第七話 『あー暇やな、せや、盗聴するか』
「あー……ミラクルコスモスのアニメ、全部見終わっちゃった。暇だなー」
私は自室の指定席で、ストローを咥えてミルクティーを啜りながら、マルチモニターの片隅に映る時計を眺めた。
偽物の『K』たちを一掃する大掃除を終えたばかりで、ネットの世界は驚くほど静かだ。
「そうだ。暇な時って言えば……昔、お笑いのコントで『あー暇やな、盗聴するか』って言ってた人気芸能人がいたわよね」
天才ハッカーたるもの、先人のユーモアからは学ぶべきだ。
私は暇つぶしの「人間観察」と称して、キーボードに手を置いた。
ターゲットは決まっている。先日、学校で痛いところを晒していた偽物『K』の筆頭、権田原くんだ。
彼のアカウントを消し飛ばした際のバックドアがまだ生きている。
「さてさて、痛い目を見てちゃんと反省してるかしら?」
タンッ、とエンターキーを叩き、マイクの音声を拾う。
すると、スピーカーから聞こえてきたのは、予想以上に悲痛な泣き声だった。
『うぅっ、ぐすっ……俺の、俺のデータが……! 武器も、歴史も、全部消えちまった……!』
『落ち着きたまえ、権田原くん』
権田原くんの嗚咽に答えたのは、知的で冷静な声だった。
あれ? この声、高校生探偵の西園寺先輩じゃない?
どうやら権田原くんは、ショックのあまり『K』を追っているという西園寺先輩に泣きついているらしい。
『俺は……俺はただ、ネットでチヤホヤされて、ちょっと目立ちたかっただけなんだよぉ……!』
『ああ、その気持ちはわかるとも。だが、君のSNSの書き込みも、デバイスの中身も、全てが文字通り「無」に還った。Kのネット空間における制圧は、確かに容赦がない』
西園寺先輩が、気遣いながらも事実を告げる。
ふふん、その通りよ。私の名を騙った罪は重いんだから。
『だがね、権田原くん。よく考えてみてくれ』
『……え?』
『『K』は、君のデータを消し去ったが……現実世界で君を物理的に攻撃したり、傷害事件を起こしたりはしていないだろう?』
スピーカー越しの西園寺先輩の声が、少しだけ優しくなったように聞こえた。
『『K』は恐ろしいハッカーだが、現実の他者を傷つけることは決してしない。ある意味では、確固たる「一線」を弁えている人物だと僕は見ている』
『先輩……』
『これを機に、君もネットの海に漂っていた「黒歴史」の清算ができたと思えばいい。デバイスから少し離れて、現実で新しい一歩を踏み出してみてもいいんじゃないか?』
権田原くんの泣き声が、少しずつ止んでいく。
一方、それを盗み聞きしていた私は、モニターの前でうんうんと深く頷いていた。
なーんだ、あの探偵ってば、案外わかってるじゃない!そうよ、私はネットじゃ無敵だけど、リアルじゃ絶対安全な無害系女子高生なんだから!
