第十話 北市
それは、私がまだ『K』と呼ばれるようになる前。
受験が終わってすぐのことだ。
私はある日、悟った。
「一流のハッカーになるためには、英語力が不可欠だ」と。
理由は簡単、どんだけ頑張って企業の論文をチラ見しようと、大抵の論文が英語だったのだ。
翻訳ソフトを使えばいいと思うかもしれないけど当時の翻訳ソフトでは、あまり信頼性の高い資料には変換できなかった。
おかげで『積みゲー』ならぬ『積み論文』がファイル内に溢れている。
そんな背景もあり、私は文系科目を全て捨て、睡眠時間を削り、狂ったように英語を習得した。
その結果、わずか一年で日常会話レベルの語学力を手に入れた。
――だが、私直面したのは、知識ゆえの絶望だった。
ある夜。
私は愛用していたハンドルネーム『 Fallen-Moon-Last-Garden 』を、ネイティブな感覚で脳内翻訳した。
中学生の私はというと。
「『Fallen-Moon』これは私の苗字『秋月』が由来よ『秋(Fall)』をあえて受動態にすることで、天界から堕ちた月……つまり『反逆の堕天使』のようなアンニュイさを表現しているの。
そして『Last-Garden』これは『結菜』起承転結でいう『結』と『菜』 電子の海という荒野に残された、『選ばれし者だけが辿り着ける最後の聖域』……。
どう? 震えるほど詩的でしょ?」
我ながら耽美な意味だ、中学生の頃はそう思ってた。
だが、正しいニュアンスはこうだ。
『Fallen Moon』= 物理的に墜落した月。
『Last Garden』= 人類に残された最後の家庭菜園。
つまり直訳すると『月が墜落して文明が滅んだ世界で、生き残った人類が食いつなぐための、最後の家庭菜園』
「……どこの終末世界農家よ!」
私はベッドの上でのたうち回った。
以来、私はこの名前を表だって使うことは少なくなり、北市に引っ越してきてからは心機一転『K』と名乗るようになった。
だが、数年も使っていると、この哀愁漂う響きに妙な愛着が湧いてしまっているのも事実。
何より、この名前と共に戦ってきた「彼ら」との縁は、切っても切れないのだ。
私は回想を振り払い、自宅のPCモニターに向き直った。
画面には、高度に暗号化されたチャットウィンドウが開いている。
[Chat Log]
Fallen-Moon-Last-Garden:『ドローン大破した、新しいの作って』
Iscariot:『あ? またかよ「終わりの野菜畑」ちゃん。最近「くろいの」を納品したばっかだろ、……名前なんとかならなかったのか?』
……殺す。私は殺意を込めてキーボードを叩いた。
Fallen-Moon-Last-Garden:『うるさいわねユダ! その名前で呼ぶな! ……いや、呼んでもいいけど、もっと敬意を込めなさいよ』
彼のHNは『イスカリオテ』通称、ユダ。
かつて私が住んでいた街で、古びたジャンク屋「リサイクル・リユースショップ」を営んでいる男だ。
30代半ばの、無精髭を生やした気だるげな男。
駅前の一等地にあるのに客がゼロの店内で、死んだような目でハンダごてを握っている。
中学生だった私は、本気で「ここはヤクザの武器庫か、マネーロンダリングの拠点に違いない」と疑って通っていたものだ。
だが、実態は違った。
彼は元々、一流企業のエース営業マンだったらしい。
しかし、会社の利益至上主義によって粗悪品を売らされることに耐えられず、上司を殴って退職したという、筋金入りの職人気質だ。
名前は「裏切り者の代名詞、キリストを裏切ったイスカリオテのユダ」だし、態度はうさん臭い。
けれど不思議と、彼に裏切られたことは一度もない。
納期は絶対守るし、私の適当なオーダーからも完璧な答えを出してくる。
この信頼感があるから、私は彼に背中を預けられるのだ。
Iscariot:『で、注文は? また操作ミスか?』
Fallen-Moon-Last-Garden:『違うわよ! 黒すぎて目立ったから偵察ドローンには向かないと思ったの! 今度はもっと目立たない「白」にして!』
Iscariot:『白……雲に紛れる迷彩狙いか、悪くない。素材は軽量カーボン、塗装はマットホワイト。カメラは4Kでいいな? 見積もりは銀貨30枚だ』
私は送金処理をしながら、溜息をついた。
ハードウェアは彼に任せれば完璧だ。言い値で払うのも彼を信頼しているから。
―――それから数日後。
私が引っ越してきた、ここ北市は国が作った実験都市だ。
北市の周りはコンクリートの壁が作られていて、他の場所との通行を制限している。
物資の輸送は海を使い、海もまた基本は閉鎖され、漁業免許保持者しか海に出ることはできない。
おかげでAamzonの即日配達が使えずに不便極まりない。
この北市はかなり高い精度で孤島化を実現している。
なんでも社会実験を行っているらしいんだけど、私はまだどんな社会実験なのか突き止められずにいた。
「……うーん、政府のデータベースとか、協賛してる会社は殆ど当たったけど実験のデータだけが出てこない……、どこに隠してあるんだろう」
そんな独り言をつぶやきながら、その実験データの隠し場所を考えていると。
――ピンポーン
玄関のチャイムがなった、なんだろう?なにか注文したっけ?
「はいはーい」
私は玄関を開けるとそこには、私がここに引っ越すと決めた時についでについてきた物好きの内の一人が立っていた。
「なんだユダじゃない、スペアキー渡してるんだから勝手に入ってきてよ、わざわざ開けるの面倒なんだから」
私は、ここに越してくる時に一緒についてきた仲間達には、この家のスペアキーを預けていた。
わざわざ対応するの面倒だし、用があれば入ってきて、用が終われば勝手に帰る、そしてちゃんと鍵をかけて帰ってもらう。
そう考えてたのに、だれもスペアキーを使わずにチャイムを使うんだから、面倒くさいったらありゃしない。
「元気そうだな野菜畑ちゃん」
ユダは相変わらず、昔の名前でからかってくる。
「その名前で呼ぶなら、もっと敬意を込めていいなさいよっ!この裏切り者!」
この軽口の言い合いも挨拶みたいなものだ。
「それで?わざわざ来てなんなのよ?」
私はユダを自室に押し込むと、指定席に座ってから用件を聞き出す。
「わざわざ来てやったのは納品だよ、お前が壊したドローンの改良版だ」
そういって、抱えていた段ボールを床に置き中身を取り出す。
「へぇ、よくできたドローンじゃない、まるで本物の鳥みたいね」
そのドローンは白く塗装され、本物と見間違えるような代物だった。
「羽ばたかねえけどな、その道のプロに見つかったらバレるだろうが、一般人にはまずバレないだろ、……なんの目的に使うかは知らんが大事に使えよ」
そういってユダは早々に私の城から引き上げていった。
「ちょっとー!鍵かけて帰りなさいよー!」
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R・D




