第九話 自宅特定!? ハッカーvs探偵の玄関先攻防戦
私は飢えていた。
時刻は20時05分。
リビングのソファで、私はスマホの画面を睨みつけていた。
画面の中では、デリバリーアプリの地図上で、配達員のアイコンが迷子の子犬のようにウロウロしている。
「……遅い」
注文したのは『ギガ・チーズ・ボルケーノ(Lサイズ)』
たまにはピザにコーラというジャンクフードのテンプレな食べ合わせをしたいと思って頼んだ……わけなんだけど。
予定時刻を三十分も過ぎている。
ここ北市の路地が複雑なのは分かるけど、ナビ通りに来れば着くでしょうに。
私はイライラしながら、天井を見上げた。
エアコンの風が心地よい。
……そういえば、最近ちょっと電気を使いすぎかな?
壁一面のモニター9枚に、魔改造PC、そしてエアコン3台フル稼働。
私の聖域の維持費は上がっていく一方だ。
「はあ……、バグバウンティ、本格的に参入しようかなあ…」
ピンポーン。
物思いに耽っている私の耳に、チャイムが鳴り響いた。
「やっと来た!」
私は弾かれたように立ち上がり、考えていたことをその辺に捨てると、玄関へとダッシュした。
チーズが固まる前に回収しなきゃ!
ガチャリ。
私は鍵を開けたが、ドアは全開にしなかった。
「ドアチェーン」これが私のATフィールドだ。
リアルの接触は最低限に抑える。それが引きこもりの、そしてハッカーの流儀。
数センチの隙間から、私は顔を覗かせた。
「……遅いんですけど」
第一声は、当然のクレームだ。
しかし、ドアの向こうに立っていた配達員は、なぜかビクッと体を震わせた。
「……ッ!」
暗くてよく見えないけど……なにこの格好?
制服の上にトレンチコート?
最近のフードデリバリーって、そんなオシャレな格好で配達するの?
しかも、なんか顔色が悪くて、脂汗をかいている。新人さんかな?
「……僕がここに来る時間を、計算済みだったというのか」
男が、重い声で言った。
中二病みたいな喋り方だ。
「はぁ? 当たり前でしょ。ずっと待ってたんだから」
私は不機嫌に返した。
アプリのGPSでずっと監視してたんだよ。あんたが角を曲がり損ねたのもお見通しだ。
「……恐ろしいな。僕の追跡さえも、君の掌の上か」
「言い訳はいいから。で、ブツは?」
私は隙間から手を突き出し、指をクイクイと動かした。
早くピザをよこせ。レシートもだ。
すると男は、私の手と、私の格好――ダルダルに着崩したシャツをジロジロ見て、なぜか戦慄したような顔をした。
「……ここで、取引をする気か?」
「はい?」
「玄関先で堂々と? 警察が周囲を包囲しているかもしれないのに、リスキーすぎるとは思わないのか」
「なわけないでしょ。ここ、オートロックよ?」
何を言っているんだこいつは。
部外者が勝手に入れるわけがない。
管理人のお爺ちゃんが毎日掃除してくれてるんだから、不審者なんて即通報よ。
「……そうか。管理システムごと掌握済みか」
男はブツブツと意味不明な独り言を言っている。
……ダメだ。こいつ、話が通じないタイプだ。
しかも、肝心の商品を出そうとしない。
そこで、私は最悪の可能性に思い至った。
まさか、こいつ……保温バッグを使ってないんじゃ?
「まさか、冷めてるんじゃないでしょうね?」
私が一番恐れているのはそこだ。
冷めたチーズほど悲しいものはない。
偉い人を冷めたピザと揶揄したら、冷めピが流行語になったぐらいに、冷めたピザは不味いのだ。
その言葉を聞いた瞬間、男の顔色が蒼白になった。
「冷めてる……? 僕の、この命懸けの捜査熱を、嘲笑っているのか……!」
「はぁ? あんたの情熱とかどうでもいいんだけど」
私は深いため息をついた。
出たよ。
麺が伸びるのを『熟成』とか言い張るラーメン屋と同じ、意識高い系の面倒くさいタイプだ。
もういい。ピザさえ受け取れればそれでいい。
「もういいから。ここに置いて」
私は掌を広げた。
男はゴクリと唾を飲み込み、懐に手を入れた。
遅い。動作がいちいち遅い。
「何でもいいから早くして!」
その時だった。
「す、すいませーん! 遅れましたー!」
廊下の奥から、ドタドタという足音と共に、赤いユニフォームを着た配達員が走ってきた。
手には、湯気を立てるピザの箱。
「えっ?」
私は呆気にとられた。
え、こっちが本物?
