二十七、尋問室のシミ 五
さすがに、三回目の夢葬はやりたくない。だが、パニーの姿は目にしたい。処刑の瞬間までいあわせたのだから、そのくらいはしないと気がすまなかった。
階段を降りると、パニーはもちろんいつもと変わらず眠っていた。アコーもいる。
トラバスのベッドが、空になっている。
「タックさん……トラバスさんが……トラバスさんが……」
アコーが取りみだすとは。
「いなくなってしまいました!」
「見ればわかる。何が起きたんだ?」
ここは、店主として威厳を示しつつ、冷静に事態を把握したかった。
「あなた達が連れていかれてからちょっとして、トラバスさんは目を覚ましたんです。ここはどこだって聞かれたから、タックさんのお店の地下室ですと答えました。そうしたら、自分の私物はあるかって聞かれて……」
「ま、まさか……っ」
「私は、私は反対したんです! だって、タックさんから損害賠償されたりしたら大損ですから!」
「微妙にどうでもいい話があるが、とにかく二階に案内したのか!?」
「はい……そうしないと、その……」
アコーは赤面し、顔を伏せた。
だいたい想像がつく。ゼニカネには異常なほどこだわるし、衛兵に一歩も譲らず食ってかかる彼女だが、男女の云々には純粋で世間しらずな尼僧だ。
「酷いことはされてないか?」
「何もされてません。ただ、要求を飲まないと、ここのお金を残らず持っていくって……」
「何だ、そんなことか」
もっと深刻な事態を想像していたのに、拍子抜けした。
「そんなことって何ですか、そんなことって! ここが倒産でもしたら、能率のいい金づるがなくなるんですよ!?」
「あ……まー、その、そうだな」
「だいたいあなたは店主の自覚がなさすぎるんです! もっとお金を出して下さい!」
「いや、それは……」
「賑やかだな」
呆れはてた口調で、コーダーが論評しながら加わった。
「コーダー、トラバスが……」
「消えたようだな」
「煙じゃありません」
「そういう意味じゃない」
コーダーは、アコーのつまらないつっこみを断ちきった。
「着のみ着のまま出ていったのか?」
「いえ、二階にある自分の私物を取りもどしてから、出ていかれました」
「私のには手をつけなかったのか?」
「さあ……さすがに、着がえにまで同席できませんし」
「つまり、アコーは私の部屋には入ってない?」
「そうです」
首の皮一枚で助かった……のだろうか? パニーの自作肖像画を他人に見られるのは、苦痛以外の何ものでもない。しかし、トラバスなら……あれほど憎んだにもかかわらず……それほど腹はたたない。
いやいやいや。トラバスこそ、もっとも見られたくない相手だろう。
『右手の平をご覧なさい』
不意に、レッタが声をかけた。何もこんな時にとは思ったが、それくらい重要な助言でもある。
自分にむけて広げた手の平には、トラバスの顔がしっかりと染みこんでいた。
「うわぁっ!」
「どうした、大将!」
「タックさん!」
腰を抜かしかけて、パニーの寝るベッドの縁に、どうにか手をついた。
「疲れが溜まって限界か?」
「そ、そうじゃない……」
タックは、自分の身体に起きた新たな変化を二人に直接示した。
「レッタに続いて……」
コーダーは、顔をしかめて腕を組んだ。
「呪い、ですね……」
アコーも、深刻に心配そうな表情になっている。
『トラバスは生きているんでしょう? あなたのような残留思念ができる筋あいはないはずです!』
『そうよ。これは残留思念じゃない。いみじくもアコーさんがいうとおり、呪いよ』
『トラバスの!?』
『魔女の』
『ど、どういうなりゆきなんですか!』
『あなたが夢葬を使って真相に近づけば近づくほど、いろんな人間の精神があなたのそれに重なっていくのよ』
『ケードや、ブリドルは? 私の身体には浮かんでないはずです』
『彼らはリネット教徒だから。フィナンは人形だし』
『じゃあ仮に、パニーがリネット教徒でなければ……』
『そうなるかもね』
叫びたくなるような、髪をかきむしりたくなるような、荒々しく歓喜と失望が合体しては離別する心地だった。
