特任女官と、魂が入れ替わった二人の妃
「よしっ、これで完成!」
朝の爽やかな光が差し込む自室で、私——小春は、小さな黄金色の毛玉のために出来上がったばかりの「特製ミニ座布団」を床に置いた。
すると、私の懐からひょっこりと顔を出した管狐(くだぎつね:竹筒にすっぽり収まるサイズの小さな狐の式神)が、嬉しそうに『きゅあ!』と鳴いて、その座布団の上にちょこんと座った。
「ふふふ、気に入ってくれたみたいでよかった。絡新婦さんにもらったあの綺麗な絹糸、本当に手触りが最高だね」
数日前、私は後宮(こうきゅう:帝の妃たちが暮らす男子禁制のエリア)の御匣殿(みくしげどの:お着物を仕立てる場所)で、若さを吸い取る呪いの糸を作らされていた蜘蛛のあやかし・絡新婦さんを助け出した。
そのお礼にと譲り受けた月明かりのような絹糸を使って、私はお裁縫をしていたのだ。
私には、「あやかしの声が聞こえ、おしゃべりができる」という秘密の特技がある。
没落した陰陽師(おんみょうじ:古代日本で占いや呪術を専門としていた役人)の娘である私は、この特技を冷徹皇帝と恐れられる若き帝・暁月様に知られて以来、彼直属の「特任女官」として、後宮のドロドロした怪事件を解決するお仕事をさせられている。
前回の事件で、後宮の悪女の筆頭である高位の妃・紅葉様の側近だった女官長が捕まった。彼女が地下牢で「すべて紅葉様の指示でした」と白状したため、いよいよ紅葉様への厳しいお調べ(取り調べ)が始まろうとしている。
(これでもう、お妃争いのドロドロした事件も終わりかな。私もやっと、のんびりした下働き生活に戻れるかも!)
そんな淡い期待を抱いていた、まさにその時だった。
コンコンコンッ! と、いつもより激しく部屋の戸が叩かれた。
「小春殿! 暁月様からの緊急のお召し(お呼び出し)です! 大至急、清涼殿(せいりょうでん:帝のプライベート空間)へお越しください!」
「ひゃいっ!? す、すぐ行きます!」
せっかくの平和な時間が、一瞬で消し飛んだ。
私は慌てて管狐を竹筒にしまい、中級女官の着物である袿の裾を翻して部屋を飛び出した。
清涼殿の執務室に飛び込むと、そこにはいつも以上に険しい表情をした暁月様が立っていた。
夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪、黒曜石のように鋭い切れ長の瞳。
相変わらず息を呑むほど美しいけれど、今日の彼は、周囲にピリピリとした恐ろしいほどの威圧感を漂わせていた。
「遅いぞ、小春。……大変なことが起きた」
「あ、暁月様……? 一体何があったのですか? 紅葉様のお調べが始まるのでは……」
私の問いかけに、暁月様はギリッと奥歯を噛み締め、悔しげに拳を握りしめた。
「それが、できなくなったのだ。……紅葉と、撫子に、奇妙な異変が起きた」
「撫子様にも……!?」
撫子様といえば、心優しく病弱な妃様だ。
現在、暁月様の子を秘密裏に身ごもっており、紅葉様から何度も命を狙われ、そのたびに私と暁月様で守ってきたお方である。
「今朝、紅葉の身柄を拘束しようとした矢先、彼女が突然『これまでの罪をすべて認めます。どうかお許しください』と、涙を流して殊勝(しゅしょう:心がけが立派で、おとなしい様子)な態度に変わったのだ。あの傲慢な悪女が、だぞ」
「えっ……あの紅葉様が、そんなにあっさり謝るなんて、天変地異でも起きない限り有り得ないです」
「だろう。だが、本当の異変はその直後に起きた。……それを聞いた撫子が、突然人が変わったように激昂(げきこう:激しく怒ること)し、『あの泥棒猫! 私の地位を脅かす悪女め、言い訳など聞かずに今すぐ首をはねなさい!』と、周囲の女官たちを怒鳴り散らし始めたのだ」
「な……なんですって……!?」
私は耳を疑った。
あの、虫も殺せないほど優しく、いつも周囲に気を配っていたおっとりした撫子様が、そんな恐ろしい言葉を使うなんて、絶対にあり得ない。
「私はすぐに二人のもとへ向かい、自身の目で『気』を視た。……信じられんことに、撫子の体からは、紅葉が放っていたものと全く同じ、ドス黒く濁った邪気が立ち昇っていた。逆に、紅葉の体からは、撫子の持つ清らかで温かい気が溢れていたのだ」
暁月様は、あやかしや呪いの「気」を正確に視る力を持っている。
その彼がそう言うということは、答えは一つしかなかった。
「……陰陽道でいうところの、『移魂の術』。