じゃあ、目の前にいるこのコートの男は誰?
……あ。
よく見たら、こいつ学校にいた探偵じゃん。
えっ……!? なんで家がバレてるの!?
心臓が跳ね上がった。
もしかして正体かバレた? それともドローンの件?
都市伝説の噂のせいかも!?
私は瞬時に思考を切り替えた。
とにかく、この場を乗り切るのが最優先だ。
「あっ、ピザだ」
私は努めて冷静を装い、隙間から配達員に指示した。
「はいはい、ご苦労さま。ここ置いといて」
そして、目の前に立ち尽くす西園寺先輩に向かって、拒絶の言葉を言い放つ。
帰れ。私の聖域に近づくな。
「アンタ、邪魔だからどいて」
バタン!
私は無慈悲にドアを閉めた。
………ふぅ
一度深呼吸をして落ち着いてから、チェーンはそのままで、再びドアを数センチ開ける。
隙間から、ピザの箱を無理やり引きずり込む。
「よし、回収完了」
私はドアを閉めようとした。
だが、その時。
「待て!」
ガッ!
革靴のつま先が、ドアの隙間にねじ込まれた。
「なっ……! 何すんのよ! 通報するわよ!」
「見せてもらうぞ、その部屋の『真実』を!」
彼は私の抵抗を無視し、不法侵入スレスレで隙間から強引に顔を近づけ、薄暗い室内を覗き込んだ。
ヤバい! 見られる!
私のプライベート空間が! 趣味丸出しの部屋が!
彼の視線が、私の聖域を捉える。
壁一面の9枚のマルチモニター。
そこには、今季起眞市が舞台となったアニメ『魔法少女ミラクル・コスモス』の同時多重再生画面と流れる実況ログ。
そして、部屋の奥のホワイトボード。
そこには、私が徹夜で考察した『第12話の時空改変におけるタイムパラドックスの解法』と『コスモスちゃんの生き別れの兄 = 敵幹部のダークナイト説』という、魂の殴り書き。
見ないでぇぇぇ!
それは私の脳内そのものなのぉぉぉ!
ハッキングツールを見られるより恥ずかしい。
私は顔から火が出る思いだった。
「…………」
西園寺先輩は、数秒間固まった後、静かに足を引っ込めた。
その顔からは、さっきまでの険しい表情が消え失せ、なぜか「深い安堵」と「生温かい哀れみの色」が浮かんでいた。
「……なによ?なんか文句ある?」
「……違ったか」
彼が独り言を呟く。
「あの異常な電力消費量……。まさか『4Kアニメの同時多重録画』と『推しの変身シーンを高フレームレートで拝むための演算処理』だったとはな」
……え? なに勝手に納得してんの?
「不登校の原因も……単に『リアタイ視聴』と『考察』が忙しくて、学校に来る暇がないだけだったんだな」
いや、それもあるけど、基本はコミュ障だからなんだけど……。
「……残念な人だ」
「なっ!?」
彼は、私に向かって小さく敬礼した。
その目は、まるで雨に濡れた捨て猫を見るような、慈愛に満ちたものだった。
「だが、嫌いじゃないよ。その情熱は。邪魔をして悪かったね。……存分に浸りたまえ、君だけの世界に」
「はぁ?」
意味が分からない。
いきなり来て、勝手に部屋を見て、勝手に「可哀想な子」認定して帰ろうとしてる?
「ちょっと! 足どけてよ! ピザ冷めるじゃない!」
「……すまない。部屋の空気が……少し澱んでいたから、換気をしたほうがいいと思ってね」
「はぁ? 余計なお世話よ! 二度と来ないで!」
バタン!!
