第29話:終わらない日常の完成
魔界の城を包む空気は、いつしか不純物を一切含まない、結晶のような静謐さに満たされていた。
リリアーナの朝は、シルクのシーツの上で、ゼパルが捧げる甘い接吻とともに始まる。
彼女はゆっくりと目蓋を上げ、紫水晶の瞳を朝露のように輝かせた。
かつて自分を苦しめた毒の痣も、枯れ草のような髪も、もはや夢の中の出来事ですらない。
リリアーナにとっての「自分」は、この美しい城で悪魔に慈しまれる、気高く幸福な魔女だけであった。
「おはよう、私のリリアーナ。今日の気分はいかがかな」
「とても素晴らしいわ、ゼパル様。窓の外の花たちが、昨日よりもずっと鮮やかに笑っている気がしますの」
ゼパルは満足げに彼女の銀髪を指で梳いた。
その花たちが鮮やかなのは、昨夜、壁の向こう側でアリステアたちが流した悔恨の涙が、最高級の養分として大地に吸い込まれたからだ。
リリアーナが幸福を感じるほど、城の魔力密度は上がり、その魔力に当てられた男たちの絶望はさらに深まる。
完成された、終わりのない円環。
リリアーナは、鏡の前で着替えを済ませる。
ドレスを飾るのは、かつてないほど濃密な紫色を放つ魔力結晶だ。
「この宝石、見ているだけで胸が躍りますわ。なんだか、誰かが一生懸命に私を想ってくれているような……そんな温かな重みを感じるのです」
彼女は、その結晶がアリステアの引き千切られた自尊心の欠片であることなど、夢にも思わない。
彼女の日常を彩るすべての調度品、口にする菓子の甘み、肌を滑る水の感触。
それらすべてが、自分を捨てた男たちの「命の搾取」によって成立しているという事実は、ゼパルの囁きによって完璧に秘匿されていた。
壁の向こう、断絶の間。
そこでは三人の男たちが、もはや言葉を失い、ただの「絶望を吐き出す装置」と化していた。
アリステアは、鏡越しにこちらを見るリリアーナの笑顔に、一秒ごとに精神を削り取られている。
自分が彼女を愛していなかった罰を。
彼女を道具として扱った報いを。
今は、彼女に忘れ去られたまま、彼女の幸福を支え続ける「踏み台」になることで支払い続けている。
公爵も、ヘンリックも、もはや自分が誰であるかさえ怪しい。
ただ、目の前で輝く「かつての肉親」が、自分たちをゴミとして蹴り捨て、悪魔の腕の中で蕩けている光景が、彼らの魂を永劫に焼き続ける。
「リリアーナ、今日の午後は中庭で音楽を聴こう。お前が笑えば、世界はより美しくなる」
「はい、ゼパル様。私、この日常が永遠に続けばいいと、心から願っておりますわ」
リリアーナはゼパルの腕に縋り、無邪気に微笑んだ。
彼女はもう、自分がかつて誰かを愛し、そのために醜く衰えたことなど、一秒も思い出すことはない。
彼女の世界には、自分を愛してくれる悪魔と、自分が享受すべき至福しかないのだ。
幸せな魔女の笑い声が、廊下に響き渡る。
その音色が、壁一枚隔てた向こう側の地獄をさらに深淵へと突き落としていく。
一人の男の永遠の絶望。
一人の女の永遠の幸福。
二つの対極が、最果ての愛という名の楔によって、完璧に、そして残酷に固定された。
終わらない日常が、今ここに完成したのだ。