つまり、魂の入れかわりですね」
私がゴクリと唾を飲み込んで言うと、暁月様は重々しく頷いた。
「おそらく間違いない。紅葉は自分の罪が暴かれ、破滅することを悟り、禁忌(きんき:やってはいけない強い呪い)の術を使って、撫子と魂を入れ替えたのだ。……撫子の体を手に入れれば、自分の罪を撫子になすりつけることができる。そればかりか、撫子の腹にいる『私の子供』ごと、帝の寵愛と次期皇后(こうごう:帝の正妻)の座を合法的に乗っ取ることができるからな」
「なんて……なんて恐ろしい悪女なの……!」
私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
自分の肉体を捨ててまで、他人の幸せと地位を奪い取ろうとする執念。
これぞまさに、後宮の頂点を狙う悪女の、最後の、そして最悪の権力闘争だった。
「小春。私の目には気の入れ替わりは視えるが、それが本当に二人の魂そのものなのか、それとも高度な幻術なのかまでは判断がつかん。お前の特技で、二人の『中身』を確かめてきてくれ」
「わかりました。……撫子様と赤ちゃんを救うためです、行ってまいります!」
私は強く頷き、まずは撫子様(中身は紅葉様)が暮らす「菊壺」へと向かった。
「おい! ぬるいお茶を持ってくるんじゃないよ! この使えない木木どもが!」
菊壺の部屋に近づいた瞬間、中からキンキンとした、甲高い怒鳴り声が響いてきた。
私はお茶の煎じ直し(お茶を新しく入れ直すこと)を命じられた下級女官に変装し、お盆を持って部屋へと潜入した。
部屋の奥、上座に座っているのは、間違いなく可憐な顔立ちをした撫子様だった。
しかし、その座り方は片膝を立て、美しい着物をだらしなく引きずり、周囲の女官たちを冷酷な目で見下ろしている。
その表情、その眼差しは、完全に紅葉様のものだった。
「お、お新しいお茶をお持ちいたしました……」
私がわざと怯えた声でお茶を差し出すと、撫子様(中身・紅葉)はフンと鼻で笑った。
「遅いね。まあいいわ。……ところで、牡丹宮(ぼたんきゅう:紅葉の宮)に幽閉されているあの悪女は、まだ泣き喚いているのかえ? 早く処刑の準備を進めるように、私から帝様にお願いしておかなくてはね。ふふふ……」
彼女は自分の大きなお腹を愛おしそうに撫でながら、残酷な笑みを浮かべた。
その時、私の懐にいる管狐が、竹筒の中から『きゅ~……』と嫌そうに鼻を鳴らした。
(お姉ちゃん、この人からすごく臭くて黒いお札の匂いがするにゃ……。撫子様の匂いじゃないにゃ)
管狐の声が私の頭に届く。
さらに、私が陰陽師の力を集中して、彼女の「魂の声」に耳を澄ませてみると、撫子様の口から出ている言葉とは裏腹に、精神の奥底からドロリとした邪悪な声が響いてきた。
『……ひっひっひ、上手くいったわ! あの生意気な撫子の体を奪ってやった! これで私は帝の子の母親であり、未来の皇后だ! 私を罪人にしようとした暁月も、これには手が出せまい!』
(……ビンゴ。中身は完全に紅葉様だわ)
私は怒りで手が震えそうになるのを必死で抑え、お盆を引いて「失礼いたします」と部屋を退出した。
次に私は、罪人として自室に謹慎させられている、紅葉様(中身・撫子様)のもとへと向かった。
部屋の入り口には近衛兵が立っていたが、私は特任女官の木札(身分証)を見せて中に入った。
部屋の隅、豪華な十二単を身に纏った紅葉様が、小さく身を縮めてガタガタと震えていた。
「……うう、ひぐっ……赤ちゃん、私の赤ちゃんは無事かしら……。どうして私が、こんなに体が重くて、トゲトゲした着物を着ているの……?」
彼女は、自分の細い指先や、燃えるような紅色の着物を見ては、怯えたように涙を流している。
その仕草、その弱々しい雰囲気は、どう見てもあの優しい撫子様だった。
「……撫子様」
私がそっと声をかけると、紅葉の体をした女性がハッとして顔を上げた。
その美しい瞳には、いつもの攻撃的な光はなく、ただ純粋な恐怖と悲しみが宿っていた。
「あ、あなた……小春ちゃん!? ああ、よかった……! 聞いて、私、急に目の前が真っ暗になって、気がついたら紅葉様の姿になっていて……! 私のお腹にいた赤ちゃんはどこ!? 帝様はどこ!?」
彼女が私の手を掴んできた。
その手は氷のように冷たく、激しく震えていた。
私はすぐに彼女の魂の声を聞き取った。
