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黒い髪  作者: 八重


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27/32

前夜

一


その夜、メイリンは、大部屋の四人を、順に見回した。


「聞いてほしいことがあります」


消灯後の部屋に、蝋燭が一本だけ灯っていた。大牙が、寝台の上で正座している。文遠は本を閉じ、小燕は膝を抱え、厚山は壁にもたれていた。


「私の、本当の名は、秦明凛といいます」


声が、少し震えた。


「侯爵家の娘です。そして」


息を吸う。


「女です」


静寂が、落ちた。


「……は?」


大牙の声が、裏返った。


「え。女? 誰が」

「私が」

「秦明が」

「はい」

「女」

「はい」


大牙は、口を開けたまま、固まった。三呼吸ののち、ゆっくりと、文遠を見た。


「お前、知ってたのか」

「ずいぶん前からだ」

「小燕!」

「えへへ。割と早いうちから、そうかなって」

「厚山さん!」

「満月を二つ、数える前からだ」


大牙は、頭を抱えて、布団に突っ伏した。


「みんな、知ってたのか……! 俺だけ……!」

「だから、一生かかると言ったろう」と、文遠がぼそりと呟いた。


しばらく、布団の中で唸っていた大牙が、ふいに、むくりと起き上がった。


「待て。じゃあ、俺が、あの夜、告白したのは」

「男にじゃなくて、女の子に、だな」と、文遠。

「男でもいいって、腹をくくって言ったのに! 女の子だったのか!」


叫んでから、大牙は、顔を真っ赤にして、ぱたりと倒れた。


「俺、馬鹿だ……!『性別は関係ない』なんて、偉そうに……! 女の子に、あんな雑な告白を……!」

「大牙さん、落ち着いて」

「俺は、女の子を、弟分と呼んでいたのか……!」


苦しむ大牙の背を、小燕が、笑いをこらえて叩いている。メイリンは、胸の奥が、じんと熱くなった。


「大牙さん」

「……何だ」

「ごめんなさい。騙していて」


大牙は、しばらく黙っていた。それから、のそりと顔を上げた。目が、真っ赤だった。


「……殿下か」

「え」

「お前の、好きな人。殿下だろう」


メイリンは、答えられなかった。


「見てりゃ、わかる。殿下の隣にいる時の、お前の顔は、俺と話す時と違う」


大牙は、鼻をすすった。


「殿下になら、仕方ねえ。俺は、そんなに頭が良くない。でも、強い。お前を、守ることはできる」


ぐい、と袖で目をこすり、大牙は、拳を突き出した。


「俺は、お前の仲間だ。弟分でも、兄貴分でもいい。何でも言え。体力なら、任せろ」


涙が、こぼれた。


「……ありがとう」

「泣くな! 俺が泣きそうになる!」

「もう泣いてるよ」と、小燕が言って、みんなが笑った。


二


メイリンは、計画を、静かに話した。


明日、満月の夜の婚礼の儀。令嬢として戻り、黒幕を炙り出すこと。国師が、護衛に秦明を指名したこと。


「儀式の会場は、月見台の下の広場です」と、文遠が、紙に図を描いた。「通路は三本。見張りの配置は、俺が洗っておく」

「兵の動員は、俺がやる」と、厚山が低く言った。「古参に、衰弱で仲間を亡くした者が多い。あいつらは、黙っていない」

「僕は、伝令をやるよ。足は速いから」と、小燕。

「俺は、突撃だ!」と、大牙が胸を叩いた。


それぞれの役割が、紙の上で、ひとつの形になっていく。


メイリンは、その光景を、胸に刻んだ。この人たちを騙していた自分を、それでも、仲間と呼んでくれる。


(独りじゃ、ない)


