十、食事の誘い 二
どうせ、政治力学とやらの都合で判断したのだろう。『ともにストラ市の将来のために力を尽くそうではありませんか』とは、白けた茶番だ。
おまけに、肝心なことは何一つ不明瞭。参事会の誰が画策したのか判明しない限り、解決のしようがない。個人的なことをいわせてもらうなら、自分への報酬もあやふやといわざるを得ない。税金の取りきめなど、あとからいくらでも反故にできるのだから。
いっそ破りすててやりたいくらいなのを、辛うじて耐えているのは、書状そのものが客観的な証拠になるからだ。ミラー本人の署名に、家紋印も押されている。まさか、偽物でだましているはずがない。だますのならこんな回りくどいことはしない。
『すぐに返事を書くべきよ』
レッタの忠告にも、素直にはうなずけなかった。
『しばらく休みたいです』
『引きのばすほど、あなたにもパニーにも不利になるわよ』
『そんなのわかってますよ!』
居候の残留思念に、そこまで干渉されたくはない。
『ごめんなさい、余計なお世話だったわね』
レッタはそれっきり黙った。
こんな時、コーダーやアコーなら飲んで寝るのだろう。あいにく、自分に飲酒の習慣はない。
手紙を机に置いたまま、ベッドに寝転がり、薄オレンジ色の天井を眺めた。パニーと暮らした、無邪気で尊い日々の一コマ一コマが脳裏に蘇っては消えた。
川遊びをしていて、彼女から血のつながりがないことを聞いて以来。遠慮しつつも、より深く彼女を知ろうとし始めた。服の好み、食べ物の好み、本の好み……。
そういえば。
彼女はどうだったのだろう。自分のことを、知ろうとしてくれていたのだろうか。あるいは遠慮していたのだろうか。
彼女は母親を、自分は父親を、早くに亡くした。残った親同士が結婚して義兄妹となったが、互いの義親がまた、結婚後に事故で死んだ。
今の店を半年前に開くまで、二人で支えあって生きてきた。パニーは慈善院の介添として。自分は自由雇いの代書人として。
そう、パニーは自分の幸せより他人のそれを優先して考える人間だった。だからといって滅私奉公する人間ではなかった。いくら本人が志願したからといって、政治家のコマになっていい理由は一つもない。
ならば、まずはミラーを非難すべきか。他に感情の持っていきようがないし、少なくとも参事会員として市民に責任を取る立場ではある。
だが。ミラーが恐れいって謝罪したとして、それからどうする。まあ、補償なり慰謝料なりは請求するとしても……。リネットを殺すなり無力化するなりしないと、根本的な解決にならない。
しかも、パニーが回復したら、ふたたびこの件に介入するのは避けられない。
そこまで考えを煮つめて、嫌でも直視せねばならない課題が一つ明確になった。自分がリネットと会う必要性が、否定できない。いや、ミラーが言葉巧みにそう仕むけることは、むしろ必然だ。
そうなったら、衛兵を何人つけてもらってもほとんど意味がない。それでどうにかなる相手なら、ここまで事態が深刻にはなってない。ただ、今朝会った衛兵隊長のハーモ……彼なら、別格に頼りになりそうだ。
ハーモに全てを打ちあけて、『善処』を期待するのか? それはまずい。衛兵は、参事会の下部組織にすぎないのだから。
つらつら考えていると、ようやくまぶたが重くなってきた。欠伸を一つして、そのまま眠った。
目が覚めると、真夜中だった。悩みとは関係なく腹が減る。ぼさぼさの髪を整える間もなく、簡単な食事をすませた。蒸し風呂は、貧民区を通ったあとながら、面倒なので朝まで伸ばすことにする。
それより、ミラーの手紙にどうむきあうか。商売でも礼儀でも、無視は論外だ。応じるか断るか。決めねばならない。
コーダーやアコーに相談することも考えたが、回答はすぐに想像がついた。前者は、『好きにやってくれ』、後者は『お金になるなら何でもいいです』。
二人とも、充分に有能であり、パニーとは異なる意味で大事な仲間だ。しかし、自分は経営者であり、店に関する決断と責任は、自分だけが負わねばならない。コーダーの表現を一部拝借するなら、『大将』は常に孤独である。
パニーなら、その孤独を癒してくれる。そこは、確信している。
孤独……。レッタを裏切り、彼女の夢の中でメッタ刺しにされたペンドルも孤独なのだろうか。
いや、下らない感傷より現実だ。参事会員は、誰もが強い権力を持っている。自分がいくら知恵を絞ろうと機敏にたちまわろうと、たかがしれている。
その参事会員も、外圧があれば。権力とはいわず、莫大な富を背景とした外圧が……。
不意に気づいた。ペンドルとの伝手を獲得する、重要な機会ではないのか。
『そんな汚らわしい接触は許さないわ!』
『あなたは残留思念なんですから、おとなしくして下さい』
パニーにかかわることなら、必要に応じていくらでも冷淡になれる。
『ペンドルのやり方は、もう知っているでしょう! 自分の利益のためなら、平気で人を裏切る奴よ!』
『それをいうならミラーも似たようなものでしょう』
『ミラーはまだこの街だけの範ちゅう。ペンドルは、よその国の人間なのよ!』
『生死をともにするつもりはないですよ』
『そういう問題じゃないのよ!』
『そろそろ静かにして下さい』
意外にも、レッタは簡単に口を閉ざした。
いつの間にか、雨が降っていた。窓は寝る前から閉めているので、濡れる心配はない。
雨が路面や屋根を叩く音をぼんやりと聞きながら、ミラーにどう回答するかを模索した。
自分自身のことだけを考えるなら、即座に承諾だろう。問題は、リネットよりも、政治家同士の勢力争いに加わってしまうことだ。極端な話、死ぬまでつきまとう。




