二十八、がれきの発掘 一
冷たい風が吹きぬける雪原に、パニーはたっていた。ストラ市は冬の厳しい地域ではないが、指で弾くと甲高い音でも出しそうな空気の中で、彼女は特に厚着するでもなくたたずんでいる。空には鉛色の雲が垂れこめ、小鳥一匹飛んでなかった。
「パニー!」
半年分の想いをこめて、叫んだ。彼女は身体ごとこちらに振りむいた。
「義兄さん……」
驚きではない。腹の前で組まれた彼女の両手は、白く輝かしいくせに微動だにしなかった。
それでも、トラバスは湧いてこなさそうだ。彼はもう起きて出ていった。もはや何の懸念もない。
走るのももどかしく、パニーへと一直線に近づくはずが、恐ろしく強い風に押しもどされた。何度試みてもそうなった。
「ど、どうなってるんだ! くそっ!」
「義兄さん……やっと会えたね……」
待ちに待ったはずの再開が、著しくぎこちない。彼女が、いっこうに喜ぶ気配を示さないからだ。
「そうだ。こうやって、話もできる!」
「ごめん……まだ……まだ私は起きられない」
吹きあれる風のさなかでも、彼女の声はまともに聞こえる。ただし、耳元で囁やかれているような具合だった。あいかわらず、十数歩は距離があるのに。
「何故だ!?」
「少しずつでしか……説明できないの。私だって、とてももどかしい……まず、トラバスは、私の夢で私達が会うのを邪魔してない」
「え!?」
「義兄さんが……夢葬していたのは、トラバスの夢。最初から……トラバスの精神の中」
「な、何だってーっ!?」
風を圧して、雲間からぎざぎざの稲妻がほとばしった。声にならない声を、口だけぱくぱくさせている内に、腹を揺さぶる轟音が響きわたった。
「じゃあ、私はずっと騙されていたのか!?」
ようやく、それだけ口にした。舌がひどく乾いているが、冷たくはない。
「トラバスは、賢くて……邪悪よ。彼が義兄さんに伝えたことそのもの……はみんな本当」
「魔女……。いや、パニー、お前はどうなんだ? お前も騙されていたんだろう?」
「私は……ずっと寝ていた。自分が、ふがいなさすぎる。でも、たった今、魔女から……魔法で、トラバスの裏切りを知らされた」
「具体的に、どう裏切っていたんだ?」
「魔女は、参事会の密約を……断った。私も、当然だと思う」
「だったら、交渉決裂で対決だろう?」
「会ってすぐわかったけれど……魔女とトラバスは、同じくらいに強かった。けれど、魔女は私から持ちかけた話は少しだけ考えてくれた」
「トラバスは、お前が魔女と交渉するのを認めたのか?」
「もし、トラバスが……邪魔したなら、私は魔女に味方するつもりだった」
「お前が?」
「魔女は、自分の血を引く人間が……味方に加わると、魔力がとても強くなる」
「トラバスは知らなかったのか?」
「そう、途中までは知らなかった。でも……私が魔女の血を引いていることは、最初から知っていた。だから、交渉が有利になるとしか考えてなかった」
ある意味で、トラバスは、ケードのようなリネット教徒より大商人のペンドルに近い。そこは、まだしも与しやすい。
「じゃあ、参事会もお前がそうだと知っていたのか?」
「ユーバ会長は……知っている。他は、わからない」
ミラーは、パニーのことをどのくらい知っていたのか……。これ以上、事態をややこしくしたくないのに、案に相違してばかりだ。
「とにかく、魔女は……条件を出した。トラバスも承諾した。なのに、彼は、帰り道の途中で私に毒を飲ませて昏睡状態にさせた」
「何だと!」
吹雪だろうと落雷だろうとどうでも良い。その件だけでも万死に値する。
「トラバスは、自分からはそれ以上私に手を下すつもりはなかった。ただ、私を抱えてユーバ参事会長の自宅へいき、私を彼に売るつもりだった」
「ろ、ろくでなしの外道め!」
「落ちついて、義兄さん……私だって、とても恐ろしかったから」
