四十二、貧民 五
と、ここで、教会のドアが強く外から叩かれた。長椅子の貧民達がざわめく。
「私が開けよう」
説教壇からドアまで走り、用心しながらドアをかすかに開けた。
「馬だ」
置いてきたはずの馬が、二頭とも、戸口にいる。びしょ濡れだが、元気のようだ。
「タックさん、本来なら、召使いの私が口にする資格はないのですが……どうぞお使い下さい。大旦那様も、テティお嬢様も、きっとご承諾なさるはずです」
ノンドが、眠ったままのテティを足で支えながらいった。
「ありがとう、ノンド。テティ」
素直に、かつ、心から感謝した。コーダーも、パニーとともに説教壇をあとにする。
「出発の時がきた。雨はこれからますます酷くなる。だから、大将に面倒臭い耳栓や目隠しはいらん。俺の背中だけ追ってくれ」
「分かった」
「雨具は、私のをタックさんに渡しましょう」
「ありがとうございます」
「私のは、義兄さんのを貸してくれる?」
「も、もちろん。もちろんだとも!」
いそいそと雨具を脱ぎ、ノンドから自分の分を借りうけた。
「何もいわんでいいぞ」
コーダーが牽制したので、黙ってうなずいた。
「義兄さん。私を落とさないでね」
パニーは、わざといたずらっぽくいって微笑んだ。
「あ、ああ。しっかり掴まってくれ」
自然と口元が緩む。
「やれやれ」
コーダーが肩をすくめた。
馬具も濡れているが、構わず乗った。目指すは富裕区、ユーバ会長の邸宅だ。
貧民区を出るころには、雨はもはや、滝を通りこして壁さながらになった。合羽はどうにかもっているが、雨粒が物理的に痛い。ただ、火事は自然に鎮火したことだろう。
コーダーは、雨などお構いなしに馬脚を速めた。ついていくのに精一杯で、余計なことを考える暇はない。
あっという間に中間層区を抜け、富裕区へ至り、さらに奥へと進む。
終点は、富裕区の中でもひときわ巨大な敷地を抱える邸宅だった。テティのそれが、軽く二つは入る。クリーム色の外門は開けられたままで、夜警の類はいない。
「こ、この先に進むのか? やめておけ! 偉大にして深淵なリネット様が、放っておいても万事解決してくださる!」
物陰から現れたペンドルが、笑いながら忠告した。上半身は肌着だけになっており、片足から靴が脱げている。右手には、テティが持っていた王子の人形が握られていたが、首が取れていた。
「人形部隊は全滅ですか?」
一応、それだけは確かめておかねばならない。
「あんなもの、リネット様には何の役にもたたなかった。トラバスでさえ目の前にいたのに、リネット様は、どこにいるのか分からない状態で私の人形をみんなやっつけたんだ! でも、私は許された。私は王子だそうだ! 王子! 王子!」
『ペンドル……もう、商売なんて出来ないわね』
レッタの口調には、惜しみない侮蔑がこもってはいた。しかし、ほんのわずか、かつては愛しあっていた相手への惜別も含まれていた。
「お前達、リネット様の功徳を浴びろ! まずはリネット病にかかってからだ! いや、病気じゃない! 最初の祝福だ! 予兆なんだ!」
唇の端から泡を浮かべ、真剣そのものの表情で、ペンドルは夜空に両拳を突きあげた。握ったままの王子の人形から、右足がもげて落ちた。
一度は馬をとめたコーダーだが、乗馬したまま門をくぐった。もちろん、自分も続く。
前庭を抜け、玄関まできて、コーダーとアコーは下馬した。自分達も降りる。軒下で合羽を脱いで鞍袋にしまい、コーダーが慎重にドアを開けた。
屋内は明るく、壁にも床にも不審な点は一つもない。
いよいよ侵入という直前、廊下の奥から何かが飛んできた。少しずつ減速し、こちらから十歩ほど手前で着地したかと思うと、ごろごろ転がってくる。足元まできてようやくとまった。
「ハーモ隊長!」
自慢の口ひげまで血まみれになっており、鎧はひびだらけで、兜はどこかにいってしまっている。剣も手放していて、とても戦える状態にない。
「請求書は衛兵隊に回しますから」
アコーは聖印を手にした。それでようやく、ハーモはこちらを見あげ、ぱくぱく口を開け閉めする。自分が片膝をついて、耳を寄せることにした。
「トラバス……やつは、勇者なんかじゃない……悪魔だ……とても無理だ……」
ハーモは、それだけ語って両目を閉じた。しかし、夢葬は起こらない。
「気絶したようだ」
たちあがり、三人に告げた。
「どこにトラバスがいるのか、分かりやすくなったな」
コーダーが、ハーモの飛んできた先を指さした。彼に構っている時間はない。彼をあとにして、廊下を進んだ。ことここに至り、罠や小細工があるとも思えない。だから、号令をかけるまでもなく全員が走った。
ハーモは、ただ飛ばされたのではないと直に分かった。何枚かの壁を突きやぶりながら飛ばされたのだ。逆説的に、そこをたどれば一直線でトラバスの元へいける。
やってきたのは、パニーが説明した通りの部屋だった。大人が五十人集まっても余裕があるほど広く、四方の壁には歴代のユーバ家当主が肖像画として展示されている。その中には、フィナンの夢葬で目にした、裏切り者のユーバもいた。
トラバスは、部屋の中央に、腕を組んでそそりたっている。彼の足元には、三体の首なし死体があった。ボエ司教とラカス助祭は、衣服で判別できる。もう一人は……。
「ミラー参事会員、申し訳ありません」
部屋の隅に転がる生首と目があい、自然と謝罪が口をついた。
「ミラーになど謝る必要はない。それより、最後の最後までわしの脚本通りに動いてくれて礼をいう」
トラバスの背後……というより奥の闇から、一人の老いた男が現れた。ミラーと同世代だろうか。少し肉は薄いが、肖像画に囲まれた人間としてこれほどふさわしい者はいない。
「ユーバ参事会長……」
「いかにも、わしがユーバ家の現当主にしてストラ市の参事会長だ、夢葬屋のタック君。その相棒のコーダー氏。尼僧のアコー氏。そして、タック君の義妹のパニー氏」
自分だけ君づけなのは、親しみをこめてではない。といって、一方的に見くだしているのでもない。値踏み、といったところか。




