二、桟橋に立つ女 二
報酬と、依頼の物的根拠。眉一つ動かさないまま、瞬時に彼女の真剣さを感じとった。
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞ、おかけ下さい」
「恐れいります」
べロープの着席を待って、コーダーと共に腰を降ろした。
「早速ですが、詳しいお話に入っても、かまいませんでしょうか?」
やや上ずった声と、コーダーが羽根ペンを準備する音とが混ざりあった。
「どうぞ」
無愛想ではないが、揉み手擦り手とは程遠い様子でタックは応じた。
この時既に、窓もカーテンも閉めきられている。だから、話の内容はまず外には漏れない。天井際にある明かりとりだけが、自分達とべロープの間に光をもたらしていた。
「祖母のレッタは、若いころに将来を誓ったはずの男性を、ずっと待っていたんです。あなたのお力で、その夢を本人に見させて下さい」
言葉と共に、彼女が座る椅子の背もたれがかすかにきしんだ。
「確かに、私は死に瀕した人間の夢に出入りできます」
「そして、最後の願いを叶えて下さるんですよね?」
「はい。それが、本店の存在意義です。むろん、あくまで夢の中だけの話ではありますが……」
「祖母の気持ちを、少しでも満たしたいんです。祖母は毎日、桟橋にたっていたそうですから」
「失礼ですが、この街の港で、ですか?」
初めて口を挟んだ。ストラは、海運業でも漁業でも著名な街だ。
「そうです。五番桟橋に」
「結局、お会い出来ないままだったと」
「はい。祖母は捨てられました」
コーダーが紙に滑らせるペン先よりも、明らかに大きな声音で、彼女は断言した。
「とてもお気の毒です。でも、また別な出会いがあったんでしょう?」
「親の……私からすれば、曾祖父母の……紹介で相手を得て結婚しました。その男性は、とうに亡くなっています」
「はい」
「祖母は、リネット病にかかっています」
思わずタックは、右の眉尻を跳ね上げた。
リネット病は、誰でも何回でもかかる。かかっても、最初の内は咳が止まらないくらいだ。しかし、教会に払う治療費が賄えなければ、一年ほどで安価な安楽死薬の出番となる。それさえも用意できなければ、精神に変調をきたして無残な最期を遂げる。
「お気の毒に……この街も、それさえなければ少しはましになるのですが」
べロープを慰めつつ……。地下室で寝たきりのトラバス達がかかわった『偉業』を、苦々しく思いかえさずにはいられない。魔女討伐の失敗、そして二人そろっての昏睡状態という結末を。
「私からは、お金ならたてかえるからとはいいました。そうしたら、もう誰にも迷惑をかけたくないんだそうです」
べロープは、壁をちらっと眺めた。守門……最下級の聖職者をかたどった人形一体、釘に吊るされている。
『義兄さん、司祭様に失礼があったら駄目だよ』
そんなパニーの台詞が脳裏に蘇る。今年の新年も、彼女と一緒に、教会まで人形を買いにいかねばならなかった。パニーの顔はどうにかたてた。しかし、貧民への施しありがとうございます、という司祭の台詞は思い出すだに腹がたつ。司祭は、もっと高位の……つまりは高額の聖職者人形を、ちらちら横目で眺めていたからだ。
「もう、来年の人形を買うお金も覚束ないとか……」
「買わなければ、住所氏名の公表ですよね」
あとは『善良な市民の対応』に任せる……それが、教会のやり方だった。
「最期の手だてはすませているとのことでした」
「安楽死薬ですか……教会の慈悲で」
どう繕っても意味がないので、いちいち言葉を選ばなかった。
「はい」
短く答えたべロープの両肩が、かすかに揺れた。
「端的に伺いますが、症状はどこまで進んでいますか?」
「その、昔の恋人の声が聞こえたり、戸口で見かけたと私に伝えたり……」
幻聴や幻視は、もはや末期症状だ。
「あなたのお祖母さんは、お金がないわけではないんですね?」
「たぶん、そうだと思います。でも、どのみち生きながらえても仕方ないし、とにかく、かつての恋人と会いたいと繰りかえしているんです」
「かつての恋人に……」
これほど祖母想いな孫娘がいるのに、なおもこだわる相手とは。ただの愛情だとか、若かりし情念の傷だとかですむものなのか。何より、べロープはあくまで代理人であって依頼人ではない。
「レッタさんが会いたがっている、かつての恋人とは、どんな方なんでしょう」
疑問をおくびにも出さず、質問を重ねた。
「ペンドルっていう、よその大陸の商人だそうです」
コーダーの手が一瞬止まり、自分も思わず息を飲んだ。ストラで、多少なりと『経営』に携わる人間なら誰でも知っている大商人だ。
「これはまた、凄い大物ですね。こっちの参事会にまで顔が効く人間ですよ」
「でも祖母を捨てました」
「はい。レッタさんのお気持ち、充分にお察しします」
「祖母は、桟橋で待っていただけじゃなくて……毎月、手紙を書いていました」
「えっ、引っ越し先の住所が分かっていたんですか」
「ペンドルは、いずれ立身出世を果たしたら迎えに来るからと約束して、最初の数ヶ月は祖母と手紙を交わしていたんです。でも、それが突然沙汰止みになってしまいました。とうとう、祖母は最後の手紙を出せないまま今に至っています」
テーブルに出されたのがそれなのは、すぐに察しがついた。
「恐縮ですが、依頼をお受けするかどうかの前に、そのお手紙を拝読しても構いませんか?」
「はい」
「ありがとうございます」
礼を述べた直後、音もなくタックの目の前には小さなハサミがよこされた。コーダーは、何喰わぬ顔で記録を取り続けている。
いちいち礼をいわず、タックはハサミを手にした。べロープには目礼だけして手を伸ばし、封筒にハサミを当てる。数十年越しの開封を自分の手で行うのは、派手な音も光もないくせにひどく緊張した。