私はミルクティーをゴクリと飲み込み、ご機嫌でキーボードを叩いた。
せっかく彼がネット依存から脱却して、現実で頑張ろうとしているんだ。ここは、ハッカーとして……いや、彼に引導を渡した『K』として、ちょっとだけ背中を押してあげようじゃないか。
「えーっと、メッセージは……よし、これでいいわね」
私は、権田原くんのスマホに強制的にポップアップするよう、匿名のショートメッセージを送信した。
『――今度は人の名前を騙らず、自分の力で歩いて。『K』』
「ふふっ。完璧なタイミングでの神アドバイス! これであの目立ちたがり屋も、現実で一歩を踏み出せるわね!」
私は「一日一善を成し遂げた」という清々しい気分になり、盗聴のウィンドウを閉じた。
さて、良いこともしたし、そろそろ次の盗聴先の選定でもするかな。
――一方その頃。
ファミレスの席で西園寺の言葉に涙を拭っていた権田原のスマホが、ピロン、と短い通知音を鳴らした。
「ん……? メール……?」
権田原が何気なく画面に目を落とした瞬間。
彼の顔から、スッと血の気が引いた。
「さ、西園寺先輩っ! こ、これ……!!」
「どうしたんだい? そんなに慌てて……」
西園寺は、権田原が震える手で差し出してきたスマホの画面を覗き込んだ。
そこに表示されていたのは、たった今送信されてきたばかりの一文。
『――今度は人の名前を騙らず、自分の力で歩いて。『K』』
「なっ……!!」
西園寺は息を呑み、周囲を鋭く見回した。
ファミレスの店内。平日の夕方で客はまばらだ。周囲の席には誰もいない。
盗聴器か? いや、僕の探偵としての警戒網を掻き潜って、生身の人間が近づけるはずがない。
(今、この瞬間の会話を……聞いていたというのか!?)
西園寺の背筋に、冷たい汗が流れた。
偶然のタイミングではない。
明確に、先ほどの「現実で新しい一歩を踏み出してみてもいいんじゃないか?」という自分の言葉への、直接的なアンサーだ。
(『K』情報網は一体どうなっているんだ……。監視カメラ、マイク、個人のデバイス……全てがKの耳に繋がり、血管のように張り巡らされているとでもいうのか?)
姿なき支配者の、底知れぬネットワーク。
その闇の深さに探偵は戦慄を抱いたのだった。
「さてさて、次は……と。あ、あの時の大学生たちがいいわね」
私はマウスを操作し、今度は中央公園で遭遇した現代風刺研究会の面々のスマホをバックドアから覗き見た。
『部長! 本当にこれでいいんですか!? 掲示板であんな「釣り宣言」をさせられて、俺たちは一生《K》の言いなりなんですか!?』
スピーカーから聞こえてきたのは、部員の一人が部長に詰め寄る熱い怒鳴り声だった。
『俺たちは社会を良くするために、真実を暴こうと頑張ってきたんじゃないんですか! このままじゃ俺たちのプライドが……!』
『葛藤はわかる。……だが、あの「警告」を無視して無事でいられる保証はないんだ』
部長の声には、苦渋の色が混じっていた。
『……でも、やはり諦めきれない。鳥が本当はドローンだなんて、今は誰も信じてくれないかもしれない。だが、もう一度だけ挑戦しよう。
今度は、鳥に紛れた監視ドローンを直接「鹵獲」するんだ。実物さえ手に入れば、世間も重い腰を上げるはずだ!』
『部長……! よし、やりましょう!』
画面の向こうで、彼らはさらに結束を強め、無謀な作戦に身を投じようとしていた。
それを聞いていた私は、思わず口に含んでいたミルクティーを吹き出しそうになった。
「な、なによこの大学生たち。ホントに私より年上なの!?」
あまりのバカバカしさに、私は頭痛すら感じてきた。
彼らの言う「鹵獲」なんて、要は公園のハトを網で捕まえるだけだろう。
そんなことをして警察に突き出されでもしたら、彼らの大事な大学生活は一巻の終わりだ。
「こんなバカなこと考えて……私のせいで彼らの将来を狂わせるわけにはいかない……!ハッカーとして、……いや、一人の慈悲深い女子高生として、真実を教えてあげなきゃ!」
私は彼らの無謀な「青春」を止めるべく、部長のスマホに再び匿名でメッセージを送りつけた。
『――鳥は全て生き物です。監視などあり得ません。繰り返します、鳥は全て生き物です。一次情報を確認しなさい。『K』』
