三、桟橋に立つ女 三
封筒を開けたら、乾燥した紙がかさかさと鳴った。中身をできるだけ丁寧に広げると、細くきれいな字が目に入った。
『五番桟橋……それだけが、私とあなたのつながりになりました』。レッタは、満たされない愛情を、そんな切ない文章から訴えていた。作家でもないのに、かなり長い。
黄褐色の色あいといい、文面の古めかしさといい、嘘でないとは確信できた。
「結構。ご依頼を受けましょう」
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
べロープの喜び方は、輝かしいというよりも、長々と降っていた雨がようやく止んだという雰囲気だった。
「それでは、五番桟橋にむかいます。ご同行されますか?」
「え……?」
こんなにいきなり進むとは、さすがに予期してなかっただろう。
「お受けした以上、今すぐにでもお祖母様の夢に入られます。ただ、ご本人が強く思いいれている場所の方が、より有意義な結果となりやすいです」
「私は……それは、かまいませんが……」
「夢の内容は、その場で第三者にお見せすることも、無関係な人間にだけ見えないようにすることも可能です」
「どのくらい、お時間がかかるんでしょう?」
「出来たてのピザが冷めるくらいです。ご本人には、夢そのものを長く感じることはあり得ます」
「ああ、そうだったんですね。勉強不足でした」
べロープは、ようやくかすかに笑った。代理人が安心できて、微笑み返した。
「あと、記録係として、こちらのコーダーも同行しますが、よろしいですか?」
「はい」
コーダーは、無言のまま礼儀正しく頭を下げ、筆記用具をまとめた。
「お手紙はお預かりしたままでもいいですか? 仕事が終わればお返しします」
「どうぞ、そのままで……。あの、さしつかえなければ、辻馬車に乗っていきませんか? お金は私がだします」
ここから五番桟橋までは、歩きでもたいした時間にならない。とはいえ、べロープは背が低いので歩幅も短い。それに、忙しくもあるだろう。
コーダーにちらっと目をやると、彼は短くうなずいた。
「それでは、ご好意に甘えます」
「ありがとうございます」
自分とコーダーの言葉が重なった。
率先して店を出ると、くっきりした陽光が通りを白く輝かせた。質素だが、人前で恥ずかしくない服を着た人々が行き来している。その時、気まぐれな風が、風上と風下を入れかえた。
店の裏口側……ひいては、裏路地を隔てた貧民区……からもたらされた風は、ドブと腐った死体の臭気をもたらした。不快ではあるが、慣れてもいる。ただ、べロープだけはそっとハンカチを出して顔の下半分に当てていた。礼を欠いたとは思わない。むしろ、よく一人でこれたと感心している。
裏路地では、数人の衛兵達が、地面に膝をついている。彼らは、一人の聖職者の立ちあいで、今朝亡くなった貧民の少年を担架に乗せていた。聖職者も含め、露骨に面倒臭そうな表情だ。たまたま、衛兵の一人と目があった。唾でも吐いてきそうな嫌悪感を隠そうともしていない。店からの通報なのは、先方もとうに知っている。余計な仕事を増やしやがってとでもいいたいのだろう。
辻馬車はすぐに拾えた。四人乗りの箱型なので助かった。べロープからすれば、夢葬屋のような店に出入りしているのを、それほどは人に知られたくないはずだ。
御者に行先を告げて、まずべロープに乗ってもらい、ついで自らが、最後にコーダーがドアを閉めた。箱の外から、御者が手綱をしならせる音が聞こえ、車輪がきしみながら回り始める。
「あなたは、五番桟橋にいったことはありますか?」
タックが水をむけると、べロープは少し首をかしげた。
「いえ……。そういえば、ないです」
「怪しげな連中はいませんし、いざとなったらコーダーがいますよ」
名指しされたコーダーは、軽くうなずいた。