蝋燭の炎が、静かに揺れていた。


三


同じ頃、王宮の庭の片隅で、清軒は、陸景炎を待っていた。


「呼び出しとは、珍しいな」


景炎は、疲れた顔で笑った。


「頼みがある、と言っていたが」

「ああ。……いや、頼みじゃない」


清軒は、まっすぐ友の目を見た。


「彼女は、生きている」


景炎の息が、止まった。


「明日の儀式で、会える。ただし、お前の前に立つ時、彼女は、お前の花嫁ではなく、一人の貴族の娘として立つ」

「……無事、なのか」

「ああ。無事だ。元気すぎるくらいだ」


景炎の目から、ぽろりと、涙が落ちた。


「よかった」


声が、掠れた。


「本当に、よかった」


肩を震わせる友を見て、清軒は、胸が潰れそうになった。


「景炎。俺は、お前に、謝らなければならない」

「何を」

「俺は、彼女を、好きだ」


沈黙があった。


景炎は、涙を拭って、ゆっくりと顔を上げた。それから、苦笑した。


「知っていたよ」

「何」

「あの日、お前の筆が止まって、紙に染みができた。あんな動揺するお前を、初めて見た」


清軒は、目を見開いた。


「彼女が、お前を選んだのなら、私は、何も言えない」


景炎は、静かに言った。


「ただ、彼女が笑っていてくれるなら、それでいい。あの夜、月の下で言ってくれた言葉が、私は、今も忘れられないんだ」

「景炎」

「だから、必ず、守れ。そして、泣かせるな」


清軒は、深く頭を下げた。


「約束する」

「それと」


景炎は、少しだけ悪戯っぽく笑った。


「全部終わったら、一度、酒を奢れ。お前の奢りで、潰れるまで飲む」

「……わかった」


二人は、並んで、夜空を見上げた。細い月が、満ちる日を待っていた。


四


決戦の前の夜。


メイリンは、父が用意した、黒髪の鬘を、鏡の前で手に取った。


「母上の、髪だ」


剛毅が、そっと告げた。


「亡くなる前に、お前のために残していた。魔力は宿らんが、せめて、お前の晴れ舞台に」


鏡の中には、腰まで届く黒髪をまとった、令嬢の姿があった。四か月前の自分と、同じ顔。けれど、目の奥の光だけが、違っていた。


「失礼する」


扉の向こうから、声がした。


「入っていいか」

「どうぞ」


扉が開いた瞬間、清軒の足が、止まった。


「……」

「どうしました」

「いや」


彼は、片手で口元を覆った。耳が、赤い。


「見惚れた」

「清軒様」

「正直に言っているだけだ」


ふい、と視線を逸らして、彼は、小さく笑った。


「長い髪も、綺麗だ。でも、お前の、短い髪も、好きだ」


メイリンは、くすりと笑った。


「どちらも、私です」

「ああ」


清軒は、メイリンの手首に巻かれた赤い紐を、じっと見つめた。


「それを、貸してくれ」

「……はい」


ほどいて渡すと、彼は、鬘の黒髪をひと房すくい上げた。あの夜と同じ慣れた手つきで、赤い紐を結んでいく。耳元に、息がかかるほどの距離だった。


「やっぱり似合う。黒に赤は、目を引く」

「……あの夜も、そう言いました」

「覚えていたか」


結び目を整えながら、彼の声が、少しだけ低くなった。


「この珠のことを、きちんと話していなかった」

「家に伝わる品、と」

「嘘ではない。ただ、王家が代々、伴侶に渡す品だ。内側に、紋が刻んである」


メイリンは、息を呑んだ。


「……知らなかった」

「知っていたら、受け取らなかっただろう」


珠を、灯りにかざす。細い線が、確かに見えた。月を抱く、翡翠。あの夜、揺れる灯りで確かめられなかった刻みが、今、はっきりと目に映る。


「返事は、全部終わってから、お前が決めてくれ。受け取るか、返すか」


メイリンは、しばらく、珠を見つめていた。それから、ゆっくりと、結ばれた紐に指先を添えた。


「……預かります」

「ああ」

「返事は、終わってから」

「待っている」


窓の外に、ほとんど丸い月が、浮かんでいた。


「怖いか」

「はい」

「俺もだ」


清軒は、メイリンの手を、そっと握った。その指先は、わずかに冷たかった。


「でも、一緒なら、行ける気がする」

「……はい」


手の温もりを、確かめるように、強く握り返す。


明日、満月が昇る。


それは、真実が、すべて暴かれる夜になる。


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