「ふぅ、これで大丈夫ね。あんな変な陰謀論からは卒業して、ちゃんと単位を取るために頑張るのよ、お兄さんたち!」
私は満足げに頷くと、大学生たちの通信を遮断し、さらなる暇つぶしを求めて次の獲物を探し始めた。
――その頃。
密談をしていた大学生たちの間には、絶望的な沈黙が流れていた。
部長のスマホに届いた一文を全員で覗き込み、彼らはガタガタと震え出した。
「だ、駄目だ……。『K』には、全てお見通しなんだ……!」
部長が、力なくその場に膝をついた。
「この場所も、今交わしたばかりの会話ですらも……。俺たちが何をしようとしているか、Kはリアルタイムで把握している。……いや、もしかすると、俺たちの思考そのものが読み取られているのかもしれない」
「……部長。もう、この事はなかったことにしましょう。大学生の俺たちにできることなんて、たかが知れていたんだ……」
彼らの燃え上がっていた革命の火は、Kという巨大な存在への恐怖によって、一瞬にして消し止められた。
彼らは「Kの監視」から逃れるように、足早に解散していった。彼らが二度と、公園のハトを狙うことはないだろう。
「さてさて、次は誰の秘密を覗いてやろうかしら……。あ、そうだ!」
私はモニターの前で、悪戯っぽく口角を上げた。
脳裏に浮かんだのは、紺色のジャージとはち切れんばかりの筋肉。
そして、私の平穏な引きこもりライフを物理的に脅かす天敵――生活指導の鬼教師、剛田先生だ。
「いつもいつも偉そうに説教してくるけど、あんな暑苦しい脳筋教師だって、裏では何かコソコソやってるに違いないわ!
例えば深夜にこっそりアイドルの配信を見てるとか、恥ずかしいポエムを書いてるとか……。絶対、弱みを握ってやる!」
私は意気揚々とキーボードを叩き、学校の職員データベースを経由して、剛田先生の私物スマホへとハッキングを仕掛けた。
セキュリティは甘々だ。あっという間にマイクの権限を奪い、音声を拾い上げる。
「ふふふ。さあ、あなたの黒歴史を聞かせて……」
スピーカーから流れてくるのは、静寂。どうやら自室に一人でいるらしい。
紙をめくるような微かな音だけが聞こえてくる。
テストの採点でもしているのだろうか。
『……む?』
突然、スピーカー越しに、低く唸るような声が聞こえた。
「えっ? 何? どうしたの?」
私がスピーカーに顔を近づけた、次の瞬間。
『誰だ!! 貴様、そこから俺を見ているなァァァッ!!』
「ひぇっ!?」
鼓膜を突き破らんばかりの剛田先生の大音声が、部屋中に響き渡った。
私はビクッと体を跳ねさせ、持っていたミルクティーのパックを落としそうになった。
「ば、バレてる!? なんで!? スマホのカメラは起動してないし、マイクだけなのに! そもそもネットワーク越しのハッキングを、気配とか気合で察知されたっていうの!?」
『そこかァァ! 俺の燃え盛るソウルは誤魔化せんぞォォォ!!』
「ひえぇぇぇ!! ごめんなさぁい!!」
画面の向こうから、剛田先生がスマホごと私を物理的に掴みかかってきそうな異常なプレッシャーを感じ、私は半狂乱でエンターキーを連打し、強制的に通信を切断した。
プツッ。
スピーカーが沈黙し、自室に静寂が戻る。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
早鐘のように激しく打つ心臓を押さえながら、私はモニターの前でへたり込んだ。
冷や汗が止まらない。
「な、なんなのよあの化け物教師……! どうなってるのよ! デジタルの壁を野生の勘で越えてくるとか、化け物じゃないの……!」
ハッカーとしての私の常識が、筋肉と気合の前に完全敗北した瞬間だった。
これ以上、あの領域に踏み込んではいけない。命の危険を感じる。
「……もういい。盗聴はもう終わり! 今日はもう寝る!」
私は震える手でPCをシャットダウンすると、逃げるようにクローゼットへ向かい、部屋着用の制服から、パジャマ用の制服に着替えた。
そして、ベッドに飛び込み、頭までしっかりと布団を被って丸くなるのだった。
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R・D