パニーの精神が、一部なりと合体するのは、神でもないと成しとげられない奇跡だ。毎日自分で自分を抱きしめていたい。しかし、それはあくまで二人きりでの話で、トラバスなど! 右手を斬りおとしてでも絶縁したい。
『今のところ、トラバスの精神があなたに干渉する気配はないわね。でも、いつそうなってもおかしくない』
『それでも、夢葬は中断してはいけないんでしょう?』
『そうよ。パニーを救いたければね』
「呪いでも何でも、パニーの回復に結びつくならどうでもいい。幸い、彼女はまだここにいる」
「トラバスは、目を覚まし次第、ミラー参事会員の元に連れていかねばならんのだぞ」
コーダーが、シビアな現実を突きつけた。
「私も、それは説明したんです」
「なら、トラバスは無視したのか」
自分としては、トラバスがどこまで自分勝手なのか、客観的なところを把握しておきたい。
「いえ、じゃあ自分からミラーさんのところへいくって」
「早くいってくれ!」
「説明する前に、コーダーさんが割りこんできたんじゃありませんか!」
「おい、他人のせいにするな」
コーダーもたまらず反論した。
「事実です!」
「ゼニカネ以外のことになると、お前の説明はいつも要領があやふやだ」
「酷いっ! 私だって、お金の範疇で……」
「わかったから、二人ともやめろ」
二人はそろって口を閉じた。白く冷たい沈黙が、室内を満たした。
ハーモのような意味での両面性……あるいは多面性……がないのは、二人に共通する美点だ。他人によっては美点に数えないのだろうが、首尾一貫して本音を語ってくれる人間がいるのはありがたい。特に、馬鹿馬鹿しい規則づくめのこの街では。
トラバスは、明らかにユーバ参事会長側の人間だ。魔女と会って考えが変わったのかもしれないが、それならせめて、自分達が衛兵詰所から帰るのを待つべきだったろう。
そんな彼が、反ユーバ派のミラーの元へ自分から押しかける……。私情を抑え、トラバスと事情をじっくり交換し、落ちついた状態でノンドに連絡を取るつもりでいたのに。
『右手の平をご覧なさい』
レッタの呼びかけで、右手を開いた。トラバスが、はっきりと怒った顔になっている。
『あなた、彼のことで、自分にまで嘘をつこうとしたでしょ?』
『私情を抑えてトラバスと話しあう、ということですか?』
『そう。それは嘘だって、彼は思ったのよ。いえ、実在する彼じゃなくて、右手の彼が』
『だからって、本当に怒鳴りあいをしたいわけじゃないです』
『そうね。右手の彼は、ただあなたの本音に触れて、自分も本音を表にしただけ』
いやな『顔』だ。ほとんど何の役にもたたないばかりか、自分でもごまかしたい自分の本音を逆説的に押しつけてくる。むろん、トラバスにかかわることだけなのだが。
不意に、閃いた。そうだ、トラバスはいない!
今なら、今こそ、邪魔のない状態でパニーの夢にいける。
問題は、自分自身の体調だ。ここにくるまで、いくら何でも三回目はないと確信していた。二階へ寝にいく程度の力しか残ってないと……。そこは、変わってない。
アコーに頼んで、体力回復の祈祷をしてもらうのも悪くないが、金がかかる。トラバスがどんな不確定要素をもたらすのか不明瞭な以上、出費は極力慎みたい。
一方で、三回目をすませたあと、どのくらい休まねばならないのか。やってみないとはっきりしない。それに、パニーがどんな影響を受けるのかも未知数すぎる。
迷っている時間はない。休むか夢葬か。
「コーダー、アコー。パニーに夢葬する」
「大将!」
「タックさん!」
どう甘く判断しても、無謀な試みだといわんばかりだ。
「こんなタイミングだからこそ、好機を活かしたいんだ。金は、衛兵からの報償に、不足分を店の金庫から出す」
「おお、神よ……気前の良い店主に幸いあれ」
「大将がそこまでいうなら、つきあおう」
ぐだくだ無駄な会話をしないのは助かる。
意識を集中するのに、淀みはなかった。およそ楽観にはほど遠い状況だが、かえって開きなおる心境にすらなった。