私は全力でドアを閉ざし、鍵を三つかけた。
【20:05 マンション廊下】
夜の帳が下りた高級マンションの廊下。
僕は、704号室の前に立ち尽くしていた。
手元のタブレットには、この部屋の異常な電力消費データが表示されている。
一般家庭でありながら、小さな工場並みの電力を消費する「熱源」
しかも、一切の隠蔽工作がなされていない、あまりにも無防備な垂れ流し。
「……大胆不敵なのか、それとも隠す必要すらないという傲慢さか」
僕は、この部屋こそが都市伝説のハッカー『K』のアジトだと確信していた。
スーパーコンピューター級のサーバー群が、ここで唸りを上げているに違いない。
だが、問題は表札だ。
『秋月 結菜』
先日、学校で遭遇した無気力な女子生徒――秋月結菜。
僕のプロファイリングでは、彼女はKとは対極にある「無害な一般人」だったはずだ。
なぜ、彼女の家が?
「……確かめねば」
彼女が『K』の手先なのか、あるいは人質なのか。
真実を暴くのが探偵の使命だ。僕は震える指でインターホンを押した。
ピンポーン。
数秒後。ガチャリと錠が外れる音がした。
だが、ドアは数センチしか開かない。
ドアチェーン。物理的な拒絶の鎖だ。
「……遅いんですけど」
隙間から顔を覗かせたのは、紛れもなく秋月結菜だった。
だが、その姿に僕は戦慄した。
制服を着ているが、ひどく着崩されている。
第2ボタンまで開け放たれたシャツ。
極限まで緊張感を欠いた、堕落しきった格好。
……これが、彼女の本性か?
学校での「無気力」は演技だったのか?
あるいは、『K』による過酷な労働、サーバー管理等で、身なりを構う余裕すら奪われているのか?
「言い訳はいいから。で、ブツは?」
彼女は隙間から手を突き出した。
ブツ……! やはり、違法な取引か!
僕は動揺を隠し、カマをかけた。
「……ここで、取引をする気かい? リスキーすぎないか」
「なわけないでしょ。ここ、オートロックよ?」
彼女は鼻で笑った。
「マンションごと支配下に置いている」と言わんばかりの自信。
やはり、ここは『K』の城なのか。
そこへ、彼女が決定的な言葉を口にする。
「まさか、冷めてるんじゃないでしょうね?」
僕の顔色から、血の気が引いた。
冷めてる……? まさか……!
パズルのピースがハマる。
厳重な警戒。直接の受け渡し。そして「冷めているか」という確認。
中身は、『極低温状態で保存しなければならない、不安定な物質』だ。
常温になれば暴走するナノマシンか、あるいは超伝導量子チップか。
それとも、僕の捜査を無駄だと、嘲笑っているのか!?
「……僕の、この命懸けの捜査熱を、嘲笑っているのか……!」
「はぁ? あんたの情熱とかどうでもいいんだけど」
彼女は冷たく言い放つ。
その瞳には、一切の感情がない。完全にKの闇に染まっているのか。
「もういいから。ここに置いて」
彼女は掌を広げた。
絶望した。僕は、このまま彼女に屈するしかないのか――。
その時だった。
「す、すいませーん! 遅れましたー!」
廊下の奥から、本物の配達員が走ってきた。
手には、四角い箱。
「あっ、ピザだ」
彼女は表情を一変させ、配達員から箱を受け取った。
そして、僕に向かって冷たく言い放つ。
「アンタ、邪魔だからどいて」
バタン!
ドアが閉められようとする。
逃がすものか!
僕は反射的に動いた。
もし彼女が『K』なら、その部屋の中には決定的な証拠があるはずだ。
僕は革靴のつま先を、ドアの隙間にねじ込んだ。
「待て!」
「なっ……! 何すんのよ! 通報するわよ!」
「見せてもらうぞ、その部屋の『真実』を!」
僕は彼女の抵抗を無視し、隙間から強引に顔を近づけ、薄暗い室内を覗き込んだ。
Kの司令室。サイバー犯罪の温床。
その全貌を、この目で暴くために。
僕の視線が、室内を捉える。
――そして、僕は言葉を失った。
そこにあったのは、壁一面を埋め尽くす9枚のマルチモニター。
やはり、監視ルームか?