「祖母も、ペンドルを待つのはこんな時間帯を選んだのでしょうね。夜は危ないですし、船乗りさんの邪魔をするのも避けたいでしょうから」
返事をまとめようとしていたら、馬車が止まった。御者がドアを開ける。風に引かれて濃く薄く、潮の香りが寄ってきた。
べロープが御者に料金を支払っている間、コーダーと並んで桟橋を眺めた。
「お待たせしました」
べロープが隣にくると、馬車は引きあげた。
「改めて、お礼を申しあげます」
店主として、要所要所で客に感謝するのは当然のことだ。
「いえ、それより早く桟橋にいきたいです」
「かしこまりました」
道から岸壁を経て、桟橋に至ると、足元がぎしぎしうなった。五番桟橋は、端まで歩くと二百歩にはなる。小さな丘ほどの外洋貨物船も、数隻が停泊していた。どれも帆を畳んでいる。一番小さなそれの広さだけでも、タック夢葬店の数倍はあるだろう。
一番桟橋と二番桟橋に、客船が横づけしているのも見えた。船から降りた人々に、物売りや案内屋が群がっている。リネット病がなくとも、ほんの数日船がとぎれたら、たちまち貧民区行きになる連中だ。
「この辺でいいでしょう」
桟橋に入ってから少しした場所で、依頼を果たすことにした。
「一部始終をご覧になりますか? 要約した部分だけをお見せしましょうか?」
「ええと……じゃあ、一部始終で」
「かしこまりました。なお、第三者には、あなたが目にしている場面は一切見聞きされません。ご安心を」
「ありがとうございます」
「では」
ポケットから手紙をだして、自分の胸に当てると、すぐに景色が変わった。
「こ、ここは桟橋……五番桟橋ね? じゃあ、べロープがあなたにお話をしてくれたの?」
べロープに似た顔だちの、若い女性が話しかけてきた。今は相当な年齢のはずだが、夢の中では孫と同年代になっている。麦わら色の短い髪と、細い顎の線は、はつらつとしてみずみずしかった。
「はい。初めまして。タックと申します」
「夢葬屋さんよね? ありがとう。私が依頼人のレッタよ」
「よろしくお願いします、レッタ様。ところで、最後にペンドルさんとお会いした時分を再現しますか?」
「ええ、そうしてちょうだい」
「かしこまりました。夢の中では、あなたが望む物は何でも直ちに手に入ります。何をしようと自由です。それでは、お楽しみ下さい」
タックは、意図的に姿を消した。代わりに、ペンドルが現れる。正確には、レッタが覚えているところのペンドルとなる。
思っていたよりもはるかに貧しい身なりをしている。ただ、野心をむきだしにした目つきと、そり返らんばかりの肩幅が将来を暗示させた。
「レッタ。もうそろそろ船が出る」
ペンドルは、貨物船の一つを顎でしゃくった。甲板の上にまで、樽や木箱を積んでいる。客船でないところからして、住みこみで働くのだろう。
「本当に……迎えにきてくれるの?」
ペンドルの胸の辺りから、レッタは彼を見上げた。
「もちろん。何度もいったろう」
「むこうで出世して、どこかお金持ちのお嬢さんと結婚したりしない?」
「そんなこと、あるわけない。手紙だって毎週書くし」
「嘘ついたら殺すから」
「おいおい、物騒な冗談はやめろよ」
「私ね……実はもう、結婚してるの」
「え……?」
「こうやって、若く見せてるけど、私はもうお婆ちゃんよ。孫もいるし」
「何……?」
「あなただって、私を捨てて別な女と結婚したんだし、いいよね?」
「ど、どういうこ……ぐわぁっ!」
ペンドルの右手には、鈍く光るナイフがあった。べっとりと赤く血に濡れ、桟橋に滴っていく。
「な、何を……」
「何をするんだっていうのは、こっちの台詞だよ!」
がくんと膝をついたペンドルの後頭部を、レッタは左手で掴んだ。そのまま横倒しにして、彼のみぞおちに右足の爪先をめりこませた。そこは、彼女がナイフで刺したばかりの傷口だ。




