことが確認されています。こちらがその魔導ペンダントで、魔族の関与が確認されました。この魔導具には身につけた者を一時的に魔族の傀儡にする機能が組み込まれていました。」
しばらくして、皇帝は低く息を吐いた。
「……そうか」
短い言葉だった。
しかし、その声には重いものがあった。
帝国の中枢にいる者が、皇女を利用し、一人の客人を罪に陥れようとした。しかも、その客人は帝国にとって、第一皇子を救った恩人でもある。皇帝にとって、それは決して軽く扱える問題ではなかった。
やがて、アベルの身体が十分に回復したとの報告が入った。
◇
数日ぶりに訪れた謁見の間。
アベルは皇帝の前に立っていた。
皇帝は立ち上がり、アベルの前まで歩み寄った。
「アベル殿。この度の件について、帝国を代表して正式に謝罪する」
その言葉とともに、皇帝は深く頭を下げた。
アベルは一瞬、何も言えなかったが、その光景を見ていると、胸の奥に溜まっていたものが少しずつほどけていくような感覚があった。
「そなたは何もしていなかった。それにもかかわらず、帝国は魔族の策謀によるとはいえ、偽りの証拠を信じ、其方を拘束した。」
皇帝は静かに続ける。
「そのうえ、取り調べにおいても不当な扱いがあったことを確認している……申し訳なかった」
それから、アベルに不当な尋問を行った関係者は既に処分を受けていることも報告された。
「……分かりました」
アベルは静か伝える。
「謝罪を受け入れます」
皇帝はわずかに表情を和らげた。
「感謝する。また、アンジェリカを暗殺者から救ってくれたことにも改めて感謝する。」
そして今回の事件について、もう一つ告げる。
「ディレクには、すでに謹慎を命じている。事件への直接的な指示については調査を続ける。しかし、これ以上帝国を混乱させる行動を許すつもりはない」
アベルは黙って頷いた。それで十分だった。少なくとも、今は。
そして、帝国の次代を巡る争いにも、正式な決着がつこうとしていた。
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数日後。
帝宮の大広間には、多くの重臣と貴族が集められていた。
中央に立つ皇帝の隣には、第一皇子シュナイダーの姿がある。病に蝕まれ、立つことさえ困難だった頃の面影は、もうほとんど残っていなかった。
まだ完全に以前の身体へ戻ったわけではない。それでも、自分の足で立ち、まっすぐ前を向いている。
その姿を見つめる者たちの間から、静かなざわめきが広がった。
「ここに宣言する」
皇帝の声が大広間へ響く。
「第一皇子シュナイダーを、正式に次代の皇帝たる皇太子に指名する」
その瞬間、空気が大きく動いた。
シュナイダーは深く頭を下げる。
「父上のご決定、謹んでお受けいたします」
その声には、以前のような焦りや不安はなかった。自分の命が明日まで続くのかすら分からなかった男が、今は次代の帝国を背負う立場に立っている。その変化を、本人自身が一番不思議に感じているのかもしれなかった。
そして、その奇跡のすぐそばには、エリスがいた。彼女が最後まで治療を諦めなかったこと。呪いを解いたのには光の精霊の助言と聖なる泉の効果が大きいが、エリスが聖女としての力を使い、何度も彼の身体を癒やしたことも大きく評価された。そして、それはシュナイダーにとって決して忘れられない記憶になっていた。
式典が終わった後、シュナイダーはエリスを呼び止めた。
「エリス殿」
「はい」
振り返ったエリスへ、シュナイダーは少しだけ緊張した表情を向ける。
「あなたには、本当に感謝している」
「私一人の力ではありません」
エリスは穏やかに微笑んだ。
「皆で力を尽くした結果です」
「それでも、私はあなたに救われた」
シュナイダーはそう言って、しばらく言葉を探した。皇太子としてではない。一人の男として、伝えたいことがあった。
「だから……一つ、お願いがあります」
エリスは黙って彼を見つめる。
「私と、結婚していただけないだろうか」
その言葉を聞いた瞬間、エリスの瞳がわずかに揺れた。嬉しくないわけではなかった。自分が命を懸けて治療した相手から、これほど真っ直ぐな想いを向けられることが、少しも嫌ではない。
けれど、彼女の心には、すでに一人のヒトがいる。その人の姿を思い浮かべた時、答えは自然と決まっていた。
「……申し訳ありません」
エリスは静かに頭を下げる。
「私には、心に決めた人がいます」
シュナイダーは一瞬だけ目を伏せた。胸の奥に、小さな痛みが走る。それでも、その痛みを相手へぶつけることはしなかった。
「……そうですか」
やがて顔を上げる。
「残念です」
素直な言葉だった。しかし、その表情は穏やかだった。
「けれど、あなたが大切に思う人と幸せになれるのなら、それを私は願っています」
「ありがとうございます」
エリスは何度も頭を下げた。
シュナイダーは小さく笑った。
「こちらこそ」
それだけで、二人の話は終わった。
長く語る必要はなかった。
シュナイダーの中に残った想いも、
エリスが心に決めている人も、
それぞれが、それぞれの場所へ持って帰ればいい。
◇
その日の夕方。
エリスが廊下を歩いていると、どこからともなく紙飛行機が飛んできた。
「……?」
白い紙で折られた小さな飛行機だった。
しかし普通の紙ではない。淡い光を纏いながら、まるで送り主の意思を持っているかのように、エリスの前を一度旋回すると、その手元へ静かに降りてきた。
エリスがそっと受け取る。
すると紙飛行機は、指先に触れた瞬間、折り目をほどくようにゆっくりと開いていった。
一枚の便箋へと姿を変える。そこに描かれていたのは、聖教国の紋章だった。
「聖教国……?」
エリスは不思議そうに便箋を開く。
"エリス殿へ"
その文字を見た瞬間、彼女の表情が固まった。
手紙には、四年に一度開かれる聖女会議への正式な参加要請が記されていた。
"各国より選ばれた聖女が集い、聖術に関する知識と経験を共有するための会議を開催いたします。エリス殿にもこれへの参加を要請します。"
エリスは、しばらくその文字を見つめていた。
「……私が?」
その一言が、誰もいない廊下に小さく響く。
自分はもう聖女ではないため、この会議に呼ばれることはないと思っていた。
魔王軍に加わり、ヒトを傷つけるために魔族や魔獣を癒やした。その罪によって、聖女の称号は剥奪されたのだから。だからこそ、聖女という名も、聖教国という場所も、自分とはもう関係のないものだと思っていた。
それなのに、今、その聖教国から呼ばれている。エリスは便箋を両手で包み込むように持った。胸の奥に、戸惑いと不安が入り混じる。
それと同時に、ほんのわずかな希望もあった。失ったと思っていたものが、本当にすべて失われたのか。
自分自身でも、まだ答えは分からない。
手紙には最後に、こう記されていた。
"なお、今回の要請は、現在のエリス殿の立場を十分に理解した上でのものです。会議の場にて、これまでの経緯についてご説明下さい。"
エリスはその文章を何度も読み返した。
そして、静かに目を閉じる。
「……アベル様に、相談しないと」
今度は、先ほどより少しだけ柔らかな声だった。
四年に一度だけ世界中の聖女たちが集まる場所で、エリスはもう一度、自分自身と向き合うことになる。
そしてその先に何が待っているのか。
今はまだ、誰にも分からなかった。




