叔父上と別邸の夜
一
王弟・柳景陽の別邸は、望月京の北の外れにあった。
「叔父上は、苦手だ」
馬車の中で、清軒が、窓の外を見たまま呟いた。
「殿下にも、苦手な方が」と、向かいの墨雲が、目を丸くした。
「剣の師だったんだ。子供の頃、毎朝、木剣で叩き伏せられた」
「それは、お気の毒に」
「容赦がなかった。『王太子だろうが、弱ければ死ぬ』と言って」
メイリンは、護衛として、御者台の脇に座っていた。馬車の中の会話が、風に乗って、断片的に聞こえてくる。
(あの清軒様が、苦手な人)
少し、興味が湧いた。
別邸の門扉には、半月に柳の葉三枚の紋が、黒い鉄で打ち出されていた。その前で、壮年の男が、腕を組んで待っていた。
背が高く、肩幅が広い。無精髭に、鋭い目つき。四十代半ばの、堂々たる体躯である。王弟、柳景陽だった。
「遅いぞ、清軒」
「叔父上。ご無沙汰しております」
「無沙汰も何も、三か月、顔も見せなかったではないか」
「政務が」
「言い訳は聞かん」
景陽は、いきなり大きな手を、清軒の頭に置いて、わしゃわしゃと撫でた。
「叔父上、やめてください」
「大きくなったな、馬鹿者が」
「人前で」
「お前がどれだけ偉くなろうが、俺の前では、いつまでも小僧だ」
笑いを堪えるメイリンの肩が、小刻みに震えた。
その視線に、景陽が、ふと気づいた。
「そちらは」
「新しい護衛隊長です。秦明といいます」
「ほう」
景陽の鋭い目が、じっとメイリンを見据えた。上から下まで、一瞬で。
「いい目をしている」
「恐れ入ります」
「歩き方が、整いすぎている。ただの農家の出ではないな」
背筋が、冷えた。
「訳ありか」
「叔父上」
「わかっている。聞かん」
景陽は、にやりと笑った。
「お前が連れてきたなら、信用する。それで、十分だ」
二
奥の間に通されると、景陽は、どっかりと胡坐をかいた。
「用件を、言え」
「叔父上が、先に呼んだのでは」
「そうだったな」
景陽は、酒を一口あおって、低く切り出した。
「髪の束の件は、聞いているか」
「はい」
「俺の別邸の庭先に、秦侯の娘の髪が置かれていた。誰が置いたかは知らん。だが、おかげで、宰相派は俺が令嬢を攫ったと触れ回っている」
「国師が、そう吹き込んだと」
「ああ」
景陽の目に、怒りが宿った。
「馬鹿にするな。俺が、娘一人を攫って、何になる。そんな姑息な真似は、せん」
「叔父上の人柄は、存じております」
「だが、軍が動いている。この別邸の周りを、将軍の兵が、うろついている」
清軒が、メイリンと目を合わせた。
(髪の束)
メイリンの胸が、ちくりと痛んだ。自分が仕組んだことが、この人を窮地に追い込んでいる。
「申し訳ございません」
思わず、口をついて出た。
「何がだ」
「いえ。あの、私の」
清軒が、軽く咳払いをした。
「叔父上。この者は、事情を知っています。いずれ、お話しします」
「ふむ」
景陽は、しばらくメイリンを見つめていたが、やがて、ふっと目を細めた。
「謝る必要は、ない。誰かの思惑に、使われただけのことだ」
「叔父上」
「それより」
景陽の声が、ぐっと低くなった。
「兄上のことだ」
清軒の肩が、わずかに揺れた。
「兄上の病は、五年になる。侍医団は、原因不明だと言う。俺は、何度も見舞いを申し出た。その度に、宰相が、『陛下はお会いになれません』と門前払いだ」
「宰相が」
「国師と、侍医だけが、寝所に出入りしている。俺は、兄上の顔を、もう三年も見ていない」
拳が、卓の上で震えていた。
「何かが、おかしい。だが、証拠がない」
景陽は、杯を置いた。
「手は、打っている。先日の朝議で、月見台の管理を、改めて検めよと願い出た。国師が、一言で退けた。『王家の祭祀に、口を挟むな』とな。宰相は、陛下の名代として、頷くだけだった」
「それは、聞いております」
「それと、もう一手」
声が、さらに低くなった。
「軍の医務棟から消えた者のうち、一人は、俺が匿っている。口を割る前に、消されかけていた男だ。まだ、何も喋らんがな」
清軒が、目を見開いた。
「医務官を」
「ああ。時が来たら、会わせる」
メイリンは、息を呑んだ。
王の寝所に、誰も入れない。月見台の祭壇に刻まれた、王家の紋。その二つが、頭の中で、かすかに結びつきかけた。
