十四、黒づくめの人形 二
パニーがいてくれたら、あの二人のためにも、茶など淹れてくれただろう。そこで自分が菓子を用意し、コーダーとアコーには好きにつまませる。一方で、実は自分達だけおそろいになっているカップを、そっとならべる……そんな空想がつい湧いてきてしまった。
ケードも、在りし日の妻と、そんな一コマを楽しんだのだろうか。彼の最期には同情しないが、結婚できたことは少しだけうらやましく思った。
『感傷に浸っている場合じゃないわよ』
レッタが、余計なお世話を発揮してきた。姿が浮かんだのでもないのに、細い顎が小刻みに動くところが想像できてしまった。
『そんなつもり、ありませんから』
『でも、パニーのこと考えてたでしょ』
『しまいには除霊しますよ』
『私は残留思念だから関係ないわ。それより、テティはちょっと危ない仕事になりそうね』
『そりゃ、こういう商売をしてればどこからでも危ない仕事はきますよ』
つい先日も、貧民区にいってきたばかりだ。
『あなた、富裕区に出入りしたことはあるの?』
『いや……ないです』
『私はあるわ。金持ち喧嘩せずっていうけどね、二つ意味があるのよ。一つは、精神に余裕があるからつまらないことで腹をたてない。だから喧嘩しない。もう一つは、他人にやらせる』
レッタは、富裕区の住人になりそこなった人間である。鵜呑みにはできないが、素通りも不可だ。
『テティの保護者は、どっちだと思います?』
『会ってみないとわからない。でも、会えるかどうかもわからない。危害を加えるといった意味じゃなくて、そういう対応は召使いにやらせるのが当たり前だから』
反射的に、ノンドの姿が心に浮かんだ。
『とにかく、仕事するならまず、つまらない恨みを買わないことね。もちろん、うまくやりとげられたら大きな実績になる』
『そのくらい、わかってますよ。どうすればそうなるかで悩んでるんじゃありませんか』
『資料を読みなさい』
『もう読みました』
『何十回でも、何百回でも読みなさい。それだけが、あなたを助けてくれるわ』
『何回読みかえしたって……』
『いしょう……大将っ。聞いてるのか?』
『え!?』
コーダーが、こちらを見おろしている。
「暇だからって、ここでいびきをかかれちゃやりにくい」
「あ、ああ……すまない」
あわてて窓の外に顔をむけると、もう夕方だった。
「先方と段取りを調整してきた。明日の朝には迎えがここにくる」
「迎え……?」
「さすが、富裕区は待遇がいい。馬車をよこしてくれるそうだ。もちろん、一切の経費はあっち持ちで」
「あ、ありがたい」
「どっちかというと、大将の方が心配だ。ここんとこ、いろいろありすぎて疲れが溜まってるんじゃないか?」
「大丈夫……明日はしっかり仕事するから」
「随員として、いつも通り、俺とアコーも同行する」
「そうか。出張費は……」
「それも計算して報酬に組みこんである」
「助かる」
「昼飯代も客の親が払う」
「ますます助かる」
「毒入りじゃなきゃいいがな」
「毒……」
ふらついていた頭が、たちまちはっきりした。
「場合によっちゃ、お嬢さんの繊細な秘密まで知ってしまうかもしれん。てっとりばやく口封じすれば、報酬も払わなくてすむだろ?」
「い、いくら何でも理不尽だ!」
「大将は、富裕区に出入りしたことがあるか?」
たった今、レッタから同じ質問をされた。
「いや……ない」
同じ答えを返すしかない。
「俺はある。金持ち……」
「喧嘩せずっていいたいのか?」
「そうじゃない。金持ちは、ケチと虚栄心が一緒くたになってる連中だ」
「ケチと虚栄心……?」
自分の先回りが外れたことより、ずっと興味深い見識が示された。
「ああ。金持ちってのは、無駄な金を出来るだけ使わない。だから金がたまる。一方で、ためた金を使って、奇抜なことをしたくなる。他の金持ちをあっといわせたくて仕方ない。だからこそ、バカにされたくなくて張りあう」
「辻褄があわないじゃないか」
倹約と浪費がかちあっている。
「それで、金持ちになればなるほど、どこかおかしくなっていくんだ」
「我々に何ができる」
「俺ならそのお嬢さんが、本当に存在するのかどうかから疑うね」
「疑うって……狂言のはずがない」
「それならいいが、まさかって言葉は魔物だ。富裕区ではな」
「狂言なら、目論見は何だ?」
「さぁな。俺達をからかって暇つぶしをしたいのかもな」
「それくらいなら別にいいじゃないか。依頼は受けたんだし」
「そうだ。受けた方が、俺達には商売を広げる機会になる」
「とにかく用心するよ。資料を読みなおすんだったな」
「読みなおす……?」
「いや、すまん。独り言だ」
資料を手にして自分の席にもどり、また頁をめくった。子どもが作った資料だし、大した量でもない。丸暗記するのに時間はかからなかった。
そこからは、資料を脇にやって、退屈だが重要な書類の処理を進めた。客がこないからといって遊んではいられない。というより、客がないからこそ進めねばならない。コーダーとアコーは、決められた時刻になれば帰る。自分自身は、いつその日の仕事を終えるのか、誰かが決めてくれはしない。
日没から少しして、ようやく一区切りがついた。
翌朝。
コーダーとアコーが店にきてからほどなく、ブルック家の使いがきた。すぐ店をでる。
待機している二頭だての四輪馬車は、黒地に金の唐草模様を外装にあしらっていた。ドアの下半分には、尻尾を上にしてむかいあう二匹のニシンが描かれている。
ドアを開けて、三人で乗りこんだ。座席のクッションは柔らかく、何より、小さいが手洗いまであった。
席についてすぐ、馬車は出発した。予測通り、ほとんど衝撃がない。
「ブルック家は、ミラー参事会員の一族だ」
まずは開口一番、コーダー達に説明した。
「どうしてわかった?」
「家紋だよ。私は代書人をやってたからな。それに、ここは家紋に厳しい街だ」
詐欺や、そうでなくともただの見栄で、著名な家紋そっくりのそれを掲げる手あいはいる。ストラ市の法律は、家紋盗用に情けをかけない。
「そこまでは気づかなかったな」
コーダーは、自発的に落ち度を認めた。
「いや、ますます忠告が重みを持ったよ」
最低でも、コーダーとアコーの安全は保証せねばならない。それが、自分の義務だ。
「なら、仕事を果たせばよんどころない方々に顔が売れますね」
「果たせばな」
アコーの楽観論を軽くいなし、窓から外を眺めた。五番桟橋……べロープのたちあいでレッタの依頼をこなした場所……をすぎさり、海を背にして街の中央へ。
さっきまでは中流区だった。小さな窓を備えた、二階建ての家がやたらにひしめいていた。