いや、違う。
モニターA: ピンク色の髪の少女が、ステッキを振って変身している映像。
モニターB: 同じ少女が、血まみれで絶望している別アングルの映像。
モニターC: 高速で流れる実況掲示板のログ。
「……アニメ?」
僕は呆気にとられた。
映し出されていたのは、今季、ここ北市とコラボして舞台になっている話題のアニメ『魔法少女ミラクル・コスモス』だ。
さらに、部屋の奥にある巨大なホワイトボード。
そこには、複雑怪奇な相関図や、数式のようなものがびっしりと書き込まれている。
何かの計画図か?
僕は目を凝らした。そこには赤いマーカーでこう殴り書きされていた。
『考察:第12話の時空改変におけるタイムパラドックスの解法』
『コスモスちゃんの生き別れの兄 = 敵幹部のダークナイト説』
「…………」
僕は、静かに足を引っ込めた。
張り詰めていた糸が切れ、肩から力が抜けていくのを感じた。
……違ったか
僕の脳内で、推論が再構築されていく。
あの異常な電力消費の原因。
それは軍事用サーバーの稼働音ではなく「高画質アニメの同時多重録画」と「推しの輝きをフレーム単位で解析するための、所謂スーパーオタクが持つような無駄にハイスペックなGPU」によるものだったのだ。
もし彼女が『K』ほどのハッカーなら、アニメの先の展開を知りたければ、制作会社をハッキングして脚本データを盗み見れば済む話だ。
だが、彼女はホワイトボードを使って、公開された情報のみを頼りに「アナログな考察」に没頭している。
これは、「情報を持たざる者、一般のファン」の行動に他ならない。
さらに言えば、Kなら電力消費データくらい完璧に偽装するはずだ。
こんなに堂々と電気を垂れ流しているのは、彼女が隠す気すらない、やましいことのないであろう一般人である何よりの証拠だ。
……なんだ。ただの、重度のオタクか。
僕の中で、一瞬上がっていた秋月結菜への警戒レベルが「SS」から「E-(無害な引きこもり)」へと急降下した。
「ちょっと! 足どけてよ! ピザ冷めるじゃない!」
彼女がわめいている。
手にあるのは危険物ではない。ただのピザだ。
「冷めてる」というのは、純粋にチーズの温度を心配していただけだったのか。
「……すまない。部屋の空気が……少し澱んでいたから、換気をしたほうがいいと思ってね」
僕は苦しい言い訳をして、ドアから離れた。
「はぁ? 余計なお世話よ! 二度と来ないで!」
廊下に残された僕は、閉ざされたドアを見つめ、深く、長いため息をついた。
「ふふっ……」
自然と、笑みがこぼれた。
ホワイトボードに書かれていた、狂気じみた考察の数々。
あれだけの知性と熱量を、現実世界ではなく、架空の魔法少女に注ぎ込んでいるのだ。
不登校の原因も、Kの監禁などではなかった。
単に『リアタイ視聴』と『考察』が忙しくて、学校に来る暇がないだけだったんだな。
そう思うと、先ほどの不機嫌な態度も、部屋着としての制服も、すべてが腑に落ちる。
彼女は、この過酷な現実社会に馴染めず、モニターの中に自分だけの楽園を築いて引きこもっている、不器用で孤独な少女なのだ。
「……残念な人だ」
僕は小さく敬礼した。
その眼差しには、もはや敵意はない。あるのは、生温かい憐憫だけだ。
「だが、嫌いじゃないよ。その情熱は。邪魔をして悪かったね。……存分に浸りたまえ、君だけの世界に」
西園寺は、まるで雨に濡れた捨て猫を見守るような目で704号室を一瞥すると、軽やかな足取りで廊下を去っていった。
彼女はシロだ。それも、真っ白だ。
この残念なオタク少女の平穏が、Kのような悪党に脅かされないよう、僕が影から見守ってあげよう。
そんな、少しばかりのお節介を胸に抱きながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」「この先の展開に期待したい!」と思っていただけましたら、
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R・D