『……怖いよぉ、助けて小春ちゃん。私は撫子なの。どうしてこんな恐ろしい姿になっちゃったの……お腹が軽くて、すごく寂しいの……』
混じり気のない、清らかで優しい魂の響き。
間違いなく、こちらが本物の撫子様だった。
「大丈夫です、撫子様。私はすべて分かっています。あなたが本物の撫子様ですね。……紅葉様が、禁忌の呪術を使って、あなたと魂を入れ替えたんです」
「えっ……入れ替わり……? そんな、じゃあ、私のお腹の子は……」
「今、紅葉様があなたの体に入っています。でも、安心してください。暁月様も私も、すべて気づいています。絶対に、あなたを元の体に戻してみせます!」
私の力強い言葉に、撫子様(中身)はポロポロと涙を流し、「ありがとう、小春ちゃん……信じているわ……」と私の手を握り返した。
清涼殿に戻った私は、暁月様にありのままを報告した。
「確認が取れました。撫子様の体に紅葉様が、紅葉様の体に撫子様が入っています。完全な『移魂の術』です」
「……そうか。やはりな」
暁月様は冷徹な瞳をさらに鋭く尖らせ、机をドンッと叩いた。
「だが、この呪いを解くにはどうすればいい? 術を使った黒幕である紅葉(中身)に呪文を唱えさせて解除させるか?」
「いえ、それは無理です。あの悪女が大人しく呪いを解くはずがありません。それに、移魂の術は、一度成功すると、外側からの力だけで無理やり戻そうとしても、魂が引き裂かれて二度と戻らなくなる危険があります」
「何だと……!? では、どうする」
暁月様が焦りを見せる。
私は、かつて実家の古い書物で読んだ、禁忌の呪術の解除方法を必死に思い出した。
「移魂の術を完全に、かつ安全に解くには、二人の魂を繋ぎ止めている『術の触代(よりしろ:呪いの媒介となる道具)』を【同時に】破壊しなければなりません。管狐の鼻によれば、紅葉様は『移魂の護符』という一対(いっつい:二つでセット)のお札を、それぞれの体、あるいは近くに隠し持っているはずです」
私は一呼吸置き、暁月様の目を真っ直ぐに見つめた。
「一つは、撫子様の体(中身紅葉)が持っています。そしてもう一つは、紅葉様の体(中身撫子)の近くにあるはず。この二つの護符を、一瞬の狂いもなく【同時に】燃やし、そこに私が魂を呼び戻す陰陽術をかければ、二人の魂は磁石のように本来の器(肉体)へと引き戻されます」
「同時に、か。……簡単なようで、極めて難しいな」
暁月様は腕を組み、深く考え込んだ。
「現在、撫子の体(中身紅葉)は、自分が帝の子を妊娠していることを盾にして、菊壺に引きこもり、周囲の警戒を強めている。私が無理やり近づけば、何をするかわからん。最悪の場合、お腹の子の命を人質にする可能性もある」
「……確かに、あの悪女ならやりかねませんね」
私は奥歯を噛み締めた。
自分の野望のためなら、お腹の赤ちゃんの命さえ道具にする。
それが紅葉という悪女なのだ。
「ならば、こういう作戦はどうでしょうか」
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、暁月様に顔を近づけた。
「紅葉様(中身)の狙いは、暁月様からの寵愛と、次期皇后の座を完全に手に入れることです。もし、暁月様が『撫子、お前のこれまでの苦労を労い、今夜、正式に皇后に指名する。祝いの宴を開こう』と持ちかけたら、彼女はどうするでしょうか?」
暁月様はハッとして目を見開いた。
「……必ず、喜んで食いついてくるな。己の勝利を確信し、警戒を解いて私の前に現れるだろう」
「そうです。その宴の席に、謹慎中のはずの紅葉様(中身撫子)も『罪人の最終確認』という名目で引きずり出します。二人が同じ空間に揃ったその瞬間……私が二つの護符を見つけ出し、暁月様の力で同時に破壊するんです!」
宮廷ミステリーの解決に向け、私と暁月様の秘密の作戦会議が始まった。
身分差も、これまでの確執も超えて、私たちは一つの目的のために心を一つにしていた。
「よし、その作戦で行こう。……小春、お前が頼りだ」
暁月様が、私の目を真っ直ぐに見つめて言った。その瞳には、私への絶対的な信頼が宿っていた。
心臓がトクン、と跳ねたけれど、今はときめいている場合じゃない。
「はい! 絶対に、二人を元に戻してみせます!」
華やかな後宮を舞台にした、悪女との最後の決戦。
魂の入れ替わりという最大の危機を前に、没落陰陽師の娘と冷徹皇帝の命がけの騙し合いが、今、幕を開けようとしていた。