(まだ、わからない。でも)
三
その夜、別邸に、火が放たれた。
「敵襲!」
悲鳴のような声が、夜の闇を裂いた。
「数は」
「二百は下らぬ! 宰相家の私兵と、将軍の兵です!」 「令嬢を、返せと」
景陽は、大剣を握って、立ち上がった。
「来るなら、来い」
清軒も、剣を抜いた。
「叔父上、背中は任せます」
「当然だ。お前に守られる年ではない」
笑い合って、二人は、戦場へ駆け出した。
メイリンは、別邸の屋根の上に、身を伏せた。四方から押し寄せる私兵を見下ろして、息を整える。
(盾も鎖も、まだ薄い。でも)
指先を、払った。
月光の鎖が、門の前で幾重にも交差した。突破しようとする私兵の足が絡まり、将棋倒しになる。
「な、何だ、この魔法は!」
「庶民の兵に、魔法が!?」
「いや、あれは、護衛隊長」
怒号が飛び交う。メイリンは、その声を聞きながら、冷静に、次の網を張った。
「やるな、秦明!」
景陽の大剣が、唸りを上げて、私兵を薙ぎ倒していく。その一撃は、重く、速く、一片の迷いもなかった。清軒の師だった、と言う意味が、一目でわかる。
「さすが叔父上」
「お前こそ、腕を上げたな。それより」
景陽が、ふと、顔を曇らせた。
「門が、開いている」
見ると、別邸の裏門が、内側から、静かに開かれていた。そこから、黒装束の一団が、音もなく流れ込んでくる。
「誰が、開けた」
その時、景陽の背後から、一人の男が、進み出た。
「申し訳、ございません」
別邸の副官、周鉄だった。景陽が、二十年傍に置いてきた、腹心である。
「周」
「殿下。私が、開けました」
その手が、震えていた。
「家族を、人質に取られました。妻と、娘と。宰相の、手の者に」
景陽の剣先が、ぴたりと止まった。
「……そうか」
低い声だった。
「いつからだ」
「三か月前から。申し訳、ございません」
「俺に、言えなかったのか」
「言えば、家族が」
周鉄の目から、涙が溢れた。
景陽は、しばらく、何も言わなかった。やがて、ゆっくりと、剣を鞘に収めた。
「殿下」
「周。お前の家族は、必ず、俺が取り戻す」
「えっ」
「お前を、斬らん」
景陽は、周鉄の肩を、そっと掴んだ。
「二十年、共に戦った。お前の苦しみに、気づけなかった俺にも、罪がある」
周鉄が、声を上げて泣き崩れた。
「清軒」
「はい」
「裏門を、固めろ。俺は、こいつと話す」
「承知しました」
清軒が、頷いた。その横顔に、メイリンは、尊敬と、少しの切なさを覚えた。
この国の、王家の人々は、不器用なほど、優しい。
四
夜明け前、襲撃は、退けられた。
別邸の庭には、倒れた私兵が、縛り上げられて並んでいた。景陽は、庭の縁側に座って、静かに酒を呑んでいる。
「見事だったな、秦明」
「恐れ入ります」
「その魔力。……黒髪の血筋の、それも」
景陽は、言葉を切った。
「いや。聞かん、と言ったな」
「はい」
「だが、これだけは言っておく」
その目が、まっすぐ、メイリンを射抜いた。
「清軒を、頼む」
メイリンは、息を呑んだ。
「あいつは、不器用でな。強がって、一人で抱え込む。……あれの母が死んだ時も、一滴も涙を見せず、一人で泣いていた」
「……はい」
「俺は、兄上を疑いたくない。だが、疑わずには、いられない」
景陽の声が、わずかに掠れた。
「清軒が、真実に辿り着いた時、あいつを、一人にしないでやってくれ」
メイリンは、深く頭を下げた。
「約束します」
「うむ」
景陽は、にやりと笑った。それから、ふいに、立ち上がって、清軒の頭を、ぐしゃりと撫でた。
「叔父上!」
「同盟だ、清軒。満月の夜、俺の兵も動かす」
「ありがとう、ございます」
「礼は、全部終わってからだ」
清軒は、わずかに頬を染めて、俯いた。その様子を、メイリンは、くすくすと笑いながら、眺めていた。
「笑うな、秦明」
「いえ。可愛らしいなと」
「誰が、だ」
「殿下が」
「……護衛隊長を、解任するぞ」
「できませんよ」
二人のやり取りに、景陽が、豪快に笑い声を上げた。
「いい娘を、見つけたな」
その呟きは、風に消えた。メイリンの耳には、確かに届いていたけれど、聞こえなかったふりをした。
朝日が、別邸の庭を、金色に染めていた。