「そ、そうだったな。誰よりお前が辛いに決まっている」
「ありがとう……意識を失った私を抱えて、彼は魔女のいる森を出る寸前まできた。そこへ、事情を察した魔女が、使い魔を送ってトラバスに呪いをかけた」
「効くのか、それは?」
「トラバスは、私を抱えていて思うように呪いを避けられなかったけど……彼は教会から祝福を受けていて、呪いは不完全な形でかかった。だから、彼も意識不明になった一方、義兄さんの力を逆に利用して街の様子を探らせた」
「つ、つまり私は、あいつのためにせっせと最新情報を届け続けていたのか!」
「そう……トラバスは、ユーバ会長が独裁者になるための段取りをたてているのを知っていた。だから、魔女の説得に失敗した時の次善策として、ユーバの邪魔になりそうな人々を……」
風が強くなるのを通りこして、雪嵐になってきた。
「義兄さ……トラバ……モを……めて……オリン教は……本来……存在し」
また雷鳴が空気を揺さぶった。今度は、頭を直撃した。不思議と痛みはなく、その代わりにパニーの姿は吹雪に消えた。
「大将、しっかりしろ!」
「これ以上のお祈りは予算超過です!」
店の二大現実が、夢の世界を断ちきった。地下室の天井がはっきり目に映る。
「気がついたか」
「コーダー……すまない、心配を……あれっ」
「途中で倒れたから、二人がかりで寝かせたんです」
頭を左右に巡らして、枕の感触にようやく気づいた。隣のベッドでは、パニーが横たわっている。
「と……ということは……」
「まだ、ゆっくりしてろ」
「私はトラバスが使っていたベッドを、清めもしないまま使っていたのかーっ!」
「くだらん」
コーダーは、簡潔にも一刀両断した。
「くだらんとは何だ、くだらんとは!」
「落ちつけ。ベッドはベッドだ。床よりましだろう」
「トラバスさんを追わないと! 参事会から看護代がもらえなくなります!」
そうだ。トラバスを、このまま放ってはおけない。
起きようとして、無意識に顔をなでると、ぬるっとした感触が伝わった。慌てて手の平を眺める。トラバスが、血まみれな顔で笑っていた。
「うっ……」
「夢葬しながら、大将は目からも鼻からも耳からも血を流していた」
説明するコーダーの両腕にも、アコーの尼僧衣にも、血がべっとりと塗りたくられていた。
「洗濯代は、別途で請求しますからね」
「す……すまない」
「今夜は休むしかない。アコーもへとへとなんだ」
「え……?」
「お金……眠る……」
切れ切れに呟いたかと思うと、アコーはがっくり膝をついて前のめりになった。
「アコー!」
「ただの疲労だ。大将ほどじゃないが。まあ、彼女は彼女なりに、トラバスが脱走したのを気に病んでいる」
「そうか……。コーダーは……」
「俺なら心配いらん。もっと厳しい環境を生きのびている」
「頼もしいな」
「ミラーやテティなら、衛兵が屋敷を守るだろう。そのための権力だ」
冷静な説明であり、皮肉である。
「彼らだけで、どうにかなるのか……?」
「どうにもならなかったら、街は混沌の坩堝だ。リネット教徒がお祭り騒ぎだろう」
「リネット教徒……」
「ああ。個人的な恨みにつけこんだとはいえ、オリン教の助祭まで、一時的にしろ支配できたんだ。数十人かそこらのカルト教団なんかじゃない」
「まさか……」
「だから教会も、根絶やしに必死なんだ」
説明しつつ、コーダーは、アコーの身体を丁重に床に横たえた。
「なら……なら、むしろ、好機じゃないか!」
あっという間に、頭の中で絵図が浮かんだ。
「好機……何の?」
珍しく、コーダーが困惑している。
「パニーと二人きりになる」
「どういう意味だ?」
「パニーが起きるに起きられないのは、トラバスか、教会か、とにかくその連中のせいだ」
「まあ、そうかもな」
「だから、このままリネット教徒と教会と参事会を潰しあいさせれば、私とパニーは晴れて……」
「家無し文無しだ」